安田菜津紀さん ルーツを巡る旅を通して

Nらじ
放送日:2023/05/26
#インタビュー#写真#家族#世界情勢
フォトジャーナリストとして世界各地の紛争や災害の現場を取材してきた安田菜津紀さん。今年5月、ご自身のルーツをたどる旅をまとめた「国籍と遺書、兄への手紙-ルーツを巡る旅の先に」を出版されました。安田さんが中学生の時に亡くなった父親は、最後まで自分が在日コリアン2世であることを語りませんでした。父親は韓国籍、ご自身は日本国籍の安田さん。ルーツをめぐる旅を通して社会の差別に直面し、自らのアイデンティティに悩み続けます。そんな安田さんが、この旅から得たものとは何か。フォトジャーナリストとして向き合う世界はどう見え始めたのか、うかがいます。(聞き手:眞下貴アナウンサー、黒崎瞳キャスター)
【出演者】
安田:安田菜津紀さん(メディアNPO Dialogue for People副代表・フォトジャーナリスト)
出石:出石 直 解説委員
韓国で巡りあえた“命の源流”
――安田さんのルーツをたどる旅は、亡くなったお父さんの国籍が韓国籍だったということを知った高校2年生の時に始まります。そして、さまざまな困難や多くの方々の協力があって、去年の夏、実際に韓国で親戚の方々にお会いしたということなんです。その時、どんなことを感じられましたか?
安田:
会えたといっても、実はすんなり会えたわけではなくて、そこに至るまで、本当にいろんなう余曲折があったんです。ご紹介いただいたとおり、私が父のルーツを知ったのは。中学2年生の時に父が亡くなったあとなんですけれども、高校生になって、戸籍を見て初めて韓国籍という文字を確認して、そのルーツを知ったということが経緯としてあるんです。ですから、どんな親戚がいるのか、どんな家族がどこにいるのか、そういったことも全く分からない、でももう亡くなってしまった父に尋ねることもできないし、戸籍に書いてある文字についても、ほとんど情報が無いしということで、当時はもうほぼ諦めていたんですけれども、昔の書類をかき集めて、時には韓国領事館に行って、いろんな記録をたどったりして…。そして最終的には、韓国のいろいろな方々の協力もあって、親戚になんとかたどりつくことができたという経緯で、それだけでも非常に、こうなんというか、感慨深いです。
ただ、見ず知らずの間が「親戚なんです」と言って日本から突然訪ねてくるわけですから、最初は韓国の親戚の方々も警戒していたらしいんです。ちょうど日本で言う、振り込め詐欺のようなものが、親戚の方々が暮らす地域でも何件も起きていた時だったらしくて、私から連絡がきたときは、「これは詐欺なんじゃないか?」って一瞬身構えたって話をされていました。
幸いにも、私の祖父が何度か親戚の方々の所へ里帰りをしていたそうで、見せてくださったアルバムの中にも、いろいろな祖父と親戚の家族の思い出が残っていました。それまでは、戸籍だったり、書類上のモノクロの平面の情報でしかなかった祖父が、「あなたのおじいちゃんと遊園地に行ったのよ」とか、「一緒にサウナへいったのよ」なんていうふうに、親戚の方々の思い出の中に生き生きとした姿で立ち現れてくるというのは、ああやっぱり自分の命の源流というのがここにあるんだなあと、そのことに、いままでに感じたことがなかったような深い感慨というものがわいてくる体験でした。
――名前しか分からない存在だったおじいさんが、実際にお話に出てきたり、写真に写っていたり…。
安田:
不思議な感覚ですよね。自分自身が会ったこともない祖父の命をたどる。確かに私の命というのはそこからつながっていて、その源流をたどることで、いまの自分の地平が見えてくるといいますか。やはり、日本と朝鮮半島の間にはさまざまな歴史があって、その地続きの地平にいま自分は立っているんだなあっていうことが、「文字の知識」ということではなくて、立体的な「五感で浮かび上がってくる」という、そういう感覚がありましたね、自分の中で。
ルーツを語らなかった父親
――お父さんは実は自分が韓国籍なんだということを、どうしてずっと安田さんに話さなかったのだろうか。そのことをルーツを巡る旅で調べる中で、安田さんは、日本と朝鮮半島のさまざまな歴史や、そしてお父さんの思いについても、知ることになったわけですね。
安田:
もう亡くなった人に尋ねることはできないので、なぜ語ってくれなかったんだろう、どうして教えてくれなかったんだろうっていう疑問を、まあ空白みたいなものですよね、それを埋めたくって。たとえば父の生まれた家の跡地を訪ねてみたり、もうそこには家は無いんですけれども…。また、その地域で暮らしてきた在日コリアンの人たちの経験に耳を傾けたりすることで、少しでも父や祖父の生きてきた時代に触れてみたいという思いで、旅をしてきたんです。
