国際連合児童基金(ユニセフ)の職員として、榮谷明子さんは2013年ルワンダに赴任。小さな子どもたちが希望を持って成長できるよう願い、ラジオ番組を立ち上げる事業を企画・実施しました。番組名の<イテテロ(Itetero)>は、ルワンダ語で「子どもを育む場所」という意味です。榮谷さんは2018年にルワンダを離れましたが、番組<イテテロ>は今も続いていて、ルワンダ全国の子どもたちや子育て中の親たちに愛される人気番組となりました。
榮谷さんがルワンダでラジオ番組を企画した理由。それは、かつてこの国で起きた紛争が引き起こした悲劇でした。


世界中で役立つ「聞く力」

――榮谷さんは2004年からユニセフで働き始めて、セルビア、スイス、アメリカ、ルワンダ、そして今はエジプト。数年ごとに任務地が変わる生活。ご主人もユニセフの職員で、今一緒に暮らせているのは奇跡的だそうですね。

榮谷さん: 新しい国で働き始めるときは、いつも「私にできるんだろうか?」とひとりぼっちの心細い気分になるので、家族が一緒にいてくれることはありがたいですね。

――ユニセフ職員として初めてセルビアに旅立つときには、日本のお母様に「もう自分はいないものだと思ってほしい」とおっしゃったそうですが、相当な覚悟で行かれたとか。

榮谷さん: 途上国で生活をすると、どうしても日本より不便なことが増えますので、心配し始めたらきりがないんですよ。日本にいる母の心に心配の霧が立ちこめてしまうのが私も心配なので、そういう言い方をしました。

――それでもお母様は心配されることもあるんでしょうね。

榮谷さん: 17年間のキャリアの中で、何度も現地まで足を運んでサポートしてくれました。

――榮谷さんは、子どものころから海外での仕事に興味があったんですか?

榮谷さん: 特にきっかけになったのは高校生のころ。皇后雅子さまをテレビで拝見するようになりまして、女性が外交官としてキャリアを積んでいるというお美しい姿にとても憧れました。「私も、国際的に活躍して、人々の生活をよくしていく仕事をしたい」と思うようになりました。

――海外での仕事は向いていますか?

榮谷さん: 私は中学生のときに、父親の赴任についていきオランダのインターナショナルスクールに通っていました。あまりにも英語ができなくて情けなかったので、親に頼んでイギリスのサマースクールに入れてもらったんです。
そこにいる人たちはみんな英語が母語ではないので、一生懸命分かり合おうとして頑張っていた。その状況の中では、なぜだか知らないけれど私はとても人気があって、「あなたはそのまま変わらないでくれ」と言われました。
「多国籍の人が入り交じっているところは、もしかしたら、私に向いているのかな?」と思いました。
私、あまり早くしゃべれないし、自分のことをアピールしたりするのも得意ではないんですけれど、人のお話を聞くのが得意なんです。いろんな人の話を気立てよく聞いていたのがよかったと思っています。

親を知らない世代が親になったルワンダ

――榮谷さんが今暮らしているエジプトの前の赴任地がアフリカのルワンダ。榮谷さんはルワンダ初の子ども向けのラジオ番組を立ち上げていらっしゃいます。そのお話をじっくり聞いていきたいと思います。
‌ルワンダの最初の印象は?

榮谷さん: ルワンダはアフリカにあるんですけれど、気候が温暖でとてもいい国です。雨がよく降るから、緑の丘がずっと続いている、美しい風景。人々は真面目な国民性なので、日本に似ていると思いました。

――ユニセフ職員としてその国でどんな活動をするのかは、自分で企画して進めていくそうですね。

榮谷さん: はい。ルワンダの優先課題について、国の方針ですとかユニセフの方針をまず勉強して、統計資料を調べるんです。そこからさらに現地の人々に聞き取りをしていく中で、少しずつ考えがまとまっていきました。
ルワンダでは、1994年の内戦のために多くの人が亡くなり、自分自身が親に目をかけられて育てられた経験のないママやパパが子育て世代になっていたんです。

――1994年の内戦では、80万人以上の方が亡くなったという「ルワンダの大虐殺」が起きています。そのときに親を失った人たちがお父さん・お母さんになって、子育てに苦労していた――という状況だったんですね。

榮谷さん: 生き延びた子どもたちは、親戚に引き取られてたくさんの子どもと一緒に育ったり、孤児院で育ったりしています。1人の大人に対して10人も20人も子どもがいる中で育ちますと、パパやママにかわいがられて、絵本の読み聞かせを受けて、子守歌を聞きながら寝る、という経験は難しかったんです。
お母さんのイメージがないままに母親になり、「子どもの怒り方が分からない」「世間の目が必要以上に気になってしまって、つい怒り過ぎてしまう」というお母さんたちがいました。

学校に行く前の小さな子どもたちの生活には、家庭での会話がとても大きい影響があります。
まして、幼稚園が普及していなかったころのルワンダでは、「お母さんやお父さんがどんなことばで話しているか」が、その子の語彙力を決めているといってよかった。だから、子どもたちを温かいことばで包んであげたいと思いました。

子を持つ親のためのドラマ

榮谷さん: ただ、そのころはまだ読み聞かせの絵本なども少なくて、子守歌ですとかおとぎ話も忘れられかけていたんです。お父さんもお母さんも、どうやって子どもと接したらいいか分からない、どうやったら信頼関係を作れるのか分からない…という状況。
「子育ての文化を家庭に届けなければいけない」と思いました。赤ちゃんだけではなくて、お父さんやお母さんにもすてきなことばを届けようと思いました。

