命に“線引き”は必要ない ①

22/03/31まで

ラジオ深夜便

放送日:2022/02/11

#インタビュー#家族#子育て#映画・ドラマ

重度の医療的ケア児で、24時間の医療的なケアを受けながら生活する西村帆花さん。自宅で14年間帆花さんとともに暮らしてきたお母さん・理佐さんへのインタビューをお届けします。

帆花さんは、生まれてくるときにへその緒の動脈が切れ、脳死に近い状態になりました。医師からは「目は見えず、耳は聞こえない。今後目を覚ますことも、動き出すこともありません」と告げられます。
それでも母親の理佐さんは、在宅で帆花さんと生活することを選択します。

2022年1月に公開された映画『帆花』では、3歳から6歳までの帆花さんが過ごした西村家の様子が記録されています。
映画を通じて帆花さんが「家族と暮らすふつうの子」であることを知ってほしいと理佐さんは願っているそうです。(聞き手・村上里和アンカー)


【出演者】
西村:西村理佐さん(医療的ケア児・帆花(ほのか)さんの母)

24時間ケアが必要な子と自宅で暮らすということ

――では、西村理佐さん、きょうはどうぞよろしくお願いいたします。

西村: よろしくお願いします。

――ご自宅とインターネットでつないで、理佐さんのお顔を見ながらお話を聞いていきます。
理佐さんはいまご自宅にいて、そしてすぐそばに帆花さんもいらっしゃるということで、帆花さんのケアのためにいろんな音が入る可能性があるということを最初にリスナーの方にお伝えしておこうかな、と思うんですが。

西村: いまちょうど帆花のケアの時間になりまして、主人が吸引をしているので、吸引するとき呼吸器を外す関係で必ずアラームが…いま鳴っていますけれど、これが吸引しているときの音になります。

――たんの吸引をされているんですね。

西村: 吸引には2種類ありまして、口と鼻、唾液と鼻水を吸う吸引と、のどに穴を開ける気管切開という手術をしているんですけれど、のどの穴のところに呼吸器を装着しているんですが、そこの呼吸器を外して気管内の吸引をするというのがあって、いま、それをしているときの音がしています。

――いまリモートでお会いしているんですが、きょうは日曜日ということで夫の秀勝さんもお仕事はお休みで、日曜日というとやはり理佐さんもホッとできる時間もあるのかなと想像するんですが、どうでしょうか?

西村: 日曜日だけがいろんなサービスを利用していない日になりますので、家族3人だけで過ごす休日ということになりまして、ほかの人の出入りがないという意味ではゆったりした時間ではありますけれど、私と主人からどちらかが必ず帆花のケアをしているというようなときが多いので、主人も私も何もしないでイスに座っているというのが連続して10分あるかないか…ぐらいな感じですかね。

――そうですか。その10分はすごく貴重な時間なんでしょうね。

西村: まあ、もう慣れているので。
例えば、主人がケアしている間に、私が気付いたらソファーで気を失って寝ていた…みたいなことも、しょっちゅうあります。

――帆花さんは、きょうは朝からどんな様子ですか?

西村: ふつうの休みの日は本人も何の予定もないので、顔つきが緩んで、“オフ仕様”みたいな。
「きょう、丸い顔してるね」と主人と言うんです。

――先ほど帆花さんにもリモートでごあいさつさせていただいたんですが、本当にほんわかしていました。かわいい帆花さんでした。

西村: ありがとうございます。

――「医療的ケア児」ということばがありますけれど、帆花さんの場合は24時間のケアが必要ということで、ずっと手をかけてあげる必要があるということですが、具体的にはどんなことをしているんでしょうか?