1人の人間のルーツというのは、時代とか社会の写し鏡のようなものなので、必ずそこから社会の実相が見えてくるわけですよね。殊に在日コリアンの人たちの歴史や歩みをたどっていくと、そこにはさまざまな搾取の構造があったり、ヘイトスピーチやヘイトクライムの被害があります。たとえば、朝鮮学校が襲撃をされる事態が起きたり、私たちが訪れた中では、京都のウトロ地区というところに2021年に差別に基づいての放火事件が起きたり、これは最近の出来事ですけれど。特に非常に激しい路上のヘイトスピーチですとかヘイトデモのような映像というものは、いまだにたくさんネット上に残っていて、再生され続けて、差別がまるでエンターテイメントのように消費をされてしまっているような状況というのがあるわけです。
そういったことを見るにつけ、いまはこう思うんです。もしかすると私の父は、こういうものを自分の娘に見せたくなくて、自分の娘にこういうことを経験させたくなくて、ルーツを語らなかったんじゃないか。語らなかったというよりも、語れなかった、語ることができなかったのではないかというように、いま強く思うようになってきています。
忘れることができない “あの時の父の顔”
――お父さんが見せたくなかったのかもしれないことを、安田さんは自ら知りに行ってしまうわけですが。
安田:
そうですね。でも、知らないということで、無意識に誰かの心だったり、アイデンティティだったり、その人の尊厳を踏みつけてしまうことがあるかもしれない、というふうに思うんです。それは自分の経験からも…。
あの…父のルーツを知ってから、自分の中で強烈に思い出した体験というのがあって。それは幼い頃の経験なんですけれども、母はいろいろこだわりがある人で、そのうちの1つが、自分の子どもに月に300冊、必ず絵本を読み聞かせるということがあったんです。
――300冊ですか?
安田:
はい、300冊です。平均すると1日に10冊です。それで、毎日絵本を読むという習慣が我が家には根づいていたんです。それで、いつもは仕事で遅く帰宅する父が、珍しく早く帰っていたことがあったんです。その時になにげなく、父に「きょうはお父さんが読んで」って、絵本を持って行ったことがあったんです。そうしましたら、仕事帰りで疲れていたと思うんですけれども、父はなにげなくその絵本を開いて、私のことを膝の上にのせてくれて、読み始めようとするんです。
けれど…あの…、読めない、とまではいわないんですが、スラスラと読めなかったんです。ひとつの文章の中で何度もつっかえるし、小さな子どもの絵本であるにもかかわらず。で、300冊も母が読み聞かせをしていると、母の読み聞かせがとってもなめらかなので、子ども心にそれと比べてイライラして、私はしびれをきらして、父が1冊読み終える前に「もういい!」って、絵本を突き返して膝から立ち上がって。
そして、父にこう言ったんです。「ねえ、お父さん変だよ。お父さんは、どうしてお母さんみたいに絵本が読めないの? お父さん、日本人じゃないみたい」って…。そう私が言い放った時の、あの時の父の顔を、私は一生忘れないと思います。
――もちろん安田さんは、なにもご存じなかったわけですけれども…。
安田:
父も笑っているんですよ。でも子どもって、大人の微妙な表情の変化を感じ取るので、「あ、目の奥が笑ってない」って、「これはもしかすると、とてつもないことを言ってしまったのかもしれない」という後悔が…と言いますか、違和感のようなものが、ずっと自分の中に残って。
その後、高校生になって戸籍を見て、父のルーツを知って、母も父について知っている限りのことを教えてくれました。父が在日コリアンの2世だったこと。戦後間もないころに生まれているんですけれど、複雑な家庭に育って、バックグラウンドもあってか、うまく教育を受ける機会につながることができなかったということ。どんなことかは分からないけれど、出自によって嫌な思いをしたことがあって、日本人になりきるということに努めてきた人だったということ。それを知ったとき、あの時の父の表情が、初めて1本の線でつながったんです。
だから、もちろん幼かったし知らなかったのだけれど、知らないということで、知らず知らずに誰かの尊厳を踏みにじってしまうことがあるのではないかと。そういう経験も、このルーツを巡る旅を続けてきた、自分の中の1つの軸足だったかもしれません。
国と国の問題を、安易に市井の人たちに結び付けることへの異議
――安田さんご自身は日本の国籍で、お父さんが韓国籍。そして、日本と朝鮮半島をめぐってはさまざまな歴史や人々の思いがあります。ルーツを巡る旅を通して、いま安田さんは、どんなことを感じていますか?
