「狩猟の現場を撮る」 写真家・繁延あづさ “命”のもっと奥へ (後編)

21/04/21まで

ラジオ深夜便

放送日:2021/02/26

#子育て#家族#コミュニケーション#どうぶつ#長崎県

ざっくりいうと

  • 俵万智が詠む 獣と肉のあいだ
  • 「ママ、おにくはなにからできているの」
  • 2021/02/26 ラジオ深夜便 ママ☆深夜便「ことばの贈りもの」繁延あづささん(写真家)

長崎に移住後、猟師のおじさんと出会って始まった狩猟体験は、繁延あづささんに大きな影響を与えたそうです。どうなるか分からないピンチの中でこそ、新しい風景が見えてくるだろうと思っているという繁延さんの言葉に、今だからこそ一層心に響き、勇気をもらえます。(聞き手・村上里和アナウンサー)

「絶対においしく食べてやる」

――繁延さんは狩猟の現場を見て、「絶対においしく食べてやる」というふうに強く思うようになったそうですね。

繁延さん: 最初の狩猟で肉を持ち帰るときに、すごくすごく思ってました。おじさんの軽トラックの助手席に乗って、ずっとそのことを思いながら帰ってきた覚えがあります。

――どんな気持ちからそう思ったんでしょうか。

繁延さん: 「おいしく食べてやる」って言葉にすると、昔話の鬼みたいだなと思って、最初はなんでこんなふうに思うのかなと思ったんです。山で(イノシシが)死んでいくときに、おじさんが「これは若いオスだ」って言ったんです。そうしたら私、すぐに息子とかが思い浮かんじゃって。なんかかわいそうなんですよね、やっぱり。こんなに死にたくなくって、こんなに生きたいって、そういうふうにしている生き物を今から殺すんだ、殺されていくんだって。そのときは同行してる身なので、おじさんの前ではひと言も言いませんけど。

繁延さん: すごい悲しかったし、見ているのが苦しかった。あれが息子だったらとか、あれが自分だったらとか、そんな想像もしちゃって。そういう想像をしたあとに、魂が抜けるように静かになったのを見たわけです。その肉をもらったら、「これを絶対においしくする」という気持ちが湧いてきた。そういう一連の流れを見たのと関係してるのかなって。うまく答えられてないですね(笑)。

――私たちは毎日食べてるのに、食べ物のもともとっていうのを想像しなくなっている。そういう部分をこのノンフィクションでは明らかにしてくれている。命っていうところにもつながっていきますよね。食べられる動物も命だし、食べている私たちも生きている。

繁延さん: 命のちょっと端っこに、やっとたどりついたというか。分かることの一部があるのかなと思います、山に行ってるのも。

――山に何度も行くと、山の風景がなじんでくるっていうのもおもしろいですね。

繁延さん: 山での当たり前の風景って、すごくハッとさせられるものがあるんです。たまたまだったんですけど、山で朽ちていく獣を見たことがあって、ひと言で言えば腐乱死体なんです。

繁延さん: たぶん山の獣たちや野鳥が食べてだいぶボロボロになってきていて、うじ虫がすごいたかってる状態で、ものすごい腐臭が立ちこめていて。最初は見ちゃいけない感じがあったっていうか、怖かったんですよね。胸が騒ぐような、怖い風景だったんです。
本には古事記になぞらえました。イザナギノミコトが亡くなったイザナミノミコトに会うため黄泉国(よもつくに)へ行くんですが、イザナミノミコトはそこでうじ虫にたかられてるところを見られて、怒り狂うシーンがあって。

――追いかけてくるんですよね。

繁延さん: あんなに会いたがって行ったくせに、怖くなって逃げるんですけど。そのイザナギノミコトの気持ちもよく分かる、みたいな書き方をしたんです。そんなおぞましい感じが最初して、その風景ってすごい頭の中に残ってて。
でも何度も山に行って、腐乱死体じゃなくても、死んでいたり骨だけになっているのとかいろいろ見る機会があって。そうするとその風景って、最初とちょっと印象が変わってきたというか。そうやって最後に全部きれいにするのはうじ虫とか小さな分解者たちで、ここはゴミが一個もないんだなとハッとした。毎日、私たちはゴミを捨てる生活をしてるから。

