神戸の児童殺傷事件などで逮捕された少年に関する、すべての事件記録が廃棄されていた問題を受けて、最高裁判所は、保存期間が終了した裁判記録を当分の間、廃棄しないよう全国の裁判所に通知しました。この問題で最高裁判所は、記録の保存の在り方や運用が適切だったかどうかを検証することにしていまして、今後の方針が定まるまでの暫定的な措置だということです。「裁判記録」というものが、私たちにとって、いったいどんな意味を持つのか、そしてそれを廃棄してしまうことにはどんな問題があるのか、探っていきます。(聞き手:眞下貴アナウンサー、黒崎瞳キャスター、出石直解説委員)
【出演者】
塚原:塚原英治さん(弁護士、「司法情報公開研究会」共同代表)
裁判記録は“捨てる”のが基本
――裁判記録の廃棄が全国各地で起こっているということですが、どうしてこういうことが起こってしまったのでしょうか?
塚原: | 日本の裁判所は、記録というのは保管期間が過ぎたら捨てるのが基本で、保存するのはごく例外だからです。 |
---|
――むしろ「捨ててしまう方が基本である」というふうに、裁判所の方は考えているということですか。
塚原: | その通りです。 |
---|
――ということは、「裁判記録を保存する」となる場合には、なにか特別なルールが定められているということになるのですか?
塚原: | そうです。例外的に保存するものについては最高裁も規則で決めていて、「資料または参考資料となるべきもの」ということになっています。これを「特別保存」と呼んでいます。 実は3年前に、地方裁判所で民事や行政事件の重要な記録がほとんど捨てられていることが報道されました。その時にも私は驚いて、いろいろと批判的なコメントをしたんですが、当時は今回ほどの騒ぎになっていません。今回、大騒ぎになっているのを目の当たりにして、いかに少年事件が社会的に注目されているのかということを痛感しました。 |
---|
――こうした、裁判所が「裁判の記録というのは定められた保管期限を過ぎたら捨てるのは基本である」というような立場をとっていること、というのは、塚原さんとしては、どうとらえていらっしゃいますか?
塚原: | 現状では、仕方がないこととも言えます。記録そのものは、ものすごくスペースをとります。1992年には、最高裁が明治以来、永久保存でずっと保存してきた判決さえ、保存期間を50年に改正して、保存期間経過のものは全部捨てようとしたことがありました。(注:それは全国の国立大学の先生達の努力で阻止され、立法もして国立公文書館に移管されることになりました。) 裁判所には「保存するスペースがないから」というのが最大の理由なんです。 |
---|
――そうすると、「特別保存」という「本来これは残しておくべきだ」というものまで、現実問題としては、かなり捨てられてしまっているという風に考えていいということですか?
塚原: | その通りです。今回の神戸の記録は、まさにその典型だと思います。 |
---|
重要な裁判記録も“ほぼ捨てられている”現状
――捨てられてしまう割合というのは、どれぐらいなんでしょうか?
塚原: | 99.9%以上です。 |
---|
――そうしますと、もう大半は捨てられてしまっているというわけなんですね。
塚原: | その通りです。 |
---|
――「特別保存」というルールがあるにもかかわらず、99.9%以上が廃棄されているということは、残りの・・・。
塚原: | 0.1%も残っていません。 |
---|
――0.1%も残っていない。つまり、そのくらいしか「資料として残すべき価値のあるもの」がなかったということですか?
塚原: | 違います。裁判所は、どういうものをのこすかという基準を1992年に通達しているんですが、そこではたとえば「重要な憲法判断が示された事例は保存する」としていたので、私たちは、それは保存されているものだと思い込んでいました。 ところがフタを開けてみたら、2019年8月に分かったことなのですが、憲法を学んでいる学生なら誰でも知っている、重要な判例を解説する教材があります。「憲法判例百選」というものです。この第6版に戦後の憲法訴訟で民事・行政裁判134件の判例が紹介されているんですが、そのうち9割近くの117件の記録が捨てられていることが分かりました。ですから、最高裁が指示していたはずの残しておくべき代表的なものでも、9割は捨てられていたっていうことが分かって、びっくりしました。 |
---|
――原因はなにか、わかるのでしょうか?