安田:
本当に国と国との間には、これからもいろんな問題が起こることがあるかもしれないです。でも、それはそれとして、私自身もしっかりと向き合っていきたいことではあるんですけれど、ひとつこのルーツを巡る旅の中で言えることは、さまざまな問題が国と国との間に生じて、それが大きく日本の中で報道されるということがこれからもあるでしょうけれど、それと市井の人たちを安易に結び付けて、たとえば差別の対象にする、ヘイトスピーチの矛先を向けていくということは違うのではないか、ということだとは思うんです。
たとえば、北朝鮮からミサイルが発射されたというニュースが大きく報じられますし、報じる必要があると思うんですよ。命を脅かすようなことはあってはならない、という前提に立ちながらも、それによって、たとえば朝鮮半島にルーツを持つ日本に暮らしている人たちに差別の矛先を向けるということは違うと思うし、ましてや、その子どもたちまでヘイトスピーチの対象にしていくということは間違っているし、そういった前提を私たち1人1人が共有していくことが必要なのではないかと、この旅を通して、なおさら思ったところではありました。
――しかも、世界に目を向けると、たとえばロシアとウクライナ。ここもさまざまな思いを持った人たちが複雑な歴史を抱えているところで、そこがいま対立をしてしまっています。
安田:
昨年、私もウクライナに取材に行って、避難されている方やご家族を亡くされた方々に、いろんな形でお話をお聞きました。軍事侵攻があってはならないという意思表示は続けていく必要があると思うんですけれども、一方で、特に侵攻があった直後に顕著に起きたことですけれども、日本に暮らしているロシアにルーツがある人たちや、あるいはロシアレストランに対してひぼう中傷があったり、差別の言葉が吐きかけられたりといったことがありましたよね。それも間違っているということも、言い続けなくてはならないということは感じます。
複数のルーツを抱いて 自然とアイデンティティが保たれる社会に
出石:
人には誰にも歩んできた人生があるわけですけれども、子どもは親の歩んできた人生をすべて知ることはできないですよね。まして親が亡くなってしまうと、「私の親はどんな人生を歩んできたのだろう」と、すごく知りたくなるんですよね。それは結局、親に対する好奇心だけじゃなくて、自分のアイデンティティというのでしょうか、それを知りたいという欲求なのかもしれません。安田さんは、いかがだったでしょうか。
安田:
そうですね。やっぱり、親のことを知りたいということは、同時に自分の軸足を見定めたいということでもあったんだと思うんですけれど、特に親の過去を知った直後だったり、高校生・大学生のころは、揺れていましたね。自分って、なに人なんだろうかっていうところだったり、自分自身のアイデンティティを誰か他人に先回りされて決めつけられる、特に1つでなくてはならない、どちらかでなくてはならないという文脈で、時に決めつけられることの窮屈さみたいなものだったりが、自分の中にありました。
「日本に生まれだから日本人でしょ」だったりとか、その逆もまた然りなんですけれども、そういうことではなくて、私自身の周りにも複数のルーツの方々がいますけれども、やっぱりその複数性というものを自然に抱きながら、「どちらかでなくてもいいんだよ」っていうことを自然と語れるような社会、自然とアイデンティティが保てるような社会というのが、私は、生きやすい社会なのかなあと、いまは言語化できますね。
――世界各地で難民や紛争、災害の取材をされていて、その時にカメラを向けていらっしゃるのが、家族だったり小さな子どもたちだったりすることが多いですが、そのことは、ご自身のアイデンティティだとか、家族のことと関係あるのでしょうか?
安田:
重なるところはあると思っています。もちろん血縁が全てではないと私自身思っていて、血縁のある家族だから一緒にいなければならないだとか、必ず助け合わなくてはならないだとか、縛ることは違うと思うんですけれど、一方で、紛争や迫害やいろいろな不条理によって、意に反して家族がバラバラにされていくことも間違っているということ。これは、自分自身のルーツを巡る旅だったり、アイデンティティを巡る旅の中で、実感としてあらためて言えることなのかなあと 思います。
――きょうは、ありがとうございました。
【放送】
2023/05/26 「Nらじ」