【大竹しのぶ サイコロ回顧録】結婚翌年の1983年、仕事をしていない1989年

23/08/09まで

大竹しのぶの“スピーカーズコーナー”

放送日:2023/08/02

#ライフスタイル#映画・ドラマ

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今回の「サイコロ回顧録」は2本立て。ご結婚の次の年の「1983年」と、この1年だけ何も仕事をしていない、という「1989年」。
サイコロ回顧録について感想やリクエストを読んだしのぶさん、いつか語りたい年や、かけたいご自分の歌について思い巡らせます。


大竹しのぶの“スピーカーズコーナー”
毎週水曜日 R1・ラジオ第1 午後9時05分~9時55分

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1983年 結婚生活も現場もハッピーでは“憎しみ”の顔にはならないと教わる

2023年は私のデビュー作のドラマ『ボクは女学生』の放送開始から50年! という節目の年で、その節目を迎えるにあたって、これまでの活動を振り返りつつ、お世話になったみなさんに感謝を伝えていこうというのがこのコーナー。今、スタジオには年代別に私の出演作などをまとめたリストと、サイコロが2つ用意されています。
サイコロは、1つが私のデビューした1970年代の“197”から2020年代の“202”までの数字が書かれた六面体、もう1つが、0から9までの数字が書かれた十面体。この2つのサイコロを振って、出た目の年代の作品について振り返っていきます。
未来の数字が出ちゃったらサイコロは振り直します。一度話した年がまた出ちゃった場合は、もしかしたらもう一度振り直しになるかも。
じゃあ今回は……これ、好きなんですよ結構、このコーナー。まだあんまりやってないけど。
サイコロを振ってみますね~。いきますね~。いっぺんにね。いっぺんに(サイコロを)2つ。チャララン~♬……1900……あ、ちょっと今手を動かしちゃった(笑)。ずるしちゃったみたい? もう1回、もう1回ね。
チャラララン~ラ~ン♬

1983年。

1983年ということは、えーっと……(出演作などをまとめたリストを読む)結婚して1年目、26歳。『霧の旗』、『徳川家康』、『スクープを追う女』、『(銀河テレビ小説 つかこうへいの)かけおち(’83)』、『恋人よ、われに帰れ』、『この子を残して』……舞台に映画にテレビドラマをやっていましたね。

昭和58年、26歳、結婚して1年目のときですね。あっ、ジュリー(沢田研二さん)と共演したりしてますね。えっと、井上ひさしさんの『もとの黙阿弥』というお芝居もやりました。『徳川家康』、そうだよ、「於大の方」をやったんですよ私。これを(松本)潤くんが見たって言ってた。「ほんとに於大の方やってたんだねぇ、竹ばあ」って言われたんですけども。

『霧の旗』という、松本清張さん原作のスペシャルドラマをやってですね、せんぼんよしこさんという監督さんがいまして。
私のお兄ちゃん役が松任谷正隆さんだったんですね。すごい貧しい九州のきょうだい、お兄ちゃんは学校の先生だったかな。それが無実の罪で捕まってしまって、私は二谷英明さんふんする有名な弁護士に兄の弁護をしてくれって言って、頼みに上京するんですよ。だけどそれはかなわずお兄ちゃんは殺人犯になってしまって、で、その弁護士に復しゅうするという、松本清張さんのドラマをやりまして。
スタッフさんも、前もせんぼんさんの作品で一緒にやってた人たちで、もうほんとに大好きなスタッフさんたちで、カメラさんも照明さんも美術さんも衣装さんも大、大好きで、「しのぶちゃん」「しのぶちゃん」って、ほらね、まだ若かったから「しのぶちゃん」「しのぶちゃん」って言われて、しかも私は結婚1年目、新婚1年目ですよ。ハッピーハッピーハッピー! もう「しのぶちゃーん」って言われるし、おうちでも「おかえり♡」って言われるし、もうすごいもうハッピーオーラ全開! みたいな感じのときなのに、復しゅうに燃える、お兄ちゃんを愛してる妹の役、すごいもう、弁護士に対して殺意を抱くような役だったんです。そうしたら、せんぼんさんから「しのぶと話すの禁止令」っていうのが出まして、スタッフさんに「しのぶと話しちゃダメ、しのぶに構わないで」って言ってですね。

