認知症診断のものさしとなる「長谷川式スケール」を開発するなど、認知症医療の第一人者の長谷川和夫さん(89歳)。その長谷川さんが、おととし自らも認知症を発症しました。その事実を公表し、医師と患者双方の立場から認知症への正しい理解を訴えています。一人一人がその人らしく「今」を生きる大切さを伺いました。


――最初に、「あ、おかしいぞ。これは認知症かな?」と気づかれたのはいつごろですか?

長谷川さん: そうですねえ。はっきりしないんですけども、気づき始めたのはやっぱりもの忘れがひどくなってきた。何か用事があって外へ行く。その時に鍵を閉めたかどうかっていうのが、はっきりしないから戻って確認するってことが初め起こったんですよ。1回くらいは普通でもあるかと思うんですけど、それが何回も確認しなくちゃならない。自分が体験したことの『確かさ』があやふやになってきた。そういうことから始まったんですね。
「アルツハイマー型認知証」、アルツハイマー病というのがありますね。この場合もまず「時間」があやふやになる。その次の段階は「場所」の見当があやふやになる。その次が、「人」。一緒に住んでいる配偶者に「もうそろそろ遅くなりましたから、お帰りになったらどうですか?」とかね。そういう段階づけがあるわけですよ。

――「時間」っていうのは、今日が何月何日かとか、そういうことがわからなくなるということですか?

長谷川さん: そう。ハッキリしなくなるんですね。だから私はそれを防ぐ対策として、日めくりのカレンダー。めくったっていうことがあやふやになると、これまた困りますけどね。でも、当面それで行けるわけですよ。
それから朝起きると、誰よりも早く新聞を取りに行く。新聞には何月何日って書いてあるから。ハッキリ分かるわけですね。

――やっぱりこれはおかしいなとご自分で診察を受けられたのですか?

長谷川さん: そうです。私の聖マリアンナ時代の門下生の一人が、開業して専門病院をやっていて、その人の所へ行って検査してもらった。CTとかMRIとか、それから臨床心理士のグループがあって、そこで複雑なテストをやらされた。例えば、時計を見せて「今何時だ?」それから、時計があるけども長針はこういう長い針、短針は短い針だ。だから、3時15分っていうのを書いてみなさいとか。結構、難しいですよ。

――ご自身が考えた『長谷川式スケール』という認知症診断の基準。これは受けられなかったんですか?

長谷川さん: これは、私は自分で開発して頭の中にすっかり入っちゃってるから。全部分かっちゃうから役に立たない。

――いろいろ検査をされて、診断の結果はどうだったんですか。

長谷川さん: 診断の結果はですね『嗜銀顆粒性認知症(しぎんかりゅうせいにんちしょう)』っていうんですよ。
これはね、平たく言えば関西の方では「お年寄りのボケ」。
アルツハイマーと比べると症状が激しくないんですよ。私自身もそれになりましたけども、それで暴れるとかそういうことはないね、別に。物忘れがひどくなった。いわゆるそういう感じですよ。
アミロイドβタンパクっていうタンパクがありましてね、それが年を取るにつれて脳の組織の所で、どんどん増えてくるわけですよ。まんべんなく増えてくるんだけど、神経細胞の中まで入っていくやつと、神経細胞の外だけで中に入らないのとがあるのね。神経細胞の中に入るのがアルツハイマーなの。で、神経細胞の外にあるだけのやつは嗜銀顆粒性認知症、顆粒性認知症とも省略して言うんですよ。

――激しい症状ではないとすると、のべつ幕なしに同じ症状ではなくて、日によって、時間によっても症状が軽いとか重いって感じるんですか。

長谷川さん: いいご質問ですね。午前中はいいんですよ。午後の1時ごろまでは。お昼ごはんを食べてちょっとの間くらいはいい。疲れてくるでしょう、2時・3時になると。そうすると認知症的になっちゃう。で、夕方になると寝ちゃうからね。夜中に睡眠取るから、脳が、修復するのかね。翌日は普通なんだよ。翌日の朝は普通なの。その繰り返しですよ。だからアルツハイマーとは違うね。

