「先生嫌いだった僕」が「尾木ママ」になるまで (後編)

21/04/07まで

ラジオ深夜便

放送日:2021/01/29

#子育て#家族#コミュニケーション#ココロのハナシ#短歌

ざっくりいうと

  • 「何やってんだー!」じゃなくて「どうしたの?」 僕の口癖が魔法のことばに
  • 目標を作ってそれに向かって頑張るのではなく、今やれることを精いっぱい
  • 2021/01/29 ラジオ深夜便 ママ☆深夜便「ことばの贈りもの」尾木直樹さん(教育評論家)

いつも笑顔の尾木直樹さんですが、若き日には挫折も経験、なにしろ「先生が大嫌い」だったそうです。それがなぜ?! 母親からの驚くべき助言を得て教師となり、やがて思いもよらず「尾木ママ」が誕生することになるのです。新型コロナウイルスで見えてきたフロントランナーとしての子どもたちの姿に、尾木ママが大きなエールを贈ります。

教師への入り口はひねくれた道だった

――尾木さんの本を読ませていただくと、順風満帆な学生時代ではなくて、失敗や挫折を乗り越えていらしたことに驚きました。教員を目指したのはいつごろだったのでしょう。

尾木さん: 大学4年生でしたかね。結構遅いです。就職で悩んでいて僕がふっとつぶやいたら、母親に、「直樹は学校の教員が一番向いてると思うよ」って言われたんです。びっくりしたんですよね、「なんて理解してない人だろう」と思って。

僕は、学校の先生との出会いでは嫌な経験が圧倒的に多かったんです。体罰する先生に「やめてください」って言ったら「授業受けるな」とか言われて、授業を受けなかったら単位がもらえなくて転校のときに1年留年した、とかね。これは高校1年生のときです。とにかく嫌なことばっかりあったものですから学校の先生がトラウマになっていて、「先生」というだけで嫌いだったんです。
それなのに「教員が向いてるよ」って、母親はいったい何を言い出すのかと思ったら、「直樹は学校の先生には恵まれずに嫌な思いばっかりしてきたから、いじけてる子とか、不登校になってる子とか、グレて非行に走ってる子とか、そういう子の気持ちがよく分かるいい先生になれる」って言ったんです。「逆転の発想か!」と思って、「そういう気持ちを分かってくれる先生がいたら、僕もどんなに救われたかな」っていう気持ちにもなってきたんです。

4年生の教育実習も結構楽しかった。僕が「好きなことをやりたい」って言ったら指導教官が許してくれて、教科書を使わないでプリントを使って国語の授業で詩を教えたら、子どもたち、目を輝かして授業を聞いてくれて。発表もするし、「詩を作ってみよう」と言ったら生き生きしてみんなが作ってくれたんです。お別れのときには色紙にいっぱいサイン書いてくれて涙のお別れでね。「先生っていいなあ」と思いました。伊吹村の中学校でした。素朴だから、またよかったんだと思いますけど。

出会った先生はつらい先生が多かったんですけれども、「子どもたちと先生の関係は楽しいな」っていう体験をしたんです。不登校の子もいるし、非行に走ってる子とか口数が少ない子もいるから、僕はそういう子たちの味方というか代弁者になれるなと思って、なったんです。
ふつう、先生を希望してる子は、「小学校のときにすてきな先生に会った。あんな先生になりたい」というのが圧倒的に多いんです。僕みたいなひねくれた入り口は、あんまりないです

「どうしたの?」は魔法のことば

――嫌な先生に会ったことが、あとになってみるとすごく生かされた、と。

尾木さん: 今、いろんな評論活動やなんだかんだ言ったり書いたりできるのは、そういう経験があったからだと思いますね。あれがなかったらどうにもしようがなかった、って言いますか……。
僕が中学の教員になったのは1980年代で、「金八先生」のドラマでも有名な荒れ狂ってる時代だったでしょ。だから、荒れてる子とかバイク乗り回して校庭に入ってくる子とか見ると、「おっ、僕の出番だ」って。

僕の口癖がね、「どうしたの?」っていうんですよ。だからちょっと悪い子たちは「どうしたの先生」とかいって、僕が近寄って行くと「どうしたの?」って言って自分で弁解してくれるの(笑)。

たばこ吸ってても、「どうしたの?」って行くんです。「ムカツクんだよ」とかいうから、「ああ、むかついてんだ」って。だいたいほかの先生はガラッと開けて「何やってんだー。ちょっと来いっ!」って職員室に連れてくんですけど、「あら、どうしたの?」って言うとたいてい素直になって、「もう先生、しません」とか勝手に約束し始めるんです。中学3年生の子を持ってたときでしたけど、僕、思わず、「おい、あんまり無理するな」なんて言ったんです。そしたらその子、そのままたばこ吸わないで卒業式になって、「先生、吸わなかったよ」って誇らしげに卒業しましたけども。

やっぱりね、絶対というのは分かりませんけれども、心と心が響き合えばほとんどの場合は大丈夫です。「分かってくれた」っていうだけで、うれしい。

――「どうしたの?」は、大事なことばですね。

尾木さん: 魔法だと思います。

頭を停止。感じたことを音声に

――バラエティー番組で「尾木ママ」としてブレイクされたのが62歳のときですね。思ってもみなかった転換点だったとか。

尾木さん: 62歳でママになっちゃった(笑)。
こうなるとは夢にも思いませんでした。明石家さんまさんに最初に言われたときは、「何言ってんだろう?」と必死になって打ち消してたの。ああいう番組では変なところや失敗したところはカットされるでしょう? だからカットされると思って素のまんまでやり取りしてたら、「おもしろい」って全部使われて。びっくりしました。

