箭内道彦 「あのときの福島」をアップデートするために (前編)

21/03/18まで

らじるラボ

放送日:2021/03/11

#インタビュー#東日本大震災#福島県

ざっくりいうと

  • 震災による傷が癒えてきた人もいる一方で、悲しみや苦しみが10年分蓄積した人もいる
  • 「福島の未来を見届けるために、長生きしたい」
  • 2021/03/11 らじるラボ 「表現者たち」箭内道彦さん(クリエイティブディレクター)

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21/03/18まで

福島県郡山市出身のクリエイティブディレクター・箭内道彦さんは、東日本大震災直後からチャリティーソングを発表するなど、いち早く支援活動を行ってきました。現在もさまざまな形で福島の復興支援に携わっている箭内さんが、震災から10年という節目に感じることとは。(聞き手・吾妻謙アナウンサー)

「震災から10年」に複雑な思い

――3月11日は毎年どこで何をなさっていらっしゃいますか?

箭内さん: 福島県郡山市にある実家でゆっくりお酒を飲んだり母親の作った料理を食べたりして、静かに暮らしながら、2011年のその日にお亡くなりになった方々に思いを込めて祈らせていただく。そんなふうに過ごしたくて、毎年実家に帰っているんですよ。
僕だけじゃなくて、そんなふうに思っている友人たちも2~3人と集まってきて、それを配信していたんですよね。
3月11日って、どういうふうに過ごしたらいいか分からない。「いつものように過ごしたい」っていう思いもあったり、「どこにも行きたくない」っていう思いもあったり、「テレビをつけたりラジオをつけたりすることが怖い」っていう人もいて。
「だったら一緒に過ごしませんか?」っていうので、何千人って感じじゃないんですけど、何百人かの同じ思いの人たちと配信でつながって、2時46分を迎えて…っていうふうに必ずすることにしていて。
だから仕事は何も入れないことにしてて。そんなこともあって、きょうは事前収録していただいているんですけど。
ただ昨年の3月11日は、新型コロナウイルス――ことしも同じことで帰れないですね。昨年は東京からその配信をしました。ことしもそんなふうに考えています。

――箭内さんは福島・郡山のご出身で、そのあとも福島県のクリエイティブディレクターとして福島とずっとつながっていらっしゃいますから、「3月11日は、お仕事も含めてのオファーはかなりあるんだろうな」と思いながらも、何年か前に箭内さんに「私も福島経験が長いものですから、ぜひに」と伺ったときに、「そういう日じゃないんだよ」とおっしゃったときの話が思い出深いというか、「そうか、〇年だから仕事じゃなく、ふるさとで亡くなった方々を悼むという時間が大事だな」と思いました。
あれから10年ですけれども、箭内さんにとってのこの10年、福島の変化はどう感じていらっしゃいます?

箭内さん: 変化があったりなかったり、さまざまだなと思っています。「もう大丈夫だよ」って言う人もたくさんいるし、震災の前のような生活がちゃんと送れているって人も本当たくさんいるんですよね。ただその一方で、「苦しみが10年積もって、今が一番つらいんです」って言う方もいて、「ひとくくりにできないな」っていう、そのことを改めて強く感じますね。

――ひとくくりにはできない。本当にそれぞれ、どんな被害があって心にどんな傷を負ったのかということで、年月のたち方や感じ方というのは全く違うんですよね。

箭内さん: 何かが薄れていく、癒やされていくっていう10年である人もいれば、それが積み重なってもっと重くなっていく、もっと苦しくなっていくって10年でもあるので、さまざまだなと感じています。

――そういう中で、「直接被害が今残っていない方々が、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの10年って、どんなふうに捉えればいいのかな」というのは、とても難しいなと思っているんです。

箭内さん: ここ数週間は「10年」ということばがいろんなメディアで聞こえてきてる。
ひとりひとりにとっては、1日1日を一生懸命歩いてきた。いろんな苦しいこともあったり、それを乗り越えようと本当に努力をしてきた中で、たどりついたわけでもなくゴールでもなく、通過していく毎日の延長でもあるので、10年ということを「いろんなことを、みんなで考えなきゃね」というきっかけにすることはとても大事だとは思うんですけど、そこを背負ってきた人たちにとっては「10年ですね」なんていう話の感覚とまた違うんじゃないかなとも思いますね。