自分の専門である認知症と診断された長谷川さん。病の公表に踏み切ったのは、「人生100年時代」と言われる現代、若い時に比べて体力や知的能力、認知機能が衰えた人が社会に増えていく中で、自分の経験が役に立つのではないかと考えたからだそうです。

――ふだんはどう過ごしていらっしゃるのでしょうか。

長谷川さん: 1日はまずね、新聞を取りに行くよ。朝。新聞には日付が書いてあるからな。これはもう間違いない。それで、自分で日めくりの所へ行って、その新聞に合わせてめくればいい。それでもう安心だよな。
時間がわかれば、もう最初のステップはうまくいったわけだから。場所の見当も、そんなに迷うことはないよね。それからやっぱり高齢になると足が悪くなるから、そんなに外をフラフラ歩かないからね。だから、場所の見当がつかなくって家に帰れないなんてことはそんなに起こらないよ。だって杖だもん。

食事はきちっと食べます。3食。まあ朝は大体、家内の都合も家の都合もありますけど、パン食だよね。クロワッサンとか普通のパンを食べて。昼はバナナくらいで過ごすとか。サンドイッチかなんか買って来てきて食べるとか。あるいはご飯だったら白いごはんにフリカケして、お味噌汁でも作って。即席のお味噌汁があるから自分でも作れるしね。晩御飯はマーケットへ行って、ちょうどそのころになると売れ残りの、安く買えるから。お肉か何か食べれば、もういいよね。十分栄養がある。

行きつけの喫茶店があってね、ご主人は蝶ネクタイしちゃってね、奥さんもかいがいしく手伝って、ふたりで夫婦でやってるんだ。もう30年くらい通ってる。2回くらい行くこともある。
そこでね「ストロング」っていう強いコーヒー。これがおいしい。

ほかにも行きつけの床屋さんで散髪をし、図書館で本を借り、絵画の展覧会を訪れ、音楽でリラックスをする。長谷川さんの日常は、伺う限りではむしろ外出もいとわず、積極的にご自分の興味関心のあることに触れるようにしていらっしゃるようです。

――デイサービスなどに行かれたりするのですか。

長谷川さん: ありますよ。僕は自分が医者の時は、認知症の人にデイサービスという所に行くといいですよって言ったけど。自分が行くようになった。行ってみたんだよ。そしたら、デイサービスっていうのは、迎えに来てくれるんですね。で、送ってくれる。9時から5時まで。ちょうど1日。
ありがたいことが1つあってね。お昼ご飯前に、お風呂に入れてくれるの。入浴サービス。これはいいよ。気持ちいいよ。王侯貴族の気持ちだね。入浴サービスの時に体を洗ってくれて、雑談をしてくれたりして。スタッフは、一人一人の利用者のことを会議を開いて、全部知ってるんだね。僕は退屈するからさ、松本清張の探偵物語か何か持ったりして、本読んだりしてるとね「長谷川さん面白いですか?」とかね、声をかけてくれるの。みんな情報を持ってる。一人一人の利用者の。声かけするんだね。

――介護や認知症のケアなど、日本のレベルは世界的に見てどうなんですか?

長谷川さん: 日本は世界一長生きしてる国でね、長寿国だ。だから政府の施策やなんかも抜きん出ていい。かなわないと思うんだ、他の国は。そして僕が思うのは東南アジア。日本よりも高齢化の進行が早いんだそう。だから日本がどういう対応をしているのか、高齢者の認知症について注目してるよね。東南アジアだけじゃなくて世界中が注目してる。
だから、輸出することになる。こっちから出かけていって、専門職の人、あるいは一般の人でもいい。行って、向こうの人と相談して、向こうの国状に合ったやり方を教えてさしあげる。

――高齢化は全世界的な問題ですから、日本が先進技術をもって協力するというのは国際貢献になりますよね。患者さんの立場で。認知症になって、初めて分かったことって、ございますか。

長谷川さん: うん。認知症になって分かってきたっていうことは、認知症っていうのは、全く普通の人と同じことを考え、同じ物の考え方をしてて、決して型にはまった、ここからが認知症だっていう人は一人もいない。午前と午後で違うし、夕方になればまた違うし、朝になれば元へ戻るし。これは大きな発見だと思ったね。