塚原: | 裁判所の記録保存の姿勢にあります。通達の趣旨が徹底しておらず、「原則捨てろ」というのが、最高裁の現場への指示でしたから。「今回もその指示に従って捨てただけなのに、なんで今こんなに騒がれて、責任追及されてるんだ」って、現場の担当者は思っていると思います。 |
---|
――重要なものも含めて、裁判記録が、かなり捨てられてしまっている現状はわかりました。刑事事件の場合というのは、どのような状況なんでしょうか。
塚原: | 刑事裁判の記録だけは、判決が確定した後、検察庁で保管することになっています。保管期間経過後に捨てるのが原則であることは、同様です。保管期間経過後になお保存するために「刑事参考記録」という規定があるんですが、いったいどんな記録が保存されているかのリストも公開されていませんでした。私たちが法務大臣に請願して、2019年の12月にやっとリストが公開されたんですが、明治以来、何百万件ある刑事事件のうち、800件ぐらいしか指定をされていないのです。 ただ、検察庁は実はもっと記録を持っているんですが、それを明らかにしていません。 |
---|
裁判記録は歴史の証人
――裁判記録というのは残しておくべきものなのではないかと思うんですが、どうなんでしょうか?
塚原: | もちろん残しておくべきだと考えています。 |
---|
――何のために残しておくべきだと、お考えですか?
塚原: | 裁判記録を残しておくことには、いくつか意義があります。 1つは、たとえば刑事事件であれば、えん罪の検証ですね。本当に罪を犯していないのに処罰されてしまった。記録が残っていなければ、自分がえん罪であることも証明できなくなる。こういう意味では、個人の保護のために必要になる場合がある。 もう1つは、裁判記録は「歴史の証人」としての意義をもっています。 |
---|
――「歴史の証人」といいますと? もう少し具体的にご説明いただけますか?
塚原: | たとえば、2度と同じ間違いを繰り返さないために検証する証拠ですね。バブルの時の、多くの著名経済事件の記録。たとえば、日本長期信用銀行や日本債券信用銀行のケース。これは民事でも刑事でも事件になり、判決が出されたことは報道されていますけれども、どちらの記録も、裁判所でも検察庁でも廃棄されています。 |
---|
――えっ?
塚原: | バブルの再発を防ぐために、当時なにが必要だったのか、なにが問題だったのか、ということを調べるのに、裁判というのは重要な手掛かりになるんですが、それを検証する機会が失われたということになります。 |
---|
裁判記録を残すために
――先ほど、保管期間が過ぎたものは捨てるというように決まっているから、しかたがないことだとおっしゃっていました。ただやはり、重要な裁判記録というのは、今後のためにも残しておいてほしい。どういった対応が必要となってくるんでしょうか?
塚原: | メリハリをつけた処理が必要なんですね。いままで捨ててきたのは本当に場所がないからというのが裁判所の言い分なので、そうであれば、ちゃんと予算をつけてスペースを確保する。どうしても自分のところにスペースがないのだったら、国に予算をとってもらって国立公文書館に移管する、といった処理ができるわけですね。 |
---|
裁判記録を残しても、利用者が居ない。公開出来ない…だから廃棄?
――もちろん、そういった予算をきちっと確保して保存をしていくべきだということがありますね。それ以外にとるべき対応としては、どんなことが考えられますか?
塚原: | 逆に「なぜいままで、裁判記録が捨てられてもあまり問題になってこなかったか」というとですね、裁判所は「利用する人がいないんだから、とっておいても意味はない」と考えているフシがあるわけです。 |
---|
――それはどういうことですか?
塚原: | だって、誰も利用に来ないからです。 |
---|
――利用に来ない?
塚原: | 裁判記録を閲覧しに来るという人は、極めて限られているんですね。 日本の法律学の研究者は、記録にまで立ち返って研究する人なんてほとんどいません。ジャーナリストも記録が利用しにくいために、アメリカでごく普通に行われているような、裁判記録を利用した調査報道をするという習慣がないんです。だから誰も利用にこないんだから、捨てても同じじゃないかと。 少年事件の場合はさらに、もともと非公開なんで、記録をとっておいたって利活用の可能性はなかったんですね。裁判所は「だから捨てたって同じだ」と考えているわけです。 |
---|
利用しづらい裁判記録
――刑事事件については、記録が利用しづらいというお話もありましたけれども、どういうことですか?
塚原: | 刑事記録も実は「公開」が原則なんですね。憲法上、裁判手続きは「公開」が原則だし、判決は絶対的に「公開」だし、記録も法律上、基本的には「公開」なんです。 ところが、その法律の運用の中では「個人情報保護」ということもあるために、記録の開示を拒否したり、あるいは、我々は墨塗りと呼んでますけれども、情報を真っ黒けに塗りつぶして隠してみたりということをします。その作業のために担当者がばく大な時間をとられて、閲覧が可能になるまでにすごい時間がかかるんですよ。そのうえで、見ることが可能になったとしてもコピーを許さないんです。その場に行って、書き写してくるんですよ。そんなことをする人がどれだけいるかっていう話です。 |
---|
――なるほど。
塚原: | アメリカだとクレジットカードの登録さえすれば、日本からだって、インターネットを使ってPDFで記録が取れるんです。だからアメリカの記録を活用して、ものが書けるんです。日本では、まったくそんなことはできません。いつになったら見られるかわからない。出てきた時には、墨塗りで真っくろけで、かろうじて読めるところを書き写してくるという有様です。裁判記録の利用は難しいのが現状です。 |
---|
オウムの裁判記録は?