西村: さまざまなケアがありますけれど、帆花にとっていちばん大事なのが排たんのケアといいます。

ふつうの呼吸をしていると、「たんが気管の中にある」ということを意識せずに過ごせると思いますし、例えば「たんがからんだな」と思ったら、せきをすることでたんを出せるんですけれど、帆花の場合せきをすることができませんので、こちらがたんを取ってあげなきゃいけないんですね。

たんを取る作業というのが、先ほども申しましたが、吸引という作業になるんですけれど、吸引して上がってきているたんだけを取ればいいということではなくて、本人が吸引する場所までたんを上げられないんですね。
たんを吸引する場所まで上げるお手伝いをしてあげる、ということが排たんの介助ということになるんです。

いちばん大きいのは、体の向きをこまめに変えてあげること。「体位変換」といいます。
さっきまで左を向いていたのなら、上を向いて、上を経由して右に向かせる。

30~40分おきに体位変換をしながら吸引をして背中をさすってあげるとか、たんを促すお手伝いをするということが常に、夜中でも必要になります。
それをしないと、たんが詰まってしまって、呼吸器を着けていても呼吸ができなくなってしまうということが起きてしまいますので、そこにいちばん注意を払わなくてはいけません。

――そのほかにもいろいろ、体温調節があったり、あと、経管栄養というんですか、栄養も入れてあげたりと、常に帆花さんのことを見ている、思っている、手をかけているという状態なんですね。

西村: ベッドのところに張り付いてじっと見ているというイメージではなくて、何かをしながらでも、モニターの音とか、漏れてくる息遣いの変化とか、耳だけはいつもそちらに注意が向いていますので、ちょっと「何か変な感じがしたな」と思ったら走って見に行く。そういうことができるようにはなっています。

――いま帆花さんは特別支援学校の中学部に所属されているということですが。

西村: 基本的には「訪問籍」といいまして、先生が週3回自宅に訪ねてきてくださいまして、1回100分の授業を受けております。
そのほかに、「スクーリング」といいまして、学校のほうに行って通学のお友達たちと一緒に授業を受けたり、文化祭や運動会といった行事のときには学校に連れていくこともあります。

――帆花さんはどんな授業が好きそうですか?

西村: 嫌いな授業というのがないくらい、集中力のある子で、親ながら感心する、真面目な子だと思うんです。何のときでも集中して、新しいことを学びたいという意欲が感じられますので、どんな授業でも楽しそうにやっています。
学校に行くときはお友達に会えますので、それはまた別の楽しみとして楽しそうにやっています。

映画に記録されたわが子と自らの成長

――帆花さんとご両親、理佐さん・秀勝さんの日々の暮らしを3年にわたって撮影したドキュメンタリー映画『帆花』が、ことしの1月、東京の映画館で公開が始まりました。このあと全国でも順次公開されていきます。

いまは14歳の帆花さんなんですが、この映画は3歳から小学校入学前、6歳までのご家族を追いかけています。
撮影後7年たって、ことし公開となりました。撮影後ずいぶん時間がかかったな、という印象ですが?

西村: 最初から「全国公開するような映画の撮影をお願いします」ということで始まった撮影ではなくて、当時監督が映画学校の学生さんでしたので、「卒業制作のために撮らせてほしい」という依頼だったんですね。

撮影が始まりまして「とても1年間だけでは撮りきれない」と思ったらしく、「もう少し時間をかけて、1本の映画にしていきたいので…」と変わったんです。
それで、3年間という長い期間をかけて撮影が終わったんです。

そのあと、私も一般公開できるなんて夢にも思っていなかった…と言うと、監督に失礼なんですけれど。
「どういうふうになるかな、それは彼が一生懸命やることだから」と思って過ごしていたら、7年もたってしまったという感じです。

――映画の監督は國友勇吾さんで、初監督、長編第1作。理佐さんは7年たってでき上がった映画を初めて見たとき、どんな気持ちでしたか?

西村: 本当にわが家の毎日のことが映っているし、自分の顔が画面に映るということの抵抗感といったら、見ていられないという感じ。

最初はそんなふうに見ていましたけれど、帆花が3歳から6歳になるときのことで、やっと帆花との生活に慣れて、帆花が元気に過ごせるケアがうまくいきだした頃で、「家族のはじまりの物語」だと私は思っているんです。
つらいこともたくさんあったので、見ると切なくなったり、懐かしかったり。

あとは、「吸引が下手だな」とか。
映画の中の帆花の声を聞いていると「いま、たんを取ってあげたほうがいい声しているのに、なんで私、吸引しないんだろう?」とか、そういう気がかりなことが多い感じで見ておりました。

