戦後日本に太極拳を広めた楊名時さんが父である楊慧さんは、志を引き継いで「健康太極拳」の師範として指導に当たっています。高校生のころ「教えてほしい」と父に申し出ると、「後ろで黙ってまねしなさい」と言われたそうです。細かいことは一切言わず、口にするのは「まあるく、柔らかく、まろやかに」。今だから分かる、ありがたみです。


1つのことを続けるって、すてき

―――楊名時八段錦・太極拳、「健康太極拳」と言っていますけれども、誕生して60年だそうですね。

楊さん: 本当は60周年という節目を記念して、大勢集まって太極拳をしましょうという企画を10月2日に行う予定だったんですが、残念ながらこのコロナでできなくなってしまいました。延期というかたちで考えてはいるのですけれども。

―――楊慧さんは『太極拳で100歳まで健やかに美しく生きる』というご本をお書きになりましたが、この本でどんなことをお伝えしたかったんですか。

楊さん: 平均寿命が長くなりまして、何か1つでも自分が楽しく続けてこられたものを持っているかどうかで、すごく違う世界が見えてくるんじゃないかなって感じましてね。「健康寿命」と簡単に言うけど、仲間がいて一緒に「楽しいね」って体を動かす場面を持っている人は、生き生きしている。コロナ禍で仲間とできなくなっても、一緒にやっていたという経験を持っているから、おうちで1人で「またいつか一緒にできるかな」と思いながら動くことができる。何か1つのことを続けていくことってすてきだなっていうことを、伝えたかったんです。

太極拳は何歳からでも始められます。私のクラスには「90歳になったので始めたい」と入ってこられた方もいます。人と比べたり競技したりというスタイルではなくて、自分自身がいかに力を抜ける場があったり、ゆっくり深い呼吸ができたり、まあるく柔らかく体を動かす一連の動きにのって前進したり後退したり、あるときはゆっくり片足を上げたり、それを続けることが本当に心を落ち着かせてくれて、終わったあとに「いい呼吸ができたなあ」って、すごくすがすがしい気持ちになるんです。太極拳はいつからでもできるし、誰でもできるし、年を重ねれば重ねただけ、そのときに味わえる心地よさとか、その年齢になったから感じることができるゆるやかさとか、そういうものをどんどん積み重ねることができるんですね。

私が太極拳をやっている中で、生活の中に上手にいい呼吸や仲間との交流を取り込みながらいい年齢の重ね方をしている方が多いので、そういうエピソードを紹介することで、実技の本ではなくて「こんな仲間もいますよ。こんなふうに楽しいですよ」ということをご紹介したいと思いました。

戦時中日本に留学した父

―――太極拳といいますと、ちょっと難しそうな感じがします。分かりやすくお話しいただけますか。

楊さん: 簡単に言うと「中国の長い歴史の中で生まれた体術です」というのが1つの言い方かなと思うんです。体術というのは、身を守る、例えば武術の1つということで、攻撃があって防御がある。これはツルとかヘビの動きをもとに編み出された体の使い方で、攻撃・防御を含んだ動きであるということは言えます。
背景には、東洋の宇宙観、大自然、大宇宙があります。自然に流れる偏りのない陰陽、ですね。天があれば地があり、明るいところがあれば暗いところがあり、相反するものが調和して混とんと混ざり合いながら1つのものがかたち作られるという、そういう大きな太極思想というか宇宙観みたいな、万物のはじまり、でしょうかね。