そのために<イテテロ>の番組では、まず家族のドラマに力を入れました。
子育て中の忙しいママたちやパパたちがまねできるように、ドラマの登場人物(のセリフ)に、奥さんに話しかける愛情のこもったことば、旦那さんに話しかける優しいことば、それから子どもの意見を尊重して耳を傾けるリスペクトのことば…というのをどんどん入れていったんです。
そうして、親が子どもに優しくして信頼関係を作ったうえでしつけをしたり、よいことと悪いことの区別を教えたり、「なぜいけないのか」を説明してあげたり…自分が経験してないことを初めてするのは誰でも難しいので、「どうしたら、うまくいくのか」というイメージが湧くようにロールモデルを作りました。

例えば、ルワンダでは親による子どもへの体罰が結構日常的に行われていたんです。ある会議でこれを課題として取り上げたところ、ルワンダ人の参加者から「しつけのために子どもをたたくのは、われわれの習慣ですから」という反論がありました。
実際に親にヒアリングをしていったところ、多くの親は「子どもをたたきたくない」と思っていることが分かりました。そしてさらに、多くの親は「たたいても、子どものためにはならない」ということも気付いていたんです。
じゃあ、なぜたたくのかというと、「私がたたかないと、近所の人にダメな母親だと思われるんじゃないか。それが心配でたたいているんです」という話を聞きました。
親は子どもを本当はたたきたくない。だけど、ほかのしつけ方を知らないから、やむをえずやっているんだと思ったんですね。だから<イテテロ>では、たたかずに、ことばで説明して子どもを導くしつけの方法を、ドラマを通して教えるようにしました。
それから、親は「しつけのためには子どもをたたいて当然だ」という世間の常識に縛られているので、世間のほうを変えればたたかなくて済むんじゃないかと思って、コミュニティ全体で子どもの育て方を考えていくといったことも考えるようにしました。

――そういうことを伝えるのに、なぜラジオ?

榮谷さん:
当時のルワンダは、まだ村のほうでは電気がなく、テレビは「特権階級のもの」という感じだったんですね。ラジオであれば電池で動きます。ほとんど全国の人がラジオを聞いていると分かりました。
お金持ちではない、いわゆる普通のお父さんたちやお母さんたちに届けるようにという思いを込めて、ラジオでの番組を作りました。

日常に根ざした内容が好評に

――ルワンダで初めての子ども向けのラジオ番組。反響や反応は?

‌榮谷さん: 社会に必要とされていたんだと思います。すごい勢いで人気が広がっていきました。
<イテテロ>は、小さい子どもたちやその親たちをリスナーとして意識して、「あなたに聞いてほしくて作ったコンテンツです」という思いを込めて作ったので、それが伝わったのではないでしょうか。
「このドラマは、私たちの日常のことを言っているんだ!」とすぐに理解してくれたことが分かってうれしかったです。

――「これは自分たちがやることなんだ」と。どうしてそんなにスムーズに、思ったように伝わったのでしょうか?

榮谷さん: 統計とか国の方針も大事なんですけれど、人々の生活の中に入って聞き取りをしたことが、その人たちの感覚に近い内容を作れた秘けつだったんだと思います。
コミュニケーションをしていくには、相手のことを知ることがとても大事だと思いました。

創作と伝統

――どんな方たちを仲間にして作っていたんですか?

榮谷さん: 最初はラジオ局の人と話し合いをしたんですけれど、幼稚園の先生や幼児教育の専門家といった方たちと一緒に内容を考えてもらいました。劇団の人たちにも声をかけて、おもしろいストーリー作りを一緒に考えてもらいました。
障害のある子どもたちにも届くような番組にしたかったので、障害のある子どもたちの教育に日常的に関わっている人たちも一緒に仲間になってもらいました。
仲間たちからは広く意見を集めて――私は外国人なので――ルワンダ人の仲間たちから意見を聞くようにして、それから「遊び心」がある作業になるように気をつけました。
途中から、シンガーソングライターのピース・ジョリー(Peace Jolis)さんという方が仲間に加わってくれたんです。専門家はどうしても、脳科学や子どもの権利条約といった難しいものを参照しながらストーリーを作るので、真面目になり過ぎてしまうこともあるんです。
そこにアーティストの奏でるハーモニーが入る。異業種の人と仕事をしてまったく新しいものを作ると、キラキラしたものができる。楽しい作業ですね。

――‌内戦でたくさんの方が亡くなったために引き継がれなくなっていた子守歌も、<イテテロ>で復活させたと聞いています。ルワンダの子守歌は、どんな特徴があるんですか?

榮谷さん: 「シンジラ・キボンド(Sinzira kibondo)」という歌はルワンダの子守歌なんですけれど、古くから伝わる伝統楽器のイナンガの名手が<イテテロ>のために特別に作ってくれた曲です。
1分ほどたつ辺りから、口をふるわせる特殊なハミングが聞こえます。これは、ルワンダで親が子どもを寝かしつけるときにするそうです。文化伝承という意味でも、とても大切な曲だと思っています。
ルワンダのお母さんたちは畑仕事をしていますし、多くの村には電気がないので、洗濯もお掃除も全部自分の手でするんです。
忙しい日常の中で、子どもがすやすやと寝息を立てている様子って、親にとっては静かに満ち足りた時間だと思うんです。この満足感が子どもへの優しさを生むんだと思うんですよね。

――途絶えていた子守歌が実際に子どもたちに今歌われている。榮谷さんたちは大切なものを伝えたと感じます。

榮谷さん: 子育ての文化は、親も幸せを感じる瞬間があってはじめて子どもが生きやすい環境になると思うので、こういう優しい曲が広がって、親も安心して子どもを育てることができてきたらいいですね

――命を育んでいくための大切な文化ですね。

<親と子を温かいことばで包む ルワンダ・希望のラジオ(後編)>