チャップリンの『絶望名言』 後編

21/05/12まで

絶望名言

放送日:2021/04/26

#絶望名言#舞台#演劇#映画・ドラマ#音楽

世界の喜劇王として名をはせるようになっても、チャールズ・チャップリンは自身の苦労を“賛美”することはありませんでした。「貧しさを魅力的なものに見せようとする態度は不愉快だ」とも言っています。
笑えるけど泣きたくなる。チャップリンの映画そのものの人生の中に、頭木弘樹さんが絶望名言を読み解きます。(聞き手・川野一宇アナウンサー)

【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)

そして、少しのお金

人生に必要なのは、勇気と、想像力と、そして、少しのお金。

チャップリン(頭木弘樹訳 映画『ライムライト』より)

♪(BGM)「ラ・ヴィオレテラ」 映画『街の灯』より

――この曲はチャップリンではなく、ホセ・パディラの作曲です。チャップリンお気に入りの1曲だったそうです。

頭木: この言葉はですね、前向きでポジティブな言葉として取り上げられることが多いんです。たしかに「人生に必要なのは、勇気と、想像力」までだったら、完全に前向きでポジティブな言葉だと思うんです。でも、「そして、少しのお金」というのがついていますよね。これをつけるのがチャップリンで、決して軽い気持ちでつけた言葉ではないと思うんです。

――お金は少ししかいらない。つまり、お金なんか重要じゃない。「清貧」とか「欲がない」とか、そういうイメージかと思いましたが……。

頭木: 私はむしろ、少しのお金がどうしても必要なんだという、とてもシビアな発言だと思うんです。というのも、チャップリンは子どものころ、その「少しのお金」がなくてとてもつらい思いをしているからです。

チャップリンの両親は2人ともミュージックホールの寄席芸人でした。チャップリンが3歳になる前に別居して、母親が子どもたちを育てたんですが、とても貧しい暮らしだったんです。子どもたちの3分の1が5歳になるまでに命を落とすという、それくらい貧しい地区で暮らしていたんですね。
苦しい生活の中で、母親は心を病んで入院してしまいます。チャップリンは、6歳で貧しい子どものための施設に入れられてしまうんですね。そういう暮らしをした人が、「少しのお金」ということを、軽い気持ちで言うはずがありません。

私はチャップリンほど大変な暮らしをしたことはありませんが、難病になって、その時点では「一生、親に面倒を見てもらって生きていくしかない」と言われました。私は遅い子どもで親が歳だったので、この先どうやって生活していったらいいのか、ぼう然としたんです。生活費や薬代を寝たきりでどうやって稼いだらいいのか、まったく思いつかなくて、このままでは親がいなくなったらお金がなくて死ぬしかないのかなと思いました。
ですから、ベッドの上で原稿を書くようになって、それがようやくお金になり出して、初めて年収60万円になったときには感激して涙が出ました。

――年収、ですか……?

頭木: そうです。1年で、なんですけど、やっぱりベッドの上で稼ぐんですから、私としては奇跡のようでした。「よくやったなあ、自分」と思って、感動しました。

ですからこのチャップリンの言葉を聞いたとき、最後の「そして、少しのお金」というところが、ぐっときました。ほんと「少しのお金」というのは、人生にどうしても必要だなあと。大金ではなく「少しのお金」だからこそ、切実なんです。

川野さんはいかがですか。お金で苦労されたこと、おありですか。

――私は昭和25年に小学校1年生で、当時は日本中がほとんど貧しかったので自分の家が特別貧しい感じはなかったんですが、うちは母親1人で子どもが3人だったものですから、母親は苦労したわけです。あるとき、買い物にいって大きなお金で払っておつりをもらったらお金が増えたように感じて、「おかあさん、お金が増えてよかったね」と言ったら、母親が涙してましたよ。そんなことを思い出しました。

頭木: そういうご経験がおありなんですね……。
ちなみに、このチャップリンの「お金」という言葉は、元の英語では、moneyとかcashとかではなくdoughなんです。お金を表す俗語で、パンの生地のことだそうです。まさにお金って、食べるパンになるものですよね。

貧乏賛美は不愉快だ

わたしにとって貧困とは、魅力的なものでも、自らを啓発してくれるものでもない。

チャップリン(中里京子訳『チャップリン自伝 栄光と波瀾の日々』より)

♪(BGM) 「愛する君」 映画『ニューヨークの王様』より

頭木: この言葉は、実はツイッターで教えていただきました。ご親切に「自伝の◯ページです」ということまで教えてくださいました。すばらしい言葉でとても感動しました。

チャップリンは、子どものころとても貧しい暮らしをしていたわけですが、そこから頑張って世界的に有名になり、大金持ちになりました。まさに、めでたし、めでたし。困難を克服して成功したという、世間で最も好まれる人生物語のパターンですね。そういう場合、多くの人がこういうことを言い出すんです。「あの貧乏時代があったから今の自分がある。貧乏して苦労するのもいいものだ」、とか。

ところがチャップリンはそういうことを言わない。それどころか、「わたしにとって貧困とは、魅力的なものでも、自らを啓発してくれるものでもない」と真っ向否定するわけです。これは、克服した人は、なかなか言わないものですよ。一般的に、不幸な経験を無理にプラスにとらえようとする傾向が強すぎると思うんです。

――ただ、プラスにとらえられたら、それはそれでいいんじゃないですか?