――そのときから理佐さんのケアの能力というのがググッと上がっているということなんですね。

西村: あの頃からたくさん不調を乗り越えてきて、そのたびに「どうやったら元気に過ごさせてあげられるか」ということを日々研究してきたので、「あのときは未熟だったな」と、振り返ればそう思います。

――その映画を私も拝見して、真夜中のケアの様子や、家族でお花見に出かけて行く様子だったり、あと、理佐さんと秀勝さんの結婚式の映像など、いろんなシーンが心に残っているんですが、全体を通していちばん心に残ったのが、帆花さんのホワッと明るくて、とてもあたたかそうな存在感でした。

厳しい状況を感じさせない表情に救われる

――帆花さんは、生まれてきたとき大変な状況だったのに、そのときからもう光に包まれているような子だったそうですね。

西村: 帆花は、私のおなかの中にいる間は元気に動き回っておりまして、特に大きな問題はなかったんです。

陣痛が始まって、「いままさに生まれるので、分べん台に乗りましょう」ということで私が分べん台に乗ったときに、「血性羊水だ」と先生がおっしゃって、そこで一気に分べん室の雰囲気が変わりました。
「これは何か一大事なんだな」ということは私にもすぐ分かりました。

そうしましたら、あれよあれよという間に先生が私のおなかの上に馬乗りになりまして、おなかをボンと押したんですね。自然に帆花が生まれてくるのを待っていては間に合わない、ということだったと思うんです。
おなかを押されて帆花が出てきた――出てきたというか、そのときが生まれた瞬間だったんです。
出された帆花は、NICUの先生たちがスタンバイしてくださっていたので、すぐに運ばれていってしまいました。

帆花に会えたのは、生まれてから4時間後ぐらいでしたか。
「会えます」ということで私と主人がNICUのほうに行ったんですけれど、帆花に会う前に別室を通されました。たくさんの先生たちが深刻な顔をしている部屋に通されました。
何が起きたかという説明を受けたんです。
「10分間の心肺停止があって、なんとか蘇生はして一命を取りとめたけれど、このあと生きていけるかということは五分五分だ」
と宣告されました。

どんなにつらい顔をした、死にそうな顔をした赤ちゃんの前に通されるかと思いましたら、目の前にいた帆花というのがホワッとして、全く「つらかったよ」という顔ではなかったんですね。
生まれたときから、そんな穏やかな顔していました。

――お母さんも大変だったけれど、帆花さんも大変だっただろうに、穏やかな顔でお母さんを迎えてくれたんですね。

西村: NICUの先生たちも、「厳しい状況で分べん室から運ばれてきた赤ちゃんなのに、この子、かわいいね」とみんなで言いながら蘇生処置をしていた、とあとから聞いています。
担当になった看護師さんは、「『この子はきっと生きるに違いない』とそのとき思った」とお話ししてくださいました。

――そうですか。理佐さんは、出産のあと精神的につらくて、それが体にもつらさが出てくるようになって、うつと診断されたわけですけれど、そこから救い出してくれたのも帆花さんだったそうですね。

西村: 突然のことだったので、何が起きたかということをうまく頭の中で整理することができなかったということが、混乱の1つの大きな原因でした。
あと、母親なので、「元気に産んであげられなかった」という気持ちがずっとあったんです。

私が母親としての気持ちにとらわれていることで、帆花自身が生きようとしているということ、大事な生きる意志をちゃんと見て取れてあげられないことがいちばんよくないんだな、と気付きました。
「帆花を元気に産んであげられなかった」と思うことはいったんやめよう、置いておこう。帆花には全く関係ないことで、私の悩みだから。いまのこの状況と一緒にするのはやめよう――と、ある日決心しました。

そうしましたら、帆花自身が生きようとしていること、かわいい1人の赤ちゃんであるということがまっすぐに心に入ってくるようになって、私もだんだんと現実を受け止められるようになっていきました。

【放送】
2022/02/11 ラジオ深夜便 人生のみちしるべ 「娘の“いのち”は明るくあたたかい」 西村理佐さん(医療的ケア児・帆花(ほのか)さんの母)


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