ジャーナル特集。今回は、1年前に93歳で亡くなった写真家・田沼武能(たぬまたけよし)さんについて、親交のあった黒柳徹子さんのインタビューをお届けします。田沼さんは70年以上にわたりフォトジャーナリストとして活躍しました。その生涯を貫くテーマは“人間”。子どもたちの輝くような笑顔だけでなく、戦争がもたらす悲劇や苦しみも写し出しました。(聞き手:緒方英俊ニュースデスク、打越裕樹キャスター、結野亜希キャスター)
【出演者】
黒柳:黒柳徹子さん(女優・ユニセフ親善大使)
ジャーナル特集。今回は、1年前に93歳で亡くなった写真家・田沼武能(たぬまたけよし)さんについて、親交のあった黒柳徹子さんのインタビューをお届けします。田沼さんは70年以上にわたりフォトジャーナリストとして活躍しました。その生涯を貫くテーマは“人間”。子どもたちの輝くような笑顔だけでなく、戦争がもたらす悲劇や苦しみも写し出しました。(聞き手:緒方英俊ニュースデスク、打越裕樹キャスター、結野亜希キャスター)
【出演者】
黒柳:黒柳徹子さん(女優・ユニセフ親善大使)
――おつきあいも長かったそうですね。
撮影:橋本 英男
黒柳:
そうですね。私はNHKからデビューしたんですけど。本当に若かったとき、昭和28年のことなんですけど、1953年ですか。そのとき、最初にグラフ誌の大きな写真を撮りに来てくださったのが田沼さんだったんですね。で、その写真を見て、ああ、あの方はこういう写真を撮る人なんだと。それで田沼さんのこと、とっても印象強く覚えてたんです。
――田沼さんとほかのカメラマンと、どの辺りが違うと。
黒柳:
そうですね。 熱量。ガンガンいくっていうタイプではないんだけど、すごく写真が好きなんだなと思える感じで。それで、あの優しい感じで。 だけど、絶対撮れるまでは撮るんだっていう感じがしました。やっぱり、珍しい写真家だったと思います。
――1984年、黒柳さんがユニセフの親善大使に任命されると、田沼さんはすぐに同行を申し入れました。貧困や戦争で苦しむ子どもたちの姿を、写真を通じて世界に伝えたいと考えたからです。
黒柳:
ユニセフの親善大使に私がなったら、すぐ田沼さんから電話があって「同行したいんだけど」って。「きっと黒柳くんと一緒に行くと、僕が今まで行ったことのないようなところへ行くだろう。困っていたり、飢えたりそういう、戦争の中に巻き込まれた子どもとか、そういうところへ行くので。とにかく行っていい?」という感じで言うから、「いいわよ」って言ったの。全部の行程に一緒に行ってくださいました。
――2人で行った最初の国はタンザニアでしたよね。タンザニアでの現地での様子ってどうだったんですか、当時は。
黒柳:
3年間雨が降らない干ばつで、すごい数の子どもが毎日死んでいたんですね、飢えで。確かにお水が全然なくてね。遠くのほうの川までお水くみに行って、大事に大事に、その川の濁った水でも大事に飲み水にするんですけど。そういうところに最初に行ったんです。
――子どもたちがすごく痩せていたり、飢えで苦しんでいたりする。田沼さんは、そういう子たちにもカメラを向けました。それはなぜだったと思われますか?
黒柳:
田沼さんはやっぱりカメラマンとして、どんなことが目の前で起ころうとも、それは撮ろうとしていたと思います。
一番ひどかったのはエチオピアに行ったときですかね。エチオピアの隣はソマリア。川の向こうは内戦が始まったんで、いかだみたいなものに乗って逃げてくる、走って逃げてくる人たちが見えるんですよ。こっちの私たちがいるエチオピア側に来るんですけど。子どもが泣きもしないで、風がびゅーびゅー吹く中、歩いているんですよ。もうね、骨が歩いているとしか見えない感じなんですけど。
普通だったら、やっぱりこれは撮れないと思うような。そんなね、体が5cmぐらいの幅しかないぐらい痩せちゃってる、骨がもう頭蓋骨まで表から見えちゃってるような子どもたちを撮るなんていうこと、なかなかね、つらいと思うんですけど、そういうときでも田沼さんは撮っていましたね。「ひでえな」とかね、いろんなことを口の中で言ってましたけど。
――伝えたいっていう思いが田沼さんにあったんですね。
黒柳:
それはもう、すごく強く田沼さんの中にあると思います。
何の罪もないのに、大人のせいでそんなことになっちゃっている子どもたちばっかり撮っているわけですけれども。やっぱり、人間の想像力っていうのは、そんなに深くないものなんで。本当にひどい子どもたちの写真を見てもらえば、それはひどいなってことが分かるんだけども。想像してくださいっていう写真だとやっぱりなかなかね、それは難しいと思うんですけど。
――伝えるためには撮らなければならない。そうした写真家としての厳しさを持つ一方で、田沼さんが子どもたちに向けるまなざしはとても温かかったといいます。
黒柳:
子どもに対して、命令調とか上からものを言うっていう感じじゃなくて。田沼さんも一緒に笑って、子どもたちと一緒に。で、「あ、カワイイなあ」とか「上手、上手」とかね、うんと子どもたちのことを褒めたりなんかして。もう、とっても子どもがうれしくなっちゃうような態度で接していました。
――そういう場面とか表情が好きだったんでしょうかね。
黒柳:
田沼さん好きだったと思いますよ、子どものそういう笑顔がね。
だから、ゴミの中に住んでいても、笑ったりしてる子どもなんかを見ると、私は呼ぶの「田沼さーん」て。すると、そこの現地の子どもがそばに来てね、一緒になって「タヌマサーン」ってみんなが言うの。みんな分かんないのよ。でも私が「田沼さーん!」って言うと、「タヌマサーン」って子どもたちが言ってね、すごいかわいいの。そうすると向こうから、2つカメラいつも首から下げてね、「オイショオイショ」って言って向こうのほうから走ってきてね。「何だい何だい」なんてね。
――お互いにとても信頼関係がおありになったんだなって感じるんですが、田沼さんは黒柳さんのことをどんなふうに思われていたと思いますか。
黒柳:
まあ、気心が知れてるってことはね、お互いやっぱり信頼し合ってるっていうことだと思うし。向こうは向こうで、私のことをちゃんとやってるなって思ってくれただろうと思うんですけど。
やっぱりお互いに戦争を知っているということでは、口に出してしゃべったことは1度もないですけど、分かり合ってるってことだと思います。やっぱり、私も田沼さんも戦争中に子どもだったから、戦争ってどういうものかっていうのは分かってるっていうこと。やっぱりそれがどういうものかを知ってるっていうことでは、お互いがやっぱり気が合うところがあったと思います。
――子どもの飢えって、戦争がやっぱりきっかけになっているところも多いですよね。
黒柳:
ええ。干ばつとかそういうこともありますけど、やっぱり戦争のせいで飢えてるって子どもたちが大勢いますもんね。田沼さんが、いつまでも子どもの元気なところを撮りたいって言うのも、やっぱり戦争を知ってて、子どもたちはこんなふうに元気で走って笑っているものなんだっていうことを田沼さんは撮りたかったんだなと思います、いつもね。
――海外での活動を通じて、お互いを認め合っていた2人。田沼さんの写真には、黒柳さんも心を打たれたといいます。
黒柳:
やっぱり、プロ。プロってどういうものかっていうのは、田沼さんみたいな人のことを言うんだなと思いました。それとやっぱり人間的にね、あんなふうに優しくていい人だから、ああいう写真が撮れるんだなっていつも思いました。
――田沼さんの写真を帰ってきてから見たりして、いろんなことを思われたと思うんですけど。
黒柳:
そうねえ、やっぱり、田沼さんよくここまで撮ってくださっているなっていう気持ちはいつもありました。帰ってきて田沼さんの写真を見ると、子どもたちがみんな裸足で、もう本当にパンツもはいてないような状態なのに、みんな私に手を出して握手しようとしているの、なんかを田沼さんが撮っている写真を見ると、「ああ、あのとき子どもたちはこんなだったんだ」って。田沼さんの写真を見て、日本に帰ってきてからね、ちょっと泣いたりしたこともあります。現地ではね、泣いたりはしませんけれど。
田沼さんがいたら、また一緒にどこかに行けたら。 田沼さんの撮りたい写真は絶対に子どもを守る写真に違いないので、田沼さんに写真をまた撮ってもらいたいって思います。もちろんユニセフの写真の人もいるんですけど。やっぱり田沼さんが撮る写真っていうのは、戦争を知っている人の写真ですのでね。
――今もまた世界で緊張が高まっていますけど。今の状況を見てどう思われますか。
黒柳:
嫌です、嫌ですよね。 ニュースでも子どもたちがひどい目に遭うに違いない状況が映りますよね。そこのところが映らなくたって分かりますよね、そういうことは。そういうときに田沼さんを思い出すことありますよ。今のニュース見ててね、田沼さんもきっと嫌だなと思って見てるだろうなっていうふうに思うときがあります。だって、絶対平和じゃなければ子どもは幸せになれないんですから。
――コロナ禍で間は空いてしまったんですけど、本来はまたお2人で…。
黒柳:
行くはずだったんですよ。その間に何かで会ったらば「今度どこ行く?」っていう話になって。
――まだまだ行こうっていう気概というか。
黒柳:
ええ!! まだありましたね、田沼さんね。
――もし今、田沼さんに声をかけてあげるとしたら何を伝えたいですか。
黒柳:
「ダメじゃない死んじゃって」って。「一緒に行ってくれないと」って。本当のこと言うと、そういうふうに言いたいですけど。もう1つは「もう十分に撮ったわよね」っていう。「笑ってる子どもも泣いてる子どももたくさん撮ったわよね」って。でも、また行くとしたら田沼さんと行きたかったのにっていう、そういう思いはあります。
【放送】
2023/06/05 「NHKジャーナル」
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