――利用の難しさもあるということなんですが、だからといって、廃棄してしまっても一緒じゃないかというのは、ちょっとどうなのかなとは思ってしまいます。裁判の記録は、プライバシーの問題とか、いろいろ難しい問題があると思うんですけど、そもそも公文書というのは誰のもので、それはどのように活用すべきなのかという考え方自体が、日本とアメリカとでは、かなり違うんじゃないでしょうか。そのあたりは、どうお考えですか?
塚原: | それは、もちろんあります。アメリカは本当に、公文書は公開ですから。 時間もないようなので、ひとつだけその絡みでお話したいんですけど、オウム事件が比較的わかりやすいと思うんですが、今、オウム事件の裁判記録がどんな状態にあるかお分かりですか。 |
---|
――いや、さすがに、オウム事件って本当に世間を揺るがしたわけですから、これはきちんと保存されているんですよね。
塚原: | 実際にそうなったんですけれど、これは、我々が要請をして、そうしてもらったんですね。 |
---|
――要請をして初めて保存してもらったと。
塚原: | そうです。刑事事件の記録も判決確定後、死刑と無期の判決の事件で50年、有期刑の事件だと3年から30年で廃棄されます。そのため、比較的軽微な事件だと記録が捨てられてしまうんですね。オウム事件の場合、薬物密造事件などは死刑や無期じゃありませんから、捨てられちゃうんですよ。そうすると全体像が見えなくなってしまうんです。だからオウム事件の場合には、全部を保存してくれと、要請したわけです。 |
---|
――これは、どういった申し入れなどをされたんですか?
塚原: | 請願を法務大臣に出しました。法務省からもヒアリングを受けて、説明したり、いろいろしてきましたね。 |
---|
――裁判記録を残してほしいというときは、必ず、弁護士さんなり周りから請願しないと、なかなか残っていかないと思ったほうがいいんでしょうか?
塚原: | 民事の記録について、裁判所の規定では「要望がちゃんとあれば保存する」という対応を前からとっていています。前は要望がなかったんだ、というのが裁判所の言い分です。2020年からそこはだいぶ改善されて、裁判所は要望を聞くことを広報していて、それに応じて要望すると、ちゃんと「これは要望がありましたので保存します」という対応をしています。 ですから、そういうことに気がつくのが遅かった、という我々の反省もあるんですね。我々は、通達で明記されているものが捨てられているなどと思っていなかったので、そんなこと言うまでもないと思っていたのに、そうではなかった。ということが分かって、最近はつとめて「これはちゃんと取っておいてくれ」ということを裁判所に言うようにしています。 |
---|
裁判記録は歴史修正主義と戦うためにも必要
――たとえば、オウムの事件について、記録が残されていないということになった場合に、私たちの社会にとって、どんな不利益があるでしょうか。
塚原: | 歴史修正主義というのがあって、たとえばオウム事件の場合でいうと、オウムの後継団体であるアレフは、「地下鉄サリン事件は教団以外の者による陰謀だ」などということを信徒に伝えようとしているんですね。あるいは、インターネットを見ると、「これはCIAのでっち上げだ」など根拠もないようなことをいう人たちが出ている。そうすると、事件を知らない世代がそれを受け入れてしまうという危険が高まる。 こういうときに正すためには、最も信頼性の高い裁判記録が保存されていて、必要な時に利用できるという状況にしておくことが、絶対に必要なわけです。だから、まず保存。かつ活用できるためには、閲覧できるようにしてもらわないと困るわけです。 法律上は保存期間内なら閲覧できるはずなのに、先ほど言ったように墨塗りをする、というようなことになっている。保存期間経過後の、刑事参考記録という名称になっているものについても、法務大臣は学術研究のため必要であると認められる場合には閲覧させることができることになっている。ところが、実際にはこれがほとんど認められていないんです。 |
---|
――どういうことですか?
塚原: | 一例をあげると、私の知り合いですけれど、米国の国立公文書館で公開されている資料などを駆使してロッキード事件に関する本を書いて、司馬遼太郎賞まで受賞した記者が、東京地検にロッキ―ド事件の刑事参考記録の閲覧を申請したら、不許可なんですよ。 |
---|
――えっ?