いつも「しのぶちゃん」「しのぶちゃん」、「しのぶちゃん、これ食べる?」とかって言われてたのに、誰も私と話してくれなくなっちゃったんです。なぜかっていうと、私が結婚生活でもハッピーで、現場でもハッピーだったらその顔が憎しみの顔にならない、って。
それ、今、フッ、て思い出しました。せんぼんさんに言われたことを。
だから、やっぱり人間が出るわけですよね。どんなにその役に入って、その瞬間も入ってたとしても、「はい、カット」ってなって、スタッフさんとベラベラベラベラしゃべってる私を見たせんぼんさんが「もういい加減にしなさい、しのぶ。ちゃんと仕事しなさい」って注意されたんだと思います。
で、もちろん、私もそこから気合いを入れ直してですね、復しゅうに燃える、きりこ、っていう役だったかな……桐子、柳田桐子っていう役をやりましたね。ああ、せんぼんさん、会いたいな。

うん、ほんと、たくさんドラマやってますね。『スクープを追う女』っていうドラマで風間杜夫さんと共演したり、『かけおち』っていうのはつかこうへいさんのドラマだったし。
『恋人よ、われに帰れ』っていうのは、ジュリーと共演して、そのときにですね、ジュリーがほんとにかっこよくてですね、好きになっちゃうぐらいかっこよかったなぁ。でも好きにならなかったけど。私はもう結婚してたしね(笑)。
渡辺えりさんがもうほんとに、ジュリーのこと今でも少女のように好きなので、そのDVDがないかって今でもしつこく(笑)。ジュリーとのドラマを「なんでしのぶちゃん、持ってないのよ自分のドラマ」って。こないだもえりさんに言われたけど、どっかいっちゃったんだよね。

ほんと、たくさんの人にお世話になったな、って思いました。

とにかく、結婚1年目の26歳、ごはんを作るのが毎日毎日必死で、自分の栄養がとれないぐらい。ある日、舞台稽古のときにめまいがして、そしたら「栄養失調です」って言われて(笑)。ごはん作るのに一生懸命になりすぎて、そんな生活を送っていた26歳の私でした。ほんとに皆様、お世話になりました。

1989年 50年のうち、唯一仕事をしていない年

えっ、もう1回やってもいいの? じゃあ、もう1回やっちゃおう。チャリラリラリラン~、チャリラン♬

1989年。

1989年、平成元年、IMALUちゃんを出産。仕事はゼロです。すばらしい。(リストは)空白です。
明石家さんまさんと結婚して、私は1年半ぐらい仕事を休んでいました。基本的に、彼はあまり仕事をしてほしくないという考えだったので、ずーっとお家にいましたね。で、娘が生まれたのが1989年、平成元年でした。

えーっとね、その年はやっぱり、お腹が大きくなりながらも、二千翔(にちか)がまだ幼稚園だったので送り迎えとかもあったし、今まで仕事だけしてきたのがおうちだけになったっていう生活が、すごく実は大変でした。毎日掃除して、夕方になったら買い物して、幼稚園の準備もあったりお弁当のことも考えたりとかして、ほんとに、主婦っていうのはほんっとに大変なんだなって。
その割にあんまり褒められない(笑)っていうか、「きょうのごはんはおいしいね」とか、「きょうもお部屋きれいにしてくれてありがとう」も言われるわけでもなく、何ですかね、いつも洗濯機で洗える綿100%のものを着ていましたし。でも、その1年半仕事を休んだっていうことは、すごく私にとっては大きな意味があった年だなあって思います。
で、おなか大きいときとかでも、そうですね、けんかもしたし、いいこともいっぱいあったし、今考えると、娘がおなかにいるっていうときは、ほんとに大変だったけれども幸せな時間だったなあって思いますね。

あれから33年がたってしまったわけですけども、そう、この50年間の仕事の回顧録を見て、何も仕事がないというのはこの1989年、ただその1年だけ、っていうことに自分がびっくりしています。もう少しゆっくりしてもいいんじゃないかなって最近思っております。でも、ほんとに、生まれてきてくれてありがとうございました。

というわけで、今回のサイコロ回顧録は1983年と1989年を振り返りました。

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