頭木: 不幸な当人がそうとらえるならいいかもしれません。でも例えば貧乏を経験したことがない人や、貧乏を克服してお金持ちになった人が「貧乏もいいもんだ」なんて言うのは、貧乏な状況にある人たちがそのままでもいいんだと、肯定することになりかねないですよね。それはやっぱり大きな問題だと思うんです。

――確かに、そうですね……。

頭木: 自伝の中でチャップリンは、作家のサマセット・モームが自分について書いている文章を引用しています。モームはチャップリンについてこんなふうに書いています。

「わたしには、彼がスラム街へのノスタルジアに囚われているように思える。(中略)おそらく彼は、貧困と窮乏に苛(さいな)まれた少年時代に手にしていた自由を(中略)懐かしんでいるのだろう」。そして、ロサンゼルスの「もっとも貧しい地区」を歩いたときにチャップリンがこう言った、というんです。「ねえ、これこそ本物の暮らしですよね、そうでしょう? それ以外のものは、みんな見せかけですよね」。

こういう“貧乏賛美”って、よくありますよね。貧乏はすばらしい、貧乏は美しいんだ、みたいな。

――チャップリンは本当にそんなことを言ったんですか?

頭木: チャップリンは「言っていない」と真っ向否定しています。「ノスタルジアも感じていない」と。そして、こう書いています。

「貧しさを魅力的なものに見せようとする態度は不愉快だ」

すばらしい言葉ですよね。貧乏賛美の真っ向否定です。貧しさから抜け出したあともこういうことが言える人は、本当に少ないと思います。さすがチャップリンだなと思います。

――不幸を自分の力で克服した人は、不幸時代を懐かしがったり、他人にも「不幸は克服できる」と言うことが、あるかもしれません。

頭木: こういうエピソードがあるんです。
チャップリンはお金持ちになったあとに、お母さんをアメリカに呼び寄せます。晩年はお母さんも豊かに暮らせたわけです。精神状態も安定して見えたそうです。ただ、手にアザがあって、そのアザのことを尋ねられるととたんに精神状態が不安定になって、テーブルの上のパンをどんどんポケットに隠したというんです。
そのアザは、貧しい人たちが入る施設でつけられた印だったんです。だからそのアザのことを尋ねられると、貧しいときのことを思い出して、子どもたちに食べさせるためのパンをポケットに隠そうとしたんです。

そういう貧乏が、懐かしくてすてきなわけがないですよね。「貧乏や不幸もいいものだ」なんて勝手なことを言って貧乏や不幸を放置するのは、本当にやっちゃいけないことじゃないかなと思います。

生も死も避けられない

死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。

チャップリン(頭木弘樹訳 映画『ライムライト』より)

♪(BGM) 「愛のセレナーデ」 映画『伯爵夫人』より

頭木: チャップリンの『ライムライト』という映画を見ていてこの言葉に出会ったときは、びっくりしました。こういう考え方を、したことはなかったですから。

――前向きな言葉に思えますが。

頭木: そうですね。でも、生きることを「避けられない」というふうに、ある種、ネガティブにとらえるのって、おもしろくないですか? 私は病人ですから死ぬことはいつもおそれていますが、生きることに関して「避けられない」ととらえたことはなかったんです。

でも、考えてみると、選択して生きているわけではないんですよね。芥川龍之介の『河童』という小説で、河童がおなかの中の子どもに、生まれてくるかどうかを尋ねて決めるというシーンがありますが、人間の場合はそういう選択をしているわけではありませんよね。物心ついたらすでに生きているわけで、そのまま、生きているわけです。
自殺することはできますが痛かったり苦しかったりして簡単なことではないですから、そうすると、生きることも、考えてみると死ぬことと同じくらい、避けがたいわけです。「人はなぜ生きなければならないのか」というのは人生の大問題だと思うんですが、その答えが「避けられないからだ」っていうのは、かなり斬新だと思うんですよね。

私自身、病気で苦しいときなんかは「人はどうしてこんなに苦しんでも生きていくんだろう」と思うことがありますが、「生きることも避けがたいんだ」と思うと、少し楽になる気がしますね。