――尾木ママになったことで、人生にどんな変化がありましたか。

尾木さん: 3倍も5倍も人生を楽しくしてくれましたし、影響力のパワーは100倍以上じゃないでしょうか。さんまさんには足を向けて寝られないぐらい、ありがたかったです。

――尾木さんの本の中に、尾木ママになったことで、それまではあれこれ用意して話していたのが、頭を停止して心で感じたことを音声に変えるようにした、と書いてありました。どういうことでしょう。

尾木さん: NHKの昔の教育テレビに出させていただいていたころは、「ポイントは3つあります。第1に、第2に……」とか暗記して一生懸命アナウンサーの方とやり取りしてたんです。ところが尾木ママって言われるようになってみると、会場の雰囲気が全然違うんですよ。
それまで僕は頭に文字を浮かべて音声にしてたけど、観客のみんなと心を一緒にして、共感して、心を動かして、頭を経由しないで音声にしてしまう。こうすれば講演会になるんだ、一緒に作っていけるんだ、っていうのが分かりました。心で感じたことをそのまま音声化して、頭を経由させるのをやめたんです。
だから、舞台に立つでしょ。顔を見て、いきなり話し始める。あんまり組み立てを考えてないの。

――教師や教育評論家としての経験があったから、というのはありますか。

尾木さん: そうだと思います。基礎的なものは体にしみついているでしょ。蓄積がなかったらデタラメになっちゃいますものね。

子どもたちはフロントランナー

――尾木さんの本の中に、「人の目や表情を心で見つめる」ともありました。どうしてこんなことができるんだろう、って思ったんですけど。

尾木さん: 教員とおまわりさんって結構嫌われるんです。教師の職業病の一種かも分かりませんけれども、すぐ評価の目線で人を見つめるから。でもこれが一番よくない。だから、教育相談はできるけれどカウンセラーにはなれないって、よく言われるんです。それを捨て去るのに、僕、ものすごく苦労しました。のたうちまわるほどつらかったです。カウンセリングの研修も受けたりしたんですけども。
だって、「私、人を殺したいんです」とか言うわけですよ。わざとそうやって言うわけです。それに共感しなきゃいけないんですよ。「人を殺したい」と言ってる人に、学校の先生だったら「何考えてるんだ! 落ち着きなさい」と説得に入るでしょう? それ、やっちゃダメなんです、カウンセリングは。「ああ、あなた、人を殺したいのね」って、共感しなきゃいけない。それができなくて。
例えば「死にたい」と言っていても、その目は「生きたい」と訴えている。それを見抜く、っていうのかしら。そこがすごく僕、カウンセリングの研修させてもらって大事だなと思いました。心で受けとめると、見えてきます。

――尾木ママのこれからの使命はなんでしょうか。

尾木さん: ひと言で言うと、子どもたちが主役になれる、子どもたちの存在がちゃんと認められていくような日本の学校・社会になってほしい。そのために僕のできることを探しながら、その時々に、全力投球しようと思っています。これからが本当に大事ですよ。ポストコロナ時代をどう作るかは、子どもたち、そして若い親御さんたちにかかっていますから。

僕、今の子どもたちはこの激動の中のフロントランナーだと思っています。これまでの当たり前の日常がなくなったわけでしょ。そのあとにどういう社会を築くか、経済から政治、文化そして教育……、あらゆるところを子どもたちが見つけていくんだと思うんです。それは子どもたちが一番分かっているというふうに思いますよね。

そのためには、歴史を学んでほしいと思いますね。14世紀のペスト以来、ルネサンスで文芸復興して民主主義も資本主義も生まれたわけですけれども、今度は違う社会体制や生産体制に切り替わっていくと思います。とにかく、縦軸の歴史の認識とグローバルな横軸の世界を見つめると、パンデミックは幸か不幸か世界同時進行なので、日本がどういう動きをしているのか、どんな国や政治家が支持されるのか、全部見えて比較することができるというのは初めての経験だと思います。

――いつも優しい笑顔の尾木さん、モットーにしていることはありますか。

尾木さん: 僕は尾木ママになる前から、「ありのままに今を輝く」ということばを色紙に書いてきました。その信条で生きてきたら、62歳で「ママ」になっちゃった。

日本の親御さんたち、学校もその典型ですけれども、「〇〇を達成するために今を我慢して頑張れ」とか、言うでしょう? 「目標を持って頑張ろう」とか、お正月も目標を習字で書いたりするじゃないですか。そうして目標を作っては頑張って挑戦するんだけども、挫折もいっぱいするわけです。
そういう頑張りではなくて、「今」を輝こう。きょうやれること、今やれることを、精いっぱい、自分は生きよう。そういう感じだったら、あしたも輝いてくるだろう。あしたも輝けば5年後も輝くし、ずっと輝きの人生になるだろう――、という発想です。

今もコロナで大変だけど、「きょう一日」とか「今」を輝こうというふうに思うと、楽して得するわよ(笑)。時々誤解されて「そんなことをうちの中学1年生の息子に言ったら、何もしなくなる!」って言われるから、「輝いてないでしょ? 輝こうって言ってるんだから」って(笑)、僕は言うんです。

――どんな世代にも当てはまることばですね。ありがとうございました。

真夜中の子育て応援団
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毎月第4木曜日
[R1] 午後11時05分~翌午前5時00分
[FM] 午前1時05分~午前5時

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