健やかな暮らしのヒントをお送りする「からだの知恵袋」。心の健康をテーマに、リラックスやリフレッシュにつながる瞑想(めいそう)法をご紹介しています。今回のテーマは「苦手なことへの向き合い方」。禅僧で医師の川野泰周(かわの・たいしゅう)さんにお話を伺いました。(聞き手:齊藤佳奈ディレクター)
川野泰周さん
【出演者】
川野:川野泰周さん(林香寺住職、精神科・心療内科医)
健やかな暮らしのヒントをお送りする「からだの知恵袋」。心の健康をテーマに、リラックスやリフレッシュにつながる瞑想(めいそう)法をご紹介しています。今回のテーマは「苦手なことへの向き合い方」。禅僧で医師の川野泰周(かわの・たいしゅう)さんにお話を伺いました。(聞き手:齊藤佳奈ディレクター)
川野泰周さん
【出演者】
川野:川野泰周さん(林香寺住職、精神科・心療内科医)
――きょうはどんなお話でしょうか。
川野:
はい。「私ってどんな人?」というタイトルですが、ご自身の心を不安定にしているもの、否定的な考え、ネガティブな感情というものと、どう付き合うか、その付き合い方を見直して、自分自身で平穏な心を育むためのトレーニングをしたいと思います。まず、皆さんにお聞きしたいことがあります。
何か「苦手な食べ物」で、もう何年も食べないようにしているものってありますか?
あるいは、「不得手なこと」で、なるべくやらないようにしていることはないでしょうか?
食べ物の場合、アレルギーや文化的な背景も影響しますので、避けているものがあること自体は、人によってはむしろ健康上、大切なことです。今は、「原因ははっきりしないけれど、何となく避け続けているもの」に着目します。
――食わず嫌いみたいなものですね。
川野:
そうですね。中には、その食べ物を想像しただけで、暗い気持ちになったり、吐き気や恐怖を引き起こしてしまったりするケースがあります。苦手意識の度合いがとても強いということですね。食べることに限らず、想像するだけで不安になったり不快に感じたりするため、できるだけやりたくないことがある方もいらっしゃるかもしれません。
川野:
このように、特定の対象が心の中で不安や恐怖感、あるいは自分自身に対するイメージと強固に結びついてしまうことを、心理学的には「認知的フュージョン」と呼びます。身近な例としては、恋愛で昔うまくいかなかった経験がある方が、その後別の誰かを好きになっても、「自分は恋愛下手だから」とその思いをなかなか打ち明けられないといったことや、小学校時代、みんなの前で発表する際にうまくできなかった経験のある方が、社会人となっても、人前で話すときにうまくふるまえない、といったことがあるかもしれません。
――認知的フュージョン。フュージョンというのは、言葉としては融合とか「合わさる」という意味ですね。
川野:
はい。直接的なアレルギーはないけれど、「苦手さ」の度合いが著しくて、その意識によって恐怖や寒気などが引き起こされる場合、苦手意識と現実を混同してしまって、影響を受けている状態と考えます。逆に言えば、現実と、苦手意識とを切り離せなくなっている状態です。
――「掃除、片づけが苦手」も入りますか…。頭っから「私は片づけが下手だからな」というのがあって、やろうとするとしんどくなります。
川野:
テーマとして身近ですよね。掃除が苦手、という意識に引きずられて、ささっとやれることもおっくうになってしまう、掃除でなくても、勉強が苦手、だから自分はダメ人間、というふうに自己肯定感を下げてしまうまで至る場合には「認知的フュージョン」の可能性がありますね。
――川野さんにはそういう経験はありますか。
川野:
それはもう、いろいろありますよ(笑)。特に印象深いエピソードがあります。恥を忍んで申し上げますけどね…、私がまだ若いころ、「採血」がとっても苦手だったんです。もう20年近く前のことになりますが、医師免許を取得して間もないころ、研修医の時代に経験したことなんです。
――はい…。
川野:
研修医にとって、点滴や採血といった、患者さんに針を刺す仕事は、上級の先生方をサポートする大事な仕事なんですね。私も初めのうちは問題なくその業務に当たっていたのですが、ある日、ひとりの患者さんの採血を3回も連続で失敗してしまって、先輩ドクターに代わっていただくことがありました。その日を境に、私は採血にも点滴にも、どんな患者さんが相手でも失敗するようになってしまったんです。針を持つと、手先が震えるようになってしまって、患者さんに対する申し訳なさ、恥ずかしさ、情けなさがせまってきて自信喪失の状態だったんですね。
――自信のない先生の採血って怖いですね…。
川野:
ごめんですよね、そんなの。でもある日、上の先生が私に「あしたは君、一日採血室で勤務しなさい」と言ってくれました。
――採血室っていうのは、聞く限り、採血だけするところですよね。
川野:
そうです。どの科を受診したのかにかかわらず、採血が必要な患者さんは皆さんいらっしゃる、そんなお部屋です。「人選ミスだよ…」という気持ちは何とか胸にしまいつつ、翌朝、緊張の面持ちで採血室へ行きました。
10人ほどのベテランの検査技師さんたちがずら~っと横一列に座り、次々とやってくる患者さんを高速で採血するという、すさまじい光景が広がっていたわけです。私も、おずおずと採血を始めました。隣に座った検査技師さんは母親くらいの世代のベテラン技師さんでしたが、私の不安げな顔を見て、「患者さんたくさん待っているからね。とにかくやるしかないんだから」ときぜんとした、それでいて温かみのある口調で声をかけてくださいました。その言葉に背中を押されて、「よし! とにかく目の前の一人の患者さんの採血に集中! それだけだ!」と開き直ることができたように思います。
――そうでしたか。
川野:
患者さんに痛みや不安を与えないよう、声をかけながら細心の注意で採血を進めました。途中失敗もしてしまいましたが、いずれも2回目で成功することができました。2回も痛い思いをしたのに、「新米の先生、ありがとうね。頑張ってね!」と笑顔で励ましてくださる患者さんもいらして、たくさんの勇気をいただきました。
――だいたいどのくらいの人数を採血されたんですか?
川野:
無我夢中だったので認識していなかったのですが、データを見ていた技師さんによると100回ぐらいしていたそうです。その総数もさることながら、私が驚いたのは、失敗したのはわずか3回~4回くらいだったことでした。もちろん失敗しないに越したことはありませんが、それまでの私の苦手意識からすると、驚異的に思える少なさでした。この日を境に、採血への私自身の不安は解消され、患者さんの採血に冷静に向き合えるようになりました。
私自身が採血という行為を「苦手だ」と思い込んで、その思考がまるで「私はもともと採血ができない人間なんだ」という事実のように感じられてしまい、それに基づいて採血の動作という実際のパフォーマンスが大きく低下してしまった例ですね。お話ししたかった大切なことは、私が苦手だった採血を、どのように克服したか、その部分なんです。
――お聞きしたいですね。
川野:
心理学の分野では、認知的フュージョンが想定されている人に対して、それを緩和することを、「脱フュージョン」といいますが、その手法がいろいろと研究されてきました。その1つに、マインドフルネスの瞑想が挙げられます。マインドフルネスとはつまり、「目の前の行為に注意をしっかりと向けて、その際に生じた感覚に良し悪しの判断を加えない」という心の姿勢です。
採血室での私を思い出せば、次々とやってくる患者さんに応じるためにはもはや迷っている時間はなく、必死に採血業務に集中した。たとえ途中失敗があっても、すぐに気を取り直してもう一度行うしかありません。つまり、必死に目の前のことに「全集中」して、出来栄えを過度に良いとか悪いとか評価するいとまもなかった。
同じように、苦手と思い込んで困っていることがあれば、マインドフルネスの瞑想は、それを和らげ、克服するための助けとなるかもしれません。「人前で話すのが苦手」「電話対応するのが苦手」「目上の人に相談事を持ちかけるのが不安」など、人それぞれ苦手な事はあると思います。しかしそれが、長年の苦手意識によって、確固たる事実のように錯覚されているような場合には、日々の瞑想習慣が、そうした過度の苦手意識を和らげることにつながるのではないかと思います。
