元祖トラベルライター・菅江真澄と江戸時代の東北へ(春~初夏)編

23/07/08まで
音で訪ねる ニッポン時空旅
放送日:2023/05/13
#歴史#カルチャー#トラベル#音楽#江戸
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23/07/08まで
銀河鉄道のように時空を超えて、「ちょっと昔のニッポン」へ出かけてみませんか? NHKに残された日本各地の祭りや民謡の録音を掘り起こし、フィールドワーク、ワールドミュージックの視点からの解説を交えながら、幻の特別列車「時空号」で、時をかける旅を楽しんでいただく番組です。今回は、柳田国男から日本民俗学の開祖とたたえられた菅江真澄が旅した、江戸時代の東北へと向かいます。
【出演者】
本多:本多力さん(俳優)
永野:永野宗典さん(俳優)
島添:島添貴美子さん(富山大学教授)
左から、島添さん、本多さん、永野さん
音で訪ねる ニッポン時空旅
ラジオ第2 毎週土曜 午前9時30分~10時00分ほか
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菅江真澄が出会ったかもしれない歌
永野:
今回の旅は、いずこへ?
島添:
旅をすることがなかなか大変だった江戸時代の後期、1780年代から50年近く、東北を中心に東日本を広く旅をして暮らした、菅江真澄という方がいます。ただ旅をしただけでなく、行った先の地域の習俗とか歌、お祭りなどいろんな出会いを書き残した、“元祖トラベルライター”とでもいえる方なんです。(この番組でも以前ご紹介しましたが、日本各地の)民謡をハンティングしたのは町田佳聲(まちだ・かしょう)先生ですけれども、菅江真澄先生もいろんなものをハンティングされておられます。今回は、菅江真澄先生が出会ったかもしれない歌などを訪ねて、江戸時代の終わりのころの旅気分を味わっていただこうかと思っております。
永野:
いいですねぇ!
本多:
「時空旅」でしかできないですよ、それは。
島添:
ドンピシャとはなかなかいかないところはありますけれども、江戸時代の終わりの頃に行われていたものが、今でもあるところはあるんだな、というところなんですね。1回では紹介できませんので、今回は春から初夏にかけての菅江真澄の旅を、「時空旅」したいと思います。
本多:
まずは秋田に向けて、出発、進行!
ピーッ。ポォ~ッ、シュッシュッ……
春一番に“まんず咲く”万作の花
本多:
到着しました。秋田県湯沢市、街の中心から少し離れた、杉沢という地域です。
永野:
国道ですかね。道沿いにお店とか家が建っていて、そのあいだにチラホラ畑や田んぼが見えて、のんびりした街の郊外という感じのところでございますね。
本多:
江戸時代の天明5(1785)年3月6日、新暦にすると4月の中旬――。
永野:
うわっ、なんか、来た?
シュワーッ。
本多:
おりてきました! 菅江真澄先生です。
六日、空はうららかで、すこぶるよい天気だ。岩崎という村に行こうとして杉沢という村にさしかかると、村中の垣根に黄色い花が咲いていた。この花は一月のはじめ、まだ雪の積もっている垣根に香る、万作(まんさく)という花だ。この里のことわざに、「万作は雪の中より急げども花は咲くとも実はならぬ」と歌う。(菅江真澄の紀行文をもとに番組で意訳)
♪秋田県三種町(旧山本郡浜口村)「田植え唄」
(昭和16年録音 「日本民謡大観 東北篇」日本放送協会 より)
永野:
数人の女性で、歌ってますね。
島添:
そうですね。昭和16年の録音です。
本多:
そんな前の……。
島添:
これも古いんですけれども、菅江真澄先生、もっと古いですからね(笑)。
永野:
江戸でしょう?