「生きることはゴミが出ることだ」くらいに思って生きてるのに、山の生き物にはゴミが一個も出ないんだなと。だから、だんだんとその風景がまたちょっと違って思えてきたんです。違って思えてくるのと同時に、人間の世界との違いみたいなものが見てきて。その多くは頭では分かっていることですけど、ハッとさせられるなっていう感じがいつもありますね、山に行くと。

――腐乱死体とかイノシシの魂が抜ける瞬間の話とかって、ふだんの現代社会の中でそういうシーンをなかなか見ることがないから、聞いていてドキドキしました。

獣が肉になる、そのあいだ

――繁延さんは自分が書いた文章や写真を本にして人々に手に取ってもらったときに、どんなふうに感じてもらえるのか、どんなふうに思われるのかとか葛藤したり考えたりということはありましたか。

繁延さん: 今回の本に関しては、著者として表したいということのほうが強くて。だから表紙の写真に関しても、手に取ってもらいやすいかどうかは怪しい写真になりました。

――表紙の写真を説明していただけますか。

『山と獣と肉と皮』 繁延あづさ著

繁延さん: イノシシのおなかが割かれていて、内臓とかが全部出されて、その裏側のあばらの骨が見えたまま干されているという表紙写真。この風景を説明をすると、冬の寒い時期にこうやって干すことで、より肉をおいしく食べるための工夫なんです。知らなければ結構インパクトがある、もしかしたらかわいそうなとか痛々しい写真なのかもしれないんですけど。
もう獣じゃないけどまだ肉になってない。この間のところっていうのを自分は一番見てきたし、そういうところを書いた本なので、その部分を表紙としてもってきたかった。

獣から肉になるあいだ

繁延さん: 本が出るのにあわせて長崎市立図書館が「出版記念講演をしましょう」って言ってくださったんです。図書館はいつものように広報活動として、たぶんいろんなテレビで「こんなイベントします」みたいな広報をするつもりだったんですけど、ことごとく……(笑)。すべての長崎のテレビで、この本を持って画面に映ることすら許されなかったらしいです。びっくりしました(笑)。

――それは衝撃があるだろうから、ということですか。

繁延さん: 人が不快になったり、ちょっとグロいっていうようなことを言われるだろうということでだと思います。出版社でも、実はこの表紙にするのに結構反対が起きて。表紙の最初のデザインはこれじゃなくて、もっと帯が短かったんです。けど、それじゃあ出せないってことになってしまって。いろいろ編集者も考えてくれて、帯を高くするっていう方法を考えてくれて。

――帯で写真の下半分ぐらいを隠していますからね。

繁延さん: 写真家なのに写真がチラッとしか見えないみたいな。

――でも、このイノシシを「楽器のようだ」と表現した方がいらっしゃいましたね。

繁延さん: そうなんです!

――この本の2刷の帯に俵万智さんの短歌が載っています。俵さんはこの本にインスパイアされたと、いくつか短歌を詠んでいらっしゃって。その中の一つが、このイノシシの写真を楽器になぞらえていましたよね。

俵万智さんの短歌が載っている2刷の帯

繁延さん: 「朝の楽器」とよんでくださいました。

――そして、帯に載せてある短歌は、こちらです。

イノシシの命輝くししむらの死体となりて肉となるまで

繁延さん: 俵さんの歌も、私が表したかった部分だったなってすごく思います。獣が肉になる、その間の部分がすごく感じられる。そこを詠んでくださったんだなって感じがして、うれしかったです。

「ママ、おにくはなにからできているの」

――繁延さんが自分の生活、人生を歩んでるときに一番大事にしているものって何ですか。

繁延さん: 家族かな、やっぱり。それしか思いつかないかもしれない。
大事にしてるっていうか、家族は私の一部。一部というより、人間が8割ぐらいまで家族といる私で構成されてる感じで。