――子どものころ苦しい生活を体験したチャップリンだからこその言葉かもしれません。

頭木: そう思います。でもチャップリンの苦労は、有名になってお金持ちになってからもいろいろあるんです。
チャップリンの『独裁者』という映画がありますよね。

――ナチスのヒトラーを批判した映画ですね。

頭木: 今だと、ヒトラー批判の映画はたくさんありますからその一つに見えてしまいますけど、この映画を作ろうとしたのは、戦後ではなくて、まだヒトラーが絶好調で、アメリカでもヒトラーを支持している人が多かったときなんです。ドイツに投資しているアメリカの財界も製作に反対して、映画業界も海外市場が大切だったので反対して、四面楚歌の状態だったそうです。それでもチャップリンは作ったわけです。

――もしヒトラーが勝っていたら、命も危なかったでしょうね。

頭木: ほんと、そうですよね。ヒトラーとチャップリンは誕生日が4日違いなんです。チャップリンは1889年4月16日生まれで、ヒトラーはその4日後の20日の生まれです。顔もよく似てますよね、チョビひげで。なんで似ているのか不思議だったんですが、まねしたわけじゃなくて偶然らしいです。

ヒトラーが有名になってくると「似ている」と話題になったようで、ヒトラーも気にしていたそうです。そこに、『独裁者』という映画ですからね。ナチスは、「チャップリンはユダヤ人だ」とか反チャップリン・キャンペーンを展開したそうです。

――チャップリンはユダヤ人ではないですよね?

頭木: 私は実はずっとユダヤ人だと思っていたんです。だからヒトラーの批判もしたんだろうなと思っていたら、全然そうではないんですね。家系を何代さかのぼってもユダヤ人はいないそうです。
ユダヤ人だと結構誤解されていたのは、ナチスのキャンペーンのせいもありますが、当人があまり否定しなかったらしいんです。否定するときも、「残念ながら、違う」という言い方をしたそうです。

――否定することは、ユダヤ人を差別することになるかもしれない?

頭木: そういうことですね。アメリカでその後、いわゆる「赤狩り」が行われてチャップリンが共産主義者の疑いをかけられたときも、「共産主義者か?」と問われると、「違う」とは答えずに「平和の先導者です」という答え方をしているんです。チャップリンは自伝でこう書いています。「わたしは共産主義者ではない。だが、共産主義者を憎む連中に与(くみ)することを潔しとしなかったのだ」

チャップリンには、高野虎市(こうの とらいち)という日本人の秘書がいたんですが、採用したのは、日本人排斥の嵐が吹き荒れている最中だったそうです。こんなふうにチャップリンは、常にそういう姿勢を貫いているんですね。すごいと思います。

でも結局そのせいで、海外に出たときにアメリカへの再入国の許可を取り消されて、事実上、国外追放になるんです。あれほど愛されていたはずのアメリカから、追い出されてしまうんですね。

――では晩年も、大変だったんですね。

頭木: いろいろ大変だったみたいです。離婚問題で一夜にして髪の毛がすべて白髪になったり。
それからこれは『独裁者』を撮る前のことですけど、来日したときに五・一五事件が起きるんですが、実はチャップリンも暗殺の標的になっていたそうです。「アメリカのスターを暗殺することで、日米開戦に持ち込めると思った」という理由だそうです。このときもし日本で暗殺されていたら、大変なことでしたね。

困難を笑う

――最後に紹介するチャップリンの絶望名言について、ご説明いただけますか。

頭木: 大野裕之さんというチャップリン研究家がいらっしゃいます。チャップリンの未公開NGフィルムをすべて見ることのできた、世界で3人のうちの1人というすごい方です。今回ご紹介したチャップリンのエピソードも、この方の本で知ったことが多いのですが、その大野さんが、本で紹介しておられるチャップリンの言葉です。ナチスが、チャップリンを警戒してチャップリンに関する資料を集めていたらしくて、その中にあったチャップリンのインタビュー記事の、絶望や悲しみと笑いということについての言葉です。

――音楽は、映画『ライムライト』より「テリーのテーマ」ですね。

頭木: これも名曲です。チャップリンは、亡くなる5年前の1972年にアカデミー名誉賞を授与されることになって、20年ぶりにアメリカに戻りました。そのときに映画『ライムライト』も再公開されて、アカデミー賞の作曲賞を受賞しています。

――では、お聴きください。今回もありがとうございました。

多くの人から「どうやって痛ましさや人々の苦しみからコメディを作れるのだ? どうやって世界のもっとも大きな悲劇を笑うことが出来るのだ?」と聞かれます。
私はこう説明します、私たちが生き延びることができる唯一の方法は、私たちの困難を笑うことなのです、と。


チャップリン(大野裕之著『チャップリン 作品とその生涯』より)

♪(BGM) 「テリーのテーマ」 映画『ライムライト』より


【放送】
2021/04/26 ラジオ深夜便 絶望名言 頭木弘樹さん(文学紹介者)


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