島添:
そう。菅江真澄が杉沢村で聞いた、「万作は雪の中より急げども~」ということわざと同系統と思われる歌が、湯沢から北西に向かってずっと行ったところ、現在の三種町で、「田植え唄」として歌われていたんです。歌に出てくる万作というのは、まだ雪が残っている春先に黄色い花が咲く木なんですけれども、東北の言葉ですと、「まんず、咲く」、いわゆる最初に咲くという意味で、そこから「まんさく」というふうに呼ばれるようになったという説があるように、いち早く春の訪れを知らせてくれる花です。
「NHK日本民謡大観 東北篇」によりますと、この番組でおなじみの町田佳聲先生が、昭和15年から16年にかけて秋田県に民謡を採取に行っておられるんですけれども、どの村に行っても、「田植え唄が歌われたということを聞いたことがない」と言われたそうなんです。なので、この歌の録音自体が非常に貴重なんです。ないと言われていたところで、ようやく見つけた歌だったんですね。
ちなみに菅江真澄の日記によりますと、菅江が旅をした江戸時代中期から後期にかけての秋田の村々には、田植えで歌うようすがたびたび登場しています。なのでそれから150年あまりの間に、田植え唄は歌われなくなったということなのかもしれません。
本多:
だからそうやって過去にも、滅びているものがあるっていうことですよねぇ。
島添:
生まれたりなくなったりするというのは、本当に世の常ですよね。
黒頭巾姿の“日本民俗学の開祖”
本多:
菅江真澄先生、4月10日には、同じ湯沢で神社に花見に出かけてお楽しみになったそうですね。
神楽堂に男たちが集まって鼓を打ち三味線を弾いて興じているその中に、見知った人がいて手招きされて入っていった。老女が手を打って拍子を取り出すと一同酔いしれて歌い、若い娘も顔を隠して、「かわずなく野中の清水……」などと歌い出す。男も女も歌い出し、あられもない姿で拍子を取り、踊っていた……。年の頃、七、八十になろうという老婆が曲がった腰をぴーんと伸ばし、白髪頭を振りながら、せき払いをしつつ舞っていた。やがて肩をはだけていた男が、うぇっと、吐いたんですよ。そのために犬が寄ってきたりして、風情が台なしになった。遠くを見ると高い山の頂に雪が消え残り、村の桜の木はこずえだけが見えた。若葉に涼しい風が吹き、眺めがとてもよい。女が一人、家から出てきて、「朝の出がけに山々見れば霧のかからぬ山もなし」と歌った。(菅江真澄の紀行文をもとに番組で意訳)
♪秋田県大仙市(旧仙北郡大曲町)「草刈り唄」
(昭和16年録音 「日本民謡大観 東北篇」日本放送協会 より)
島添:
「朝の出がけに~」で始まる歌詞は、仕事唄や盆踊り唄、祝い唄などに広くあるんです。全然珍しくはなく、江戸時代のころから歌われていました。お聞きいただいたのは、湯沢から北へ40キロほどいったところの、現在の大仙市で歌われていた草刈り唄です。野とか山に入って草刈りをするときに歌われた唄ですけれども、今ではほとんど歌われなくなりました。昭和16年の録音です。
本多:
今さらなんですけれども、菅江先生ってどんな方だったんですか。
島添:
謎の多い方なんですが、わかっているところでは、宝暦4(1754)年ごろ、三河に生まれ、国学と本草学、本草学というのは薬学のことですね。それを学んで、30歳のころに故郷を旅立ち、信越から、東北、蝦夷地(えぞち)まで旅をしたあと、津軽や秋田で暮らし、日記や随筆、スケッチなどを多数残しました。文政12(1829)年に秋田で亡くなっておられます。
本多:
75歳?
島添:
結構、長生きですよ。真澄先生は30歳ころに故郷を旅立って、それから二度と帰らなかったようなんですけれども、どうして50年にもいたる旅をし続けたのか――その理由、わかんないんです。書かれていないんです。菅江先生の絵も残っているのですが、黒い頭巾をされておりまして、伝承によりますと、この頭巾を人前で脱ぐことは一切なかったそうです。
本多:
なんて言ったらいいのかな、タオルを巻いて……
永野:
ターバンっていうかね。長渕剛がライブで巻くみたいな。
本多:
ああ、泉谷しげるみたいな、フォークシンガーみたいな。それを取らなかったんですね。
島添:
はい。これも人々がうわさをしているレベルなんですけれども、刀傷があってそれを隠していたんじゃないかというくらいで、本当に謎の多い人物です。ただ、書き残しているものというのは、実際に自分の目で見、耳で聞いたことを書き記しているという点では、当時の庶民の生活を知るための貴重な資料とも言えますし、日本の民俗学の父・柳田国男先生も、その資料の信ぴょう性の高さをもって、菅江真澄のことを「日本民俗学の開祖」と言ってたたえたというような人なんです。
永野:
学者っぽい人なのかな、と思ったんですけど。
島添:
基本的に好奇心が強いという意味では、学者肌の方だと思います。
永野:
各地で「先生こられた!」みたいな感じの対応をされてたのかなぁ。
島添:
メディアがなかった当時、その人が有名人かどうかって、どうやって知るんだろうというところはありますよね。
本多:
水戸黄門が葵(あおい)の御紋の印籠出したみたいに、頭巾取ったら……
島添:
取らない、取らない(笑)。
永野:
取らないんだ。そのへんがまた謎めいてますよねぇ。
島添:
あらゆる面で謎の多い人物です。
村の田植えで口説きや新婚祝いも
本多:
続いては、天明3年の5月。長野県伊那市、ここで初夏の風物に出くわします。
垣根の向こうは全部田んぼだった。男女が入り混じって、広大なみなもの上で、「一夜に落ちよ滝の水、落ちてこそ、濁りも澄みも見えれか」と声を合わせて歌っていた。外は完全にくもり空で、ひどく濡れて気分が落ち込むから、それを晴らそうと歌っているのであろう。(菅江真澄の紀行文をもとに番組で意訳)
島添:
田植えをしている男女が歌った、「一夜に落ちよ滝の水~」にある「落ちる」ですけれども、歌謡研究家の森山弘毅(もりやま・こうき)さんによりますと、女が男にせまられて承知してしまう意味が暗示されているといいます。いわゆる口説き落とすの「落とす」ということですね。滝の水を引き合いに出して、落ちてこそ、人の世の清濁、清いも濁りも見えてくると言って、男が女を口説いた歌らしいと。一緒に落ちようよということですよね。
永野:
フォーリンラブというよりは、もっとズブッと、ドロドロした恋愛のような、ねぇ。
島添:
そんな口説き方、あるのね、という感じですよね。
本多:
年上の男が年下の女性を口説いているんですかね。
永野:
そんな感じですよね。
本多:
このあと菅江先生は、天気が回復すると近所に田植え唄を聞きに行きます。田植えを見学するのですが、こんな風景を目の当たりにしました。
田植えの祝いということなので、ふだんは田んぼ仕事に関わりのない人も混じり植えるのが習わしらしい。新婚の夫婦も田におりて植えることになった。代かきをする男や早乙女たちは、この夫婦にご執心で、泥水をすくっては投げ、すくっては投げ、逃げれば追い回す。二人は慌てて逃げようとするが、隣の田んぼから加勢がやってきて、「婿を捕まえろ! 嫁を逃がすな!」と泥水を投げかけられ、かさも着物も泥まみれになった。嫁は小屋に逃げ込んで、かさの中で大泣きし、「もう二度と田植えなんかするものか……」と、いまいましげに言う。一方、婿は木の枝をつたって屋根に逃げ叫んだ。「死にそうだ、もう許してくれ! お祝いもこれで十分だろう」。そうしたようすを、嫁が見上げていた。(菅江真澄の紀行文をもとに番組で意訳)
本多:
これは……新郎新婦、喜んでないの? ほんまに嫌がってるんですか。
永野:
すごい嫌がってる感じしますよね。
本多:
儀式的なものじゃないんですか。度が過ぎたということ?
島添:
儀式的なものなんですけど、なかなかすごいですよね。以前この番組の「結婚式」の回のときに、道に縄を張ったり石とか酒樽(さかだる)を転がして花嫁行列を邪魔することで、花嫁が花婿の家の村の人たちから迎えられるという話をしましたけれども、今でも新潟県十日町市に「婿投げ」といって花婿を高さ5メートルほどある薬師堂の境内から雪の斜面に投げ落とすという習慣があるんです。でも今回のバージョンは、花嫁と花婿の両方が歓迎される儀式ということですよね。かなり手荒なところがありますけれども、“村の人”として、この結婚を認めますよという儀礼なわけです。菅江真澄先生は日記に、これがこの里の習慣で、一生のうち一度はこのようにつらい目を見なければならないとしているのである、というふうに書いておられます。まあ、通過儀礼ですよね、これは。
永野:
ほんとに、しつこかったんですかねぇ。
島添:
たぶんね、泥とかをたくさんつければつけるほど、幸せになるということだと思いますよ。
永野:
でも、泣かしちゃいけない気がするんですけどね。お互い笑ってね、終わればよかったんですけども。屋根の上に婿は逃げて、嫁は下で泣いていてって、一緒にいて守ってほしいよね。
島添:
花婿はこういうときには守ってあげなよっていう感じがしますよね。
本多:
離婚になりますよね。
永野:
その後が気になりますわ。でもこんな、なまなましい記述が残ってるんですね。
本多:
そういう庶民の生活をね。
島添:
菅江先生は、日記だけでなくスケッチもカラーでいっぱい残しているんですよ。『百臼の図(ももうすのかた)』という、臼のスケッチ集まで残しておられて、私、大好き!
本多:
よっぽどやることなかったんですかねぇ。
島添:
それを言われてしまうと……。
永野:
雪で外、出られなくてねぇ、東北だから。
本多:
また他の季節の旅も気になりますね。
永野:
今と変わらない感覚も共有できた気がするし。
本多:
全部ツッコミの目線で旅してる感じがしましたね。
永野:
かなり客観的だよね。
本多:
ということで、今回は島添先生と一緒に「時空旅」をしました。先生、どうもありがとうございました。
島添:
ありがとうございました。
【放送】
2023/05/13 「音で訪ねる ニッポン時空旅」
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23/07/08まで