繁延さんのお子さんたち

――繁延さんは、子育てにすごい苦労したり悩んだりっていうことは今までなかったですか。

繁延さん: めちゃめちゃありますよ。今も子どもとよくけんかしてるし。

――お兄ちゃんはもう思春期、中学3年生ですしね。

繁延さん: そうですよ! 時々家出もするし、もう困ってます。悩むっていうか、家出したときは「心配だな」とか、そういう感じですかね。悩んではいないかもしれないですけど、問題はたくさんあるなと思ってます。でも、子どものいる暮らしはすごい好きで、子どもの言葉は日々おもしろいなと思ってるので。

娘が「ママ、おにくはなにからできているの」と。シシ肉生活が始まって娘に言われたときに、ハッとしました。台所で肉料理しながら、見えかかってきてるものに対して私もそう思うんですよ、娘が思うように、「肉は何でできてるんだ?」って。

繁延さん: 子どもたちって、「自分も思ってるよ」みたいな言葉をよく言うんです。でも自分が思ってることって、子どもの言葉を聞いて初めて気付くっていうか。そういうことがすごいたくさんあって、大人になってるほうは自分の気持ちに気付かなかったりするんだなって思います。

――なんで気付かなくなっちゃうんですかね、大人って。

繁延さん: かっこつけちゃうからじゃないですかね、理性とかそういうので。この間も、自分の子どもじゃなかったですけど、どこかの園に行って写真を撮っているときに「自分の好きな女の子が別の女の子と仲良くしてるとすごい悲しくなる」って言った子がいて。「すっごい分かるよ」と思って。でもそれは嫉妬だから、そういうこと言えないじゃないですか(笑)。

――大人だと嫉妬なんてかっこ悪いって、どこか思ってしまいますね。

繁延さん: 抑えようとかね。その気持ちすごいよく分かるよと思って。
大人になったからといって、そういう気持ちが消えたわけでは全然ないのに、そういうことにも自分で気付かなくなるんだなと思います。

――だからこそ家族という存在が、繁延さんは大事なのかもしれないですね。

繁延さん: 家族があって今の自分になってるっていう、本当にそのままの言葉なんですけど。だから、『山と獣と肉と皮』にだって家族が反映されてるし、『うまれるものがたり』にだって、たぶん家族が反映されていて。今の私は、“家族といる私”でできている。

「これまで生きてきたこと」が道しるべ

――長崎での生活は10年たちましたけど、このあとも長崎でご家族と?

繁延さん: このあとも長崎で。本の最後は今で終わるんです。

仕事もままならない状況で引っ越して9年。長崎で生まれた末っ子はもう小学生だし、小さかった次男も成人男性の体格に近づいてきた。長男にいたっては頻繁に家出するほど盛大な思春期を迎えている。おじさんと獣たちには感謝しかない。
ここまでは生きてこられた。さて、ここからも生きていけるだろうか。
コロナ禍にあって、世の中が未曽有の混乱に陥っているなか、わが家だって例外じゃない。子どものこと、生活のこと、仕事のこと。これからどうすればいいのか分からないことだらけ。


って、こんな感じで書いてるんですけど、主人がコロナの影響で失業しちゃったんです、実は(笑)。

――待ってください、重大な告白が……。

繁延さん: 具体的にこのときは書くのをやめようと思ったんですけど、わりと今、わが家は振り出しに戻っているので。これからどうやって生きていこうかなっていうところに、今いるって感じです(笑)。

――それなのに、その笑顔と余裕はなんでしょう。

繁延さん: 余裕はないです。これからも頑張ります(笑)。

――焦ったり、「どうしよう…」って夜眠れなくなったりとかします?

繁延さん: しますします。
でも、それはたぶん10年前もあったと思いますし、新しい風景が見えてくるだろうとも思ってます。

――繁延さんの道しるべになっているものはあるんですか。

繁延さん: 今まで見てきたりしたものがこのあとに影響していく気がするので、それが道しるべになるのかな。これまで生きてきたことが。ふだんと違う力とか考えが湧いてきて、そうなったときに見えてくる風景みたいなものにワクワクするところがあるというか。そういうのは嫌いじゃない(笑)。

真夜中の子育て応援団
ママ☆深夜便

毎月第4木曜日
[R1] 午後11時05分~翌午前5時00分
[FM] 午前1時05分~午前5時

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