これも父からよく言われたんですけれど、大宇宙に自然の調和や相反するものが混とんと混ざり合っているのと同様に、私たち人間もひとりひとりみんな違っていて、あなたの中にはあなたの陰陽調和、半分はゆっくり休み、半分は活動している。体の使い方で言えば、手の動きがあって足の動きがあって、これもみんな陰陽調和。あなたの体は大宇宙と小宇宙なんだよ、と。自分の調和をとりながら大宇宙ともつながりながら、よい流れを体に作っていくのが太極拳ですよって、言われたんです。
体の中にはさまざまなものが循環していると思うんですけど、よい気を巡らそうというのは、気の行くところには血液も流れる。循環させることで、偏りなく動いていくよということです。柔らかく力を抜いて楽に動けば、体の中を上手に動かしていくことになる。大自然の流れに逆らわないのが太極拳だ。大きな世界の中に、自己を委ねて調和していく、バランスを取っていくという思想を背景に持ちながらの武術なんです。

だからすごく奥が深くて、父が子どものころにお父さんから習ったのは、108とか127のすごく長い技だったみたいです。でもそれを1950年代に、中国の国家が国民の健康保持にとてもいいものだからということで特別なプロジェクトを組んで、24の動作を選び抜いて誰でも覚えられるような「簡化太極拳」を制定したのが、今日につながる太極拳のもとなんです。この「二十四式」が非常に注目されて、日本に留学していた父のもとに友人を介してこのポスターが送られてきたそうです。
それを見たときに、父が自分の父親から習ったものはもっと長いものだったけど、こんなふうにまとめられたのはすばらしいなと感じたと言っていたのを思い出しますね。でももし自分がこれを日本の方にお教えするならば、このままのスタイルじゃないほうがいいんじゃないかなと感じたとも聞いています。

―――お父さまの楊名時さんは、18歳のときに京都大学に官費留学されました。1943年、戦時中ですね。どんなきっかけだったんですか。

楊さん: 多分、中国も内乱がすごく多い時代だった。若い人たちが将来に夢や希望を持つのは難しい時代だったと思うんです。父は生まれた家が豊かだったし、勉強もスポーツもすごくできて、やんちゃではあるけれども優秀だった。中国にこのままいたのでは夢が持てないなというときに、優秀な生徒は留学の機会があると知って、国を出て学ぶことができるなら何か得るものがあるんじゃないか、かえって国のためになるんじゃないかと思って、官費留学生の試験に合格して日本へ留学することになったようです。

―――外交官という夢があって京都大学に行かれたと伺っています。

楊さん: 正確に言うと、日本に来て1年間は東京で中国の留学生だけが行く高等学校というか、日本語や日本のことを学ぶ学校へ行ったそうです。その1年間で、金田一春彦先生や生物学の湯浅明先生などすばらしい先生方が、親身になって留学してきた父たちを指導してくださったそうです。その思いを留学生のみんなもすごく受け止めて、おつきあいはずっと続くことになります。金田一先生とは父もずっと交流していて、先生も太極拳をなさったりそういうご縁を大事にしたので、のちに父が太極拳を広げる場面になって多くの方のお力を借りることもできました。またそれが、多くの仲間が集まる要素だったのかもしれないと感じています。

日本に来て最初の年に、静岡の龍澤寺(りゅうたくじ)という禅寺で座禅を1週間組んだようです。京都の大学に行ってからは、お寺とかを歩くのも大好きでしたし、出会った先生方が能楽堂などにも連れていってくださって、日本の文化に触れる機会を持つことができました。どの国にも文化があっていろんな背景があるけれども、中国にもいいものがある、日本にもいいものがある、というふうに、触れる機会をたくさん持てたんじゃないかなと思うんです。
偏らない、こだわらない、大きくいろんなものを包み込んでいこうという感覚は、若いとき、日本に来ていろんなものに触れたことによって、大きく感覚が膨らんでいったのかなと感じます。

太極拳で日中の懸け橋に

―――そうしてますます日中の間を結ぼうというお気持ちが強くなったんでしょうか。

楊さん: そうですね。中国も大変な社会の混乱、政治の混乱の時代でした。夢を持って希望にあふれて日本に来たけれども日本も戦争の大変な時代だったので、戦うというのは何もいいものを生み出さないと強く感じていたみたいです。政治とかいろんな心情はあるだろうけれども、父の中にはそういうものを超えた平和を願う気持ち、平和な国を世界に広げていきたいという思いがあって、外交官を目指していたというところにもつながっていたのかもしれませんね。