――では具体的にどんな瞑想をしてみたらいいのでしょう。
川野:
きょうは、いざ不安や苦手意識を感じた際に、いったん一歩下がって、自分を観察する助けとなる瞑想法をご紹介します。私はこの瞑想法を普段は「三段階分析法」と呼んでいますが、分かりやすく言えば、「思考・感情・体感(体の感覚)で自分を観察する瞑想」といったところでしょう。もとは海外の瞑想法で、今回は、より取り組みやすいようアレンジしたものです。
(♪BGM:広橋真紀子「静けさの彼方で」)
はじめに:
目を閉じて、軽く背筋を伸ばして座り、深呼吸をします。次に、ご自身にとって苦手だな、と感じている物事を1つ、思い出します。その物や状況をイメージするとどんな気持ちになるでしょうか。あまりにも苦しく、つらくなってしまった場合には無理をせず、深呼吸をして瞑想を終えましょう。無理のない範囲で行ってください。それではここから、ご自身の心や体に起きていることを三段階に分けて、ゆっくりと観察していきます。
「思考」の観察:
第一段階は「思考」です。頭の中にある考えを具体的に観察してみましょう。「今、こういう考えが浮かんでいるな」「こういうシーンを思い出してつらくなってきた」など、頭の中にある思考を具体的に探し、文章で表現してみます。
「感情」の観察:
第二段階は「感情」です。心に起こる直感的な変化に注意を向けてみます。「感情」は、文章ではなく、一つの言葉で表現できると思います。例えば、「怖い感じ」「焦り」「不安感」「逃げたいような衝動」など。どれが心の中に今あるのか探して、短い言葉で表現してみましょう。いくつかの感情が混ざっていても結構です。
「体の感覚」の観察:
第三段階は、体の感覚「体感」です。思考や感情には、体の感覚が伴っていることが多いものですが、私たちはふだん、それを分けて感じることがなかなかできません。ここではあえて体の感覚だけを察知するために、一度頭のてっぺんから足の先まで、まるでCTスキャンに入ったかのように、さっと感覚を探してみましょう。「なんだか喉がつかえるような感じだ」「少し胸がむかむかする」「ドキドキする」「頭が重い」「お腹がきゅーっとする」など、心の中で、それを表現してみましょう。
客観的にとらえて、手放す:
こうして、「思考」「感情」「体感」という三段階で、自分の心の中に起こっている現象を客観的に観察できたら、最後に一度大きく深呼吸をします。吐く息と共に、全てのネガティブな思いを吐き出すイメージをしてみましょう。何度か繰り返します。
川野:
この瞑想は、自分自身にある苦手意識を客観的に観察する瞑想でした。これをすることで、苦手意識と距離をとることができ、嫌悪感や不安を和らげることができるかもしれません。そして日々継続することで、さまざまな物事に対して、やってみよう! というオープンな心で向き合えるようになるのではないでしょうか。
「ふと見上げると」(川野さんが林香寺より撮影)
川野:
最後は禅語のお話です。「廓然無聖(かくねんむしょう)」という禅語があります。廓然というのは、カラリと晴れ渡る様子を表す言葉です。これは今から1500年以上も前、「ダルマさん」で知られる達磨大師が、当時の皇帝「梁武帝(りょうぶてい)」から「仏教の聖なる真理とは何か?」を問われて答えたとされる言葉で、「ただカラっとして晴れやかだということであり、聖なるものなどありはしない」という意味でした。真理という言葉に捉われていては、本当の自分を見失う。ただカラリと晴れ渡る空のように、自分が知らず知らずのうちに心の中で作り出してきた固定観念や苦手意識からも自由になれたら、人生はもっと軽やかに、豊かになってゆくのかもれません。
――ありがとうございました。
【放送】
2023/07/12 「ラジオ深夜便」
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