――周りの人たちも接し方をきちんとしないと、患者さんはすごくストレスとか不安になるわけですね。

長谷川さん: そうそう。だから、「パーソン・センタード・ケア」っていう、その人を中心にしたケアをしなくちゃいけませんっていうことを言いだした人が英国にいる。ブラッドフォード大学の心理学の教授なんだけどね、このキットウッドという人は並の人じゃなくてね、牧師でもあった。自分の教会を持ってて、毎日曜日お説教をしてる。そして、心理学の教授もしておった。
「パーソン・センタード・ケア」、その人を第一にする。まず「人」がある、そして認知症の病気。こういうことなんだな。まず人がいて、認知症っていう病気にかかったわけだから。

僕がもうひとつ、特に強調したいのはね。
僕の人生っていうのは、ある時点から始まって、誰一人として僕と同じ生活史を持ってる人は、全国探しても居ないわけだよ。あなたもそうですよ。あなた自身の生活歴を持ってる人は一人もいないでしょ。あなたしか持ってない貴重な体験をしていらっしゃる。
みんな一人一人違うわけだよな。一人として同じじゃないじゃない。一人しかいない。だから貴重な人間なんだよな。尊い人間なんだよな。一人一人が。誰もが。
だから、そういう尊い自分であるっていうことを自覚して、日々私たちは本当に感謝しなくちゃいけないし、誰か人のためによりよく、お役に立つことがあったらやらせていただきましょう。それは僕の気持ちです。

――認知症になっている人の気持ちを理解するのは、同じ目線に立つということですか?

長谷川さん: そうそうそう。同じ目線に立つっていうことは、自分と同じ人なんだから、まず認知症の人と会って話をする時に、今日は何がしたいですか? 向こうの気持ちを聞いてあげなきゃいけない。それが、「パーソン・センタード」。
例えば「今日はラジオの放送をしなきゃならないから行きましょう」って言うと、もうそのことだけしか頭にないから、自分が言いたいと思うことは、言えなくなっちゃうの。忘れちゃうわけだよね。だから、その人の本当の言い分というのを聞けなくなっちゃうの。

――その人の言いたいことを、じっくり聞き出す。認知症の方だと時間がかかることもありますよね。それは辛抱強く待つということ。

長谷川さん: そう。待つ。待つこと。
その間に、もし言わなきゃなんないことがあったら「何がしたいですか?」とかあるいは「何がしたくないですか?」「今日はお医者さんに行く予定だったけど、今日は行けますか?」とか。そういう聞き方ね。

――「同じ目線に立つ」ということがわかりやすいようなお話ってございますか?

長谷川さん: そうね。僕は最近絵本を書いたんですよ。おじいちゃんとお孫さんとの物語。
一緒にブランコに乗せてもらったり、動物園に行って長い首のキリンを見たり、そして畑に行って美味しそうなトマトをふたりでかじったり、おじいちゃんが取ってくれて子どもの自分が食べたり、そういう絵が描いてある。
ところがある日のこと、そのおじいちゃんが「皆様どちら様でしょうか?」。家族で一緒に食事をしてる時に。どうするか分らなくなっちゃったんです。そしたら、坊やが「おじいちゃん。おじいちゃんはボクたちのことを誰も知らないって言うけども、僕たちは、お母ちゃんもおばあちゃんも僕も妹も、みんなおじちゃんのことをみんなよく知ってるんだから心配ないよ」「ああそうか、皆さんよく知っててくださってるんですか。それだったら安心した」。
一件落着。

――普通は「しっかりして。おじいちゃん」とか「分かんなきゃ駄目でしょ」みたいなことを言ってしまいますよね。それは、素晴らしい話です。

長谷川さん: そう。素晴らしい。それを絵本に書いた。

――実体験があったんですか?

