DV 「暴力を受けているあなたは悪くない」 ①

21/02/20まで

ラジオ深夜便

放送日:2020/12/10

#インタビュー#家族#政治

ざっくりいうと

  • 子どもの誕生や周囲への配慮から、DVが相談できなくなってしまう
  • 暴言を浴びせられると、「自分が悪いのでは」と内向きな気持ちに
  • 2020/12/10 ラジオ深夜便 人権インタビュー「あなたは悪くない」山崎菊乃さん(NPO法人代表理事)

札幌市でDV(家庭内暴力)被害女性の保護などを行うNPO法人「女のスペース・おん」の代表理事、山崎菊乃さんのインタビューです。
山崎さん自身も、かつてDV被害を受けていた過去があります。身体への直接的な暴力のみならず、暴言などの精神的暴力も受けたといいます。配偶者暴力防止法(DV防止法)すらなく制度が未整備だった時代、自分を責めがちだった山崎さんを救ったのは、周囲の厚いサポートでした。(聞き手:札幌放送局 堀菜保子アナウンサー)

人間関係の不均衡が暴力に

――山崎さんは今、札幌市を拠点に女性の人権保護活動を行っています。どのようなことをされていますか。

山崎さん: 今は主にDV被害者と同伴の子どもさんの相談、一時保護、自立支援、そして暴力防止のための啓発事業。女性に対する暴力を根絶するための活動をしています。

コロナ禍で、諸外国でも「DVが増加している」といわれているんですが、実際は「増加している」というより…コロナが始まる前にはそれぞれ仕事があって、一緒の空間にいなかったりしてなんとかしのいできたのが、もともとのパートナー間にあった力の不均衡が顕在化してDVという形で現れてきたのかな、と思います。
妻が夫の収入に頼らざるをえない夫婦の間で、夫の仕事が在宅勤務になって、いちいち妻のやっていることが気になってモラハラ的なことをする。1次産業では、なかなかものが売れなくて、現場に行く時間も減って家にいて、妻に対して暴力が増えてしまう。
子どもに対しても虐待。(DVは)虐待とセットなんです。とにかく妻と子どもに対して暴力を振るう。そういったことでの相談はあります。
性行為の強要もあります。家にいるから、ということで。そういう相談もあります。

――ストレスや不安などが関係していることもあるのですか。

山崎さん: それもあると思います。
支配する側と支配される側の関係があると、支配する側にイライラがあったら、どこにぶつけるかというと、自分より弱い立場の人にぶつける。コロナ禍の閉塞状態がイライラを募らせて、自分より弱いものに向かうという現象も起きているのかなとは思います。

DVを相談できない

――かつてはご自身も夫のDVから避難した立場だったんですね。

山崎さん: そうなんです。1997年でした。DV被害者を守る法律もない。「DV」ということばもあまり使われていないときに、子どもを連れて逃げた経験があります。

初めて身体的暴力を受けたのは、長女が生まれた年です。
私は出身が東京で、東京で結婚して暮らしていたんです。実家に里帰りお産をして、実家の母が「お米を10kgぐらい持っていったら?」と言って、お米を10kg持たせてくれたんですよ。私は普通に「ありがとう」ともらってきたんですが、家に持って帰ったら、なぜか彼がそれを見て「俺をバカにしてるのか!」と怒りだして、そのお米を実家に送り返しちゃったんです。
その晩、新生児の横で寝ている私の顔をいきなり、何も言わずに、何の前触れもなくいきなり殴った。気が付いたら鼻血で布団が真っ赤という状態だったんです。身体的暴力はそれが初めてでした。
その前から、自分の思うようにならないと不機嫌になって口をきかなくなって、「私、何か悪いことをしたのかな?」と思って気を遣うことは多かったんですが、あからさまな暴力は長女が生まれたときが初めてです。
「お米ぐらい、俺だって買える」と思っていたのかな。2言目には「俺をバカにして…」というのが彼の口癖だったので、何でも自分がバカにされているように思えてしまう。

――実家のお母さんに相談する、といったことは考えなかったのですか。

山崎さん: まだ赤ちゃんが生まれたばかりだったし、「こんなことを実家の親に言ったら、どれだけ心配するか…」と思ったら、言えませんでした。
次の日に「こんなことをするんだったら、離婚するよ」と言ったら、彼は泣いて土下座して謝ったんです。「せっかく赤ちゃんが生まれたばかりだし、頑張ってみよう」と思って、誰にも相談しなかった。
ただ、1度そういうことがあると、ちょっとしたことで彼が不機嫌になるんじゃないかと思って、ビクビクしながら暮らすことになっちゃうんです。