塚原: | 認めないんです。かつ、この刑事参考記録の閲覧を認めるか認めないかというのは法務大臣の裁量だとされ、国民に閲覧の権利はないとして、争えないしくみになっているんですね。これ自体が非常におかしいことです。その他にも、オウム事件の研究ではみなさんご存じのジャーナリストの江川紹子さんですけれども、江川紹子さんがまだ保存期間内の記録の閲覧の申請をしても、東京地検は認めないんです。 保存は何のためにしているかというと、その後で事実を確認するためなんで、閲覧を認めないんだったら保存の意味は半減するわけです。だから、こういうところを改めていかないと、裁判記録を保存する意味もなくなりかねない。利用させないんだったら、無くても同じになっちゃうんですね。いまそういう状態になりかかっているわけなんです。 |
---|
裁判記録は国民の財産。もっと公開を!
――裁判記録を保存して閲覧できるようにすることが、公共の利益にもかなうんだっていうふうに、裁判所や検察庁は思っていないんですか?
塚原: | まったく思っていないわけではないと思いますけど、裁判記録が公文書として国民共有の財産だと考えていない、としか思えないですね。 |
---|
――う-ん…
塚原: | 検察庁は、自分が利用するものはとっておくんです。 |
---|
――自分たちの役に立つものはとっておくと。
塚原: | かつ、外には出さないけれども、自分たちは見られるんです。だから、困っていないんです。 |
---|
――検察庁は困っていない。
塚原: | 困ってない。 |
---|
――でも、国民は困っているわけですよね。
塚原: | ただ、困っていると言う人が、これまでほとんどいなかった。 |
---|
――では、困っていると我々の方から、アピールすればいいということですか。
塚原: | そうです。 |
---|
――そのアピールが足りなかった?
塚原: | そうですね。まあ、そもそも実態がわかっていなかったからなんですけれども。 |
---|
――うーん…
塚原: | 利用する人が少ないんだから廃棄しても構わないということで、いままでずっと通ってきてるということです。 |
---|
――その前提となる保存に関する判断も、刑事であれば検察であり、民事などであれば裁判所などでありというところでの判断ということになるんでしょうけれども、そもそも何を保存するかっていうところも、その判断でいいのかという問題もありますよね。
塚原: | もちろんです。ですからそういうことについても、国民的な議論ができる場を、裁判所も法務省も作るべきだと思っています。 |
---|
――この保存をめぐっては、あるいは利活用をめぐって、塚原さんは、どういったメンバーが判断に参加するべきというふうにお考えですか?
塚原: | 研究者、ジャーナリスト、弁護士といった…それだけが一般国民を代表しているとも思いませんけれども、少なくともそういうメンバーで検討すると。裁判所もいま、そういう方向で動いていますので、それに期待したいと思っています。 |
---|
――その上でとにかく、私たちにとっての財産であり、そういった記録が必要なんだという声をあげるということが大事なのかもしれませんね。
塚原: | そう思います。 |
---|
リスナーからの質問
「スペースが問題と言いますが、コンピュータに保存すれば場所はいらないのではないですか。」
塚原: | いえ、現状では保管場所は必要です。問題は2つあります。 1つ目は、記録保存の原則は「原記録」。つまり紙の記録なら紙で保存することが原則です。この基本原則により、デジタルにしたからといって原本を破棄することはできません。これは全く理解されていない点ですが、デジタル化は公開のための手法なのです。紙で記録されたものは、紙で保存することが前提なのです。ですから、保存する場所の確保は最重要になります。 2つ目は、過去の裁判記録のデータ化(PDF化)には多大の労力を要することだということです。明治以来の判決をPDFにする事業が国際日本文化研究センターで行われ、現在、研究者に公開されていますが、膨大な労力をかけて、ようやく明治23年まできたところで終わっています。昭和50年代までの判決は機械などにかけたら破れやすい薄い和紙のB4袋とじでしたし、昔の記録もそういうものでした。私も、自分の事件記録について少しPDF化を行ったことがありますが、古いものは薄い和紙のB4袋とじの判決などが混じっています。近年でもB4袋とじやA4の紙が混在してバラバラな記録を、傷めずにスキャンしていくのは、ものすごい時間と人手がかかるのです。ばく大な予算をかけない限り不可能です。 日本ではPDFによる提出はようやく実験的に始まったばかりで、義務づけは改正民事訴訟法が施行される2025年を待たなければなりません。将来的にはその後の記録についてはデジタル保存で場所をとらないことが可能になるでしょう。 |
---|
――ありがとうございました。
【放送】
2022/11/14 「Nらじ」特集「“捨てられる裁判記録”は誰のものか」
塚原英治さん(弁護士、「司法情報公開研究会」共同代表)
この記事をシェアする