「自分に何ができるのか?」という当時の葛藤は今も

――2011年の3月11日、私は東京のNHKの放送センターで大きな揺れを感じて、そのあとニュースセンターからニュースを伝えるアナウンサーの隣で福島の映像を見ながら「これはどこだ」というのを手伝っていて、直後に「福島ゆかりのアナウンサーは福島の応援に入りましょう」ということで、13日には福島に行きました。
陸路で行けなかったので飛行機で。羽田から札幌に飛んで、札幌から福島空港に飛んで、夜、日が暮れてから到着していました。目の前にウルトラマンが立っていた映像が――その写真を今プリントアウトして持ってきましたが――このときに「頑張らなくちゃな」という責任感と、ウルトラマンに勇気をもらったという記憶がすごくよみがえるんですよね。

箭内さん: ご存じの方は多いと思いますけど、ウルトラマンは福島県須賀川市が生んだ円谷英二さんが生み出したヒーローでありますよね。

――大きなウルトラマン像が空港に立っているんですよね。

箭内さん: アズマくんって僕の同級生にもいましたけど、「吾妻」っていうのは福島県にとってはすごくなじみのあるというか、愛着のあることば・名前。「吾妻小富士」「磐梯吾妻スカイライン」であったりして。

東京で働いていた吾妻さんが、かつて自分が働いた、そして自分の友達・親戚がたくさんいる土地をなんとか、「自分に何ができるだろう?」と言って、3月13日にウルトラマンと向き合った。
それは県の皆さんにとってもとても心強かったと思うし、それを今もこうやって吾妻さんは続けていらっしゃることは――僕、なんか吾妻さんを褒めに来たみたいで変ですけど――、とてもうれしいことだと思いますよ。県民だけでは前に進めない部分もありますからね。もちろん県民の力が一番大事なんですけど。

――あのときに福島駅前の大きなスーパーがずっと閉店していた、営業再開できない中で、「食品だけは売るよ」ということでオープンするときに長蛇の列がグルッと――大きなスーパーなんですけど、店を囲むように並んでいて。
それを私はラジオで中継をしていたので、たくさん並んでいる方々と顔を向き合ったときに、「吾妻さん、こんなときに来てくれてありがとね」と言ってくださった。
被災して大変な皆さんがなんとか食べ物を求めに並んでいる列で、「何を伝えればいいのか?」「どうやったら皆さんをなんとか――『楽に』じゃないですけど――何を伝えるのが一番いいのか?」と本当に心底悩んだ瞬間でありましたけど。
そういう中で箭内さんは東京にいらっしゃって、私が福島に行くときに「箭内さんにも、ふるさとを励ますメッセージを」ということで、デジタルビデオを担いで事務所にお邪魔して。寄せていただいたメッセージも、私は忘れられなくて、きょう一緒に聞いていただきたいんですね。

箭内さん: 福島の人たちが「心強いな」と思ってくれることを、とにかくやりたいなと思っていまして。
それは、1つはことばやメッセージでもありますし、1つは、「たくさんの人が福島を心配してるよ」っていうことを知ってもらうことでありますし、あとは具体的にお金をどれだけを集めて福島県に送れるかっていう、その3つのことを今中心に毎日いろいろやってます。
「1人じゃない」ということを少しでも感じていただけるように、こうやって東京にいる人間がどう福島と関われるかっていうことを僕はどんどんやっていこうと思っています。
ふだんだと「売るための音楽って、どうなんだろう?」って疑問に思う人もいるかもしれないけど、今回ばかりはたくさんダウンロードしてもらって、たくさんの義援金を福島に送らなきゃ意味がないんだ。猪苗代湖ズって浜通り・中通り・会津地方、3つの地方がメンバーにいる4人組なので、「僕らがやらなくて、誰がやるんだ?」と思って。たぶん一番最初にレコーディングされた、一番最初に配信された“震災後の音楽”だと思うんですよ。

――…というメッセージをいただいて、それを福島に持っていって「I love you & I need you ふくしま」も一緒にかけて…ということをしました。
このときに「東京にいる自分が何をできるのか?」とおっしゃったのが、「そうだね。『離れているからできない』じゃなくて、じゃあ自分は何ができるのかな?」と考えたんですよ。
このとき、今は音源が見あたらなくなってしまったんですが、箭内さんは同じように、「僕は福島と“結婚”しようと思っています。結婚するというのは一生一緒にいて、一生を支えそして支えられ、前へ進んでいくことだと思う。福島の皆さん、これから一緒に頑張っていきましょう」とおっしゃっていたんです。

廃炉後の世界の福島を作りたい

――そのあと箭内さんが<福島をずっと見ているTV>という、NHKの「ずっと見ている」というタイトルの番組をされて、その約束を果たしていこうと考えているのかな、と。ずっと私も見てきましたけど。「継続していく」という。