「精神的暴力」そしてふたたび「身体的暴力」

山崎さん: 身体的暴力は1度そこで収まったんです。ただ、自分の思うように行かないと…本当にささいなことなんですよ。朝ごはんがコーンフレークとヨーグルトだったら、「冷たいものばかり出して」と機嫌になって口をきかなくなる。なぜ不機嫌になるのか、理由がわからない状態がずっと続いていたんです。
そのあと、彼の実家が北海道だったので、東京から北海道にUターンすることになった。しばらくして新しいおうちを建てることになったときから、また身体的暴力が始まったんです。

――初めに暴力を受けてから、どのくらいの期間でしたか。

山崎さん: 13年ありました。ただ、その間は精神的暴力がひどかった。ちょっとしたことで不機嫌になったり、運転が荒くなる。
一緒に家族で車に乗ってどこかへ行くことになっても、自分が不機嫌だと、まだ家族が全部乗り終わっていないでドアが開いているのに発進したり、急ブレーキでいきなり止まったり。そんなことをやられるから、とても楽しくないんです。
「あした動物園へ行こうね」と計画をしていたら、子どもたちは楽しみじゃないですか。一生懸命リュックサックにおやつや水筒を入れて、枕元に置いて寝る。でも、次の朝に(彼の)機嫌が悪いとそれどころじゃなくなって、動物園へ行けなくなってしまう。
そういうことは日常的にあったんです。身体的暴力はなかったですが、それもつらかったです。

それでも、身体的暴力が始まるまでは「なんとかうまくやっていこう」と思っていた。
いつも私が非難されていたんです。私がだらしない、私が子どもにちゃんとしてない、家で作らないでコンビニでパンを買ってきて…と。いろんなことを言われていたので、「私が悪い」と思っていた。「私のコミュニケーション能力が低いから、彼に理解してもらえないのかな」と真面目に思っていました。
「自分に非がある」「彼に理解してもらえない私が悪い」と思っていました。

――もう1度身体的暴力が始まったとき、どう思いましたか。

山崎さん: そのときの気持ちって、あまりのショックでよく思い出せないんですが…彼の暴力は、まず胸倉をつかむところから始まって、私が口答えをすると、「何?」と言って目の色が変わる。
本当に目の色が変わるんですよ。きっとDV被害を受けている人だったらわかると思うんですが、そういう目つきになる。
よく覚えてないけれど、いきなり満タンに入った食器洗い洗剤(の容器)を頭にガーンとぶつけられて、何が起こったのかと思ったら、いきなり頭の髪の毛をつかまれて床にたたきつけられて…というようなことがありました。
どのぐらい続いたかな。2年ぐらい続いたかもしれない。

「痛い」「逃げたい」というよりも、「早く終わらないかな」としか思わなかったですね。「痛い」という感覚はなくて、「早く終わらないかな」という感覚でした。きっと痛かったでしょうね。跡を見るとあざが残っていたり、首に傷がついていたりしていました。でも、そのときは「どうでもいいや」という気持ちでしたね。
とにかく彼を怒らせないように生活していた。機嫌のいいときはすごく優しくなるので、そういうときは「よかった。これがずっと続きますように」とお祈りするんです。でも、また怒りが爆発するときがある。
「どうせお前なんか、社会に出たって生きていけやしない」「俺と同じだけ稼いでこい」とか。

これは今思うと笑い話だから、いろんな人に話しているんですが――彼のお弁当にコロッケを入れたんです。コロッケにつける調味料、おソースがたまたまなかったから、小さいケチャップを入れたんですよ。彼は全然手をつけないで帰ってきて、「なんでコロッケにケチャップなんだ!」と怒り始めた。「俺をバカにしてるのか!」と、それで殴る蹴るが始まっちゃうんですよ。
1度暴力のたがが外れると、身体的暴力のハードルが低くなって、ちょっとしたことで子どもたちの前でもすぐ私の胸倉をつかむ。私も死にたくなって「死んでやる」みたいなことを言うと、子どもたちが横で泣くんです。
どこでスイッチが入ってしまうか、わからない。彼が帰ってきて車が砂利を踏む音がするとドキドキする。「あそこはちゃんとなっているだろうか」「靴はそろっているだろうか」と指さし確認みたいな感じになって、彼が帰ってくるとどうきがする。逃げる前はそういう状態でした。