長谷川さん: 実際、自分の家で起こったんだから。
もし失敗したら「じゃ私、これで家に帰ります。タクシー呼んでいただけますか?」「そうじゃないよ。ここはあんたの家だよ。」「いや、そうじゃないですよ。私の家は別にあるはずですから、とにかくタクシー呼んでください」ケンカになるんです。暴れるでしょ。

――そうなりますよね。もう心配ないよ。みんなおじちゃんのことを分かってるんだからという、そういう気持ちに、優しい気持ちになってあげられるっていうのは、本当に大事なことなんですね。

長谷川さん: 大事なことですよ。

――逆に今、患者さんの立場になってみて、現役時代に患者さんにもっとこうしてあげればよかったかと思うことはありますか。

長谷川さん: そうね。やっぱり患者さんを診療した時に、恥ずかしいけども患者さんから教えられたことはたくさんある。なるほどそうだなって。
例えば、ある患者さん。その人はアルツハイマー病なんだよ。僕は医者がよく使っている丸イス。患者さんは、立派なしっかりしたイスに。そしたらね、その患者さんは「はい」って言って背もたれの方に座ろうとした。「いや、そっちへ行ったらあなた転んじゃいますよ」って言って僕は立ち上がって慌てて、こっちへ座ってくださいって。これは、自分とイスとの位置関係がわからなくなっちゃうため。
「先生。私はどうしてアルツハイマーになったんでしょうか」って。「どうしてって言うと、アミロイドβタンパクがああなってこうなって…。」「そうじゃなくて。他の人じゃなくてどうして私だった。よりによって、なぜ他の人じゃなくて私なんでしょうか」って。分かった、質問の意味。国立大学を卒業して、普通は技術畑になるところだけど、頭が良くて能力があるからチーフになって。だから「そうですねえ。それは僕にはよく分からないけども、本当にそう思いますよ」って言って、彼の手を握って。そしたら彼も納得して帰って行った。

ある時はまた、家族と患者さんと僕と3人。患者さんは僕に「先生は、おいくつですか?」って言うから「88歳ですよ」「そうですか」。そしたらすぐまた「おいくつですか?」って。3回くらいですよ。私も、ビックリしてね。奥さんに「こういう状態で大変ですね。どういうふうに対応してらっしゃるんですか?」って聞いたら、「先生、私の方はこういう状態はかえって有難い」「えっ。どうしてですか?」「ご存知のように夫婦だけ、年寄り同士ですから毎日顔合わせてると話題は無くなりますよ。ところが、この人は同じ質問をしますから、私は同じ答えをすればいいわけです。こんなに楽なことはありませんよ」って。
なるほどな。もう、ひと言も返す言葉がなかった。

認知症医療の第一人者である長谷川さん自身が「私は認知症です」と公表した。その勇気とともに、医師と患者、双方の立場から語る長谷川さんの経験談に、多くの患者さんやその家族が勇気づけられているのではないでしょうか。

長谷川さん: 認知症が「その人らしく生きていく」っていう、ひとつのきっかけになればね。みんながそういう対応してくれればね。さっきも言ったかもしれないけど、毎日の暮らしが上手くいかなくなるっていうのは、最終的な、本質的な障害なんだよね。それを理解してあげればね。「大丈夫ですよ」って言ってあげるだけでもホッとするだろうしさ。
申し上げたとおり「暮らしの障害」なんだからね、お互いに心の絆っていうのを大切にして生活する。そしてその心の絆っていうのは、一人一人がみんな違うんだから、一人一人が尊い存在であり、一人一人が大切な存在であることをよく自覚して、そして、今、今の瞬間。過去はもうよし。今を大切にして、今何を自分ができるかっていうことを努力して、そしてそれを明日につなげる。未来につなげる。そういうことが、大切じゃないか。そういう人を育てて行くってことが大切。

――さきほどご自身で、少しでもまだ社会のために役立ちたいとお話しされていましたけど、そういうお気持ちでこれからもいろいろなさっていきますか。

長谷川さん: そう。そのつもりでいます。どんなことがあるか分からないかもしれないけど、出きるうちはね、そういう貢献をさせていただきたい。そのことが、良く死ぬことだと。良く生きることは、良く死ぬことだと、そう思う。