福島をずっと見ているTV

Eテレ

詳しくはこちら

箭内さん: 「継続するために継続する」っていうことではなくて、いろんな人と出会い、いろんなことを聞いて、一緒にいろんなものを作ってく中で、終わりようがないというか、こうやって続いていってる。
そして仲間が増えて笑顔が増えて、でもまだまだ苦しいこともあるんであれば「それをみんなでどういうふうに減らしていけるだろう」っていう、その連続なので、「なんとか続けなきゃ」みたいな気持ちでは全くないですし、きっと「きょうですべてが復興したね」っていう日がいつか来るのであれば、その日までのことなのかもしれないなと思いますし。
でも、いろんな温かいつながりは断ち切りたくもないので。もうずっと一生ですし、その一生ってものができるだけ長いほうがいいのでね。

僕は、それまでは「あした何があるか分からないから、きょうを大切に生きよう」ってそれだけ考えて、「それがロックンロールだ」みたいなふうに思ってた時期もあったんですけど、「いやいや、あした死んでもいいみたいな気持ちで結婚するであるとか、『一生を支える』って言ったら、一生ということばが軽いな」と思って、「長生きをしたい」と思うようになりましたね。
廃炉もちゃんと見届けたいし、そのあとの世界もしっかりと見たいな。っていうか、それを一緒に作りたいなと思うようになりました。

――その第1歩がまさに震災後すぐに作ったという「I love you & I need you ふくしま」、猪苗代湖ズの楽曲なんですが。これも東京の電力を使わずに…っていう工夫をされて。

箭内さん: 曲自体は、前の年の10月に福島のイベントで披露してた曲なんです。
3月17日から名古屋でレコーディングをしたんですけど、東京は計画停電で「無駄な電気は使えないね」ってことと、思いきり応援というか思いを録音したかったので、東京で気持ちがグラグラしてたり、どこの店のトイレットペーパーが全部売り切れたとか、そういう中でいるよりは、集中できる場所に、電気もちゃんと使わせてもらえる場所に行こうということで、メンバー4人で、もう1人、サンボマスターの近藤(洋一)くんがエンジニアとして、5人で行ったんですよね、名古屋に。

――この曲を聴くと、当時を思い出し励まされましたけれど、あのときの大変だったこともあわせてよみがえるので、胸がキューッと締めつけられる部分もあるんですけれどもね。

箭内さん: 「聞きたくない」って言う人もたくさんいると思います。
3月になるとテレビから10年前の――ことしから見たら10年前の――映像が流れてきて、「苦しいからテレビのスイッチをつけられないんだよ」って言う人をよく聞くんですけど、そこまで直接的じゃないにしても、このイントロを聴くだけで、僕らもあの年の3月の天気だったり温度だったり、「これからどうなるんだろう?」って先が見えない不安だったりっていうのが、どうしてもよみがえってきますね。
歌は当時のことを、当時の記憶をとどめ閉じこめるものでもあるけど、年々歳々というか、毎年毎年移り変わっていく状況の中で歌の聞こえ方も変わってくるはずだなと思って。
猪苗代湖ズのこの歌も、いい意味の懐メロみたいにもなり始めてるのかもしれないし、これもほんと人それぞれさまざまな聞こえ方だと思います。本当に「聞きたくない」っていう人もいると思います。でも一方で、「この歌があったから頑張れたんだよ」なんて、いまだに言ってもらえることがあって。そのことをちゃんとこれからも大事に前に進んでいかなきゃいけないなと思います。

――このとき、「音楽などエンターテインメントは何の力にもならない」とアーティストの方々が途方に暮れて、無力感にも襲われてという話もたくさんありましたけど。箭内さんはそのあとも福島で「風とロック」というイベントをずっと継続されましたね。

箭内さん: ミュージシャンたちは、自分たちの音楽がのどを潤すこともできないし、空腹を満たすこともできないし、寒い体を温めることもできない。「だったら、何ができるんだろう?」って無力感を感じてたのがあの当時だったと思うんです。
ただ、全員が全員じゃないんですけど、音楽がないと、大きな声で歌ったり、大きな声で泣いたり、拳を振り上げたりっていうのは、なかなか避難所のパーテーションの中にいてもできないし、家の中でもずっと雨戸を閉めて外の空気に洗濯物が触れないように…みたいなふうに暮らしてた時期もあった。そういう中では、エンターテインメントって、必要なんだなっていうふうに、改めて。その年の9月に大きなコンサートをやったんですけど、そのときに思いましたね。

――箭内さんの広告の代表作の1つに、レコード店の「ノーミュージック、ノーライフ」がありますけれど、それを改めて実感したと。

箭内さん: もちろんそれがすべての人ではないんだけど、でも、明らかにそのことで、勇気をもらえたり傷がちょっとだけ癒えた、そんなふうに思えたりする人がいることは、否定しようがないというふうに感じました。

9時台を聴く
21/03/18まで


<後編>へ続く

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