それでも、そのときは我慢しようと思っていました。
娘が中学3年生と1年生だったんです。「中3といったら大切な時期だし、私さえ我慢すれば、なんとか高校卒業して上の学校にも行ける。大学卒業して、落ち着いたら離婚してやる」と思ってはいたんですよ。だから我慢しようと思っていました。
ただ、そのときはすでに、私も所属していた女性団体の友達が「早く逃げなさい」と言ってくれていたんだけど、私はしゅん巡して決断ができなかったんです。

すべてを捨てて、シェルターへ

――そのような状況から逃げようと思ったきっかけは何でしたか。

山崎さん: ある日、子どもたち自身が傷ついていると言ってくれたんです。私は「私さえ我慢すればいい」と思っていたし、子どもはそんなに傷ついていないだろうと思っていた。
だけど、暴力が始まるとヘッドホンで音が聞こえないようにしたり、子どもたちにいろんな症状が出てきました。子どもたちのためにと思って我慢していたのに、かえって子どもたちを傷つけていると気付かせてくれた。それが逃げるきっかけになりました。

――逃げた日のことを覚えていますか。

山崎さん: 「どうやって逃げようか?」とまず長女と次女の担任の先生に相談したんです。
私は本当に外面がよかったからPTAの部長などいろいろやっていて、先生は「お母さんがそういう状態だったのは全然わからなかった」と言いながらも「協力してくれる」と言った。子どもたちを学校に送り出して普通に授業をやっているときに連れ出しましょう、という段取りを一緒に考えたんです。(DV防止に関する)法律も何もできてないときに、先生がそこまで協力してくれた。

子どもたちの荷物、習字の道具もピアニカも、テニスのラケットも、ありとあらゆる道具を背負わせて学校に行かせて、彼が研修へ行っていない日を見計らって、支援スタッフが車で迎えに来てくれた。荷物やとりあえずの衣類を外に投げて、その荷物を支援スタッフが積んでくれて、息子を保育園に迎えに行って、子どもたちを学校に迎えに行って、そのままシェルターに入ったんです。

――たどりついたとき、どんな気持ちでしたか。

山崎さん: まずはホッとしました。いきなり怒りだしたりどなったりする声を聞かなくていいから、とりあえずまずはホッとして、ゆっくり眠れたことは覚えています。

ずっと「お前が悪いからだ」「本当は怒りたくないのに、俺を怒らせているお前が悪い」と言われていたので「私が悪い」と思っていたし、暴力と言われてもピンと来ていなくて、夫婦げんかぐらいにしか思っていなかった。あんなにひどい暴力を振るわれていて、そのぐらいの意識しかなかったんです。
そこの代表に、「暴力は犯罪なんですよ」「あなたの夫があなたにやったことを、町中で他人にやってごらんなさい。暴行罪や傷害罪ですよ。捕まっちゃうんですよ」と言われたんです。そんな当たり前のことが、私の心をがらりと変えたんです。目からうろこがボロボロと落ちた。「暴力は振るう側の問題なんだ」ということが初めてわかった。
そういうことばをかけてもらって、気持ちがストンと落ちました。覚悟ができた、というのかな。
「この人と一緒にいるのは嫌だ」という思いが強かったので、私がどうして嫌なのかをことばで表してくれた。私が嫌なのはこういうことだったんだ、と思ったんです。

――「自分が悪い」「自分に非がある」と思っていた状態に対しては、どう言われましたか。

山崎さん: 「いや、あなたは悪くないよ。たとえ何があったとしても、暴力なんか選ばないで、いろんな方法あるでしょう。普通の男の人だったら、ちゃんと話し合いするんじゃないの?」と。「そうだよな。私は悪くなかったんだ」と思いました。
「あなたは悪くない」というのは、力強いことばだと思いました。人生を転換してくれたことばだと思います。

「スペース・おん」のシェルターができたのが1997年で、その1997年に私が入りました。
スタッフの方が学校のことなどを支援してくれた。経済的には、着のみ着のままで逃げてきたので「生活保護を受けましょう」となって、手続きもスタッフが一緒になってやってくれました。
気持ちの安心さが違ったし、私が詰まってしまったときには助け船を出してくれるので、とても心強かったです。生活保護なんて受けるとは思っていなかったし、今までやったことのないことばかりでした。だから心強かったです。
DVで逃げてくる人って、すべてを捨てて今まで知らなかった世界に飛び込むわけです。それは、夜の海に飛び込むような感じ。寄り添ってくれる人がいるのは心強いです。

<DV 「暴力を受けているあなたは悪くない」 ②>

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