―――そういうお気持ちがあって、ご自分は中国の太極拳を身につけている。それをなんとか日本に普及したいなということで、日本の心・和の心を組み込んだ太極拳を作り上げてきたということでしょうか。

楊さん: 本当は多分、学業を終えたら国へ帰るというのが父の最初の思いだったと思うんです。でも中国の政治状況がまた大きく変化していたようで、すごく悩んで葛藤して、自分はもう外交官にはならないけれども、日本でたくさんお世話になってすばらしい先生方と出会って日本のいい文化を知った。自分は中国から来て中国の武術が好きで太極拳も好きだった。これを日本の方たちに、健康を願わない人は誰もいないから普及することができれば、日本と中国の1つの懸け橋になれるんじゃないか。職業としての外交官ではないけれども、日中を結ぶ役割ができるんじゃないか。そうしようと心に定めた。そんな話を聞いたことがあります。

まあるく、柔らかく、まろやかに

楊さん: 最初は日本の大学の講師をしたり、三鷹のほうにあったアジア・アフリカ語学院で外国から来る方たちに中国語を教えていたんですけれど、授業の合間に太極拳をやりましょうと指導し始めたのが、正式なかたちではないけれども、そのころから意識し始めていたようです。30代半ばくらいです。公園とかいろんなところでやってみせていたと聞いています。父はもうこのあたりから、中国の太極拳を翻訳した本のままやるのではなくて、心を込めて柔らかく、体じゅうを動かすことで心地よい呼吸ができるということを大事にしようと、徐々に自分らしい太極拳を作り上げていたような気がします。

―――それをお父さまからどう引き継がれたのでしょう。

楊さん: 父は私に、こうしなさいとかこれをやりなさいということは一切言わなかったんです。小さいときから、父が太極拳を仲間とあちらこちらで少しずつやっているのは見ていましたけれど、自分もやってみようという気持ちにはなかなかなりませんでした。でも高校生ぐらいのときに、仲間が父の太極拳に共感する思いを持ってやっている姿を見て、「私も知りたい」「私にも教えてほしい」と自分から父に願い出たんです。そしたら「いいよ」って。毎朝パパは庭、といっても狭いんですけれども、そこで太極拳をやるので、「慧ちゃん、後ろについて一緒にやってごらん」というところがスタートだったんです。

私は早く1人でできるようになりたいという思いをすごく持っていたんですけれども、父はことばで教えてくれない。毎朝とにかく「後ろで黙ってまねしなさい」と言うだけで、うっかり私が「この足はどう出すの?」「手はどこですか?」とか言うと叱られちゃうんです。「それじゃ覚えられない」って言うと、「覚えなくていい。一緒にやってればいい」。私は若かったので、「いやいや、ダメダメ。これじゃ覚えられない」と。

今になってみれば、父の教え方ってすごかったんだと思います。頭にいっぱい入れ込んで覚える必要はないということを教えてくれてたんですね。でも若くてそれが分からなかったものですから、教室もそろそろでき始めていたので「父に内緒でこっそり入って習おうか」とか、そんな焦った気持ちになったときもあったんです。
でも父に「まねしなさい」と言われて太極拳を覚えたことは、すばらしい教え方をしてもらったとありがたい思いです。とにかく、「心も体も柔らかくね」って。「まあるく、まあるく」。それから時々「まろやかに」ということばを使うんです。「ゆっくり動きなさい。柔らかく、まあるく、まろやかに。心も体も柔らかくね」。それがすごく印象に残っていて、「この手がこうだからああですよ」とか、「足はこうしてこうですよ」というような指導は、本当に父からは受けなかったです。

<健康を願って 太極拳60年の歩み (後編)>