NHKの正月時代劇<ライジング若冲>をはじめ、ドラマや映画などでも活躍されている歌舞伎俳優・中村七之助さん。祖父や父も著名な歌舞伎俳優の家庭で育ち、次代を担う女形として大きな存在感を放っています。最初は乗り気ではなかったという女形を目指すきっかけ、2月に行う祖父の追善公演への思い、コロナ禍の中での決意などについて伺いました。

【出演者】
七之助さん:中村七之助さん(歌舞伎俳優)
岩本デスク:岩本裕ニュースデスク


岩本デスク: 七之助さんは次代を担うとされる女形でいらっしゃるわけですけれども、もともと女形を専門的にやろうと思われたのは、なぜなんですか。
七之助さん: はじめは、女形はあまり好きじゃなくてですね……。女形というものを不勉強だったので、そう思っていたんでしょうけれども、「見得をして、立ち回りして、華やかにパーッと」というイメージがすごく立ち役にはあったので、女形というのは「静かにしてなくちゃいけない。小ちゃくなってなくちゃいけない」というものしか見えてなかったんです。

ですけれども、玉三郎のおじさまに『仮名手本忠臣蔵』の六段目の「おかる」をお稽古していただいたときに、稽古場でいろいろやって見せてくださったんですね。その稽古があまりにもすばらしいというか、おじさまがやっているおかるに対する気持ちであったり所作にとても感動いたしまして、そこから「もしかしたら僕は女形のほうが向いているのではないかな」と感じました。でも別に僕が「女形になります」と言ったわけではないんです。手を挙げたわけではないんですけれども、勉強していくうちに、来るお役が女形が多くなって、今に至るという感じです。
岩本デスク: 今拝見すると非常にやっぱり女形、っていうふうに……。
七之助さん: そうですね。体型も変わってきました。
岩本デスク: どういうふうに?
七之助さん: 僕、いかり肩だったんですけれども、なで肩になりました。
岩本デスク: えっ?
七之助さん: 体型もちょっと筒状というか、胴が筒状になってくるというか。
岩本デスク: それはなぜなんですか?
七之助さん: 肩に関しては、肩を落として稽古したり、踊りもそうですけれどもいろんなことをやっていくうちに、人間って、すごいですよね。毎回やっているとそういうふうに体が変形していく、というか。
昔からスタイリストの方は一緒なんですけれども、「昔はいかり肩で大変だったけど、今はなで肩で大変だ」って言われます。どちらにしても大変な体型ではあるんですけど。
岩本デスク: 私なんかが注目したのは『真夜中の弥次さん喜多さん』という映画で。
七之助さん: ずいぶん前ですね。
岩本デスク: あの喜多さんの、妖艶にといいますか非常に女性らしく演じていたのが印象に残っています。あのとき、歌も披露してらっしゃいましたよね。
七之助さん: お恥ずかしながら……。
岩本デスク: すごくお上手だったなっていう感じがあったんですけれども。
七之助さん: 『真夜中の弥次さん喜多さん』は宮藤官九郎さんの初監督作品で、そういうご縁でお仕事をがっつり一緒にさせていただいたのは初めてだったと思います。それから歌舞伎も書いてくださいましたし、<いだてん>でも兄(中村勘九郎)がお世話になって私も出させていただきました。ああいうご縁がいまだに続いているのはとてもうれしいなと思います。
岩本デスク: でも七之助さんは、どちらかというと舞台を中心にやってらっしゃいますよね。それはなぜなんですか。
七之助さん: いいお話であったり、自分に合ったようなお役が来たときにはテレビにも出演したい気持ちはもちろんあるんですけれども、照れくさいというのもあるんですよ、素顔で出るというのもありますし。
歌舞伎が好きなので歌舞伎でいいお役があったらそっちのほうが、まあ僕も10か月ぐらいは必ず舞台を務めていたので、そうすると物理的にテレビを撮っている時間がないんです。それで行かないというのが、もしかしたら一番大きいかもしれないです。
岩本デスク: 舞台を大切にされている七之助さんにとって、去年1年間は新型コロナウイルスでなかなか劇場が開かなかった、この状況はどうでしたか。
七之助さん: これはもう本当に僕だけではなく歌舞伎に携わる人間全員、また生の舞台の表現者の方々だったり裏の方々だったり、みんな苦しかったのではないでしょうか。舞台に立たないと、なんにもできない。あらためて、無力なんだなあというのは思いましたね。

3月に演ずるはずだった役がとてもいいお役だったので、舞台稽古ではやらせていただいたんですけれどお客様の前ではできなかった悔しさがまずありました。「出たい」という気持ちが大きくなったんですけど、徐々に「出たい」という気すらそがれるというか、「これはまずい状況になってきたぞ、世の中」というほうが強くなっちゃいました。だから「舞台に出たいと言えない」、口がさけても言えない、という世の中に変わっていきましたね、5月、6月は。8月に舞台があるっていうのを希望していましたが……、でもまあ、ないだろうなって若干思っていましたし、それでも無事、開いたんですけれども。
岩本デスク: 久しぶりの舞台に立つときの気持ちはどんなものだったんですか。
七之助さん: すっごい緊張しました。稽古も今まで以上に短かったので。いきなり舞台稽古だったんです。次の日には本番だったので、それは緊張しましたね。もちろんやったことのあるお役でしたけれども。
岩本デスク: そして2月。歌舞伎座では(十七世)中村勘三郎、おじいさまの三十三回忌ということでの公演ですね。
七之助さん: こういう時期に歌舞伎座で、3部制になって2か月目ですか、2月に3部でやらせていただけるというのはうれしいかぎりです。
岩本デスク: おじいさま、そしてお父さまも本当に有名な歌舞伎俳優でいらしたわけですけれども、そういう家庭に生まれ育ったという誇らしさもあるでしょうし、プレッシャーもやっぱりあるんじゃないですか。
七之助さん: プレッシャーはほとんどないですね。
岩本デスク: ないですか!
七之助さん: ないですね。本当に生活の一部なので、歌舞伎が。もちろん親子役に対しての父の芝居を見てみたり、今回の袖萩(そではぎ)でしたら……、
岩本デスク: 「袖萩」とは?
七之助さん: 今回の追善興行で『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』という演目で袖萩という役をやらせていただくんですけれども、祖父がすごく得意にしていたお役でして、ありがたいことにその役の映像が残っているんです。それを見たりしますと、「うわあ、すばらしいな」と思います。けれどもそれはプレッシャーというよりも、「ここに行きたい」というほうが強いので、できるかどうか、もちろんできないとは思いますけれども、こういう手本があるということはうれしいことだし幸せなことなので、プレッシャーというよりも、ここに行きたいなというほうが強いです。
岩本デスク: コロナでまた緊急事態宣言が出て、という状況の中での上演になりますけれども、来てくださる方、もしくは興味ある方にメッセージをお願いします。
七之助さん: 皆さまそれぞれ思いがあると思うんです。なんですけれども、やはり私たちは舞台に立って、皆さまに何か感じていただいて、おこがましいかもしれませんけれども、心が豊かになったり、いろんなものに触れて楽しんでいただけたらうれしいなと純粋に思って、やはり「舞台は止めちゃいけない」とは思うんです。
2月の舞台も、祖父の思いだったり中村屋の思いを継いで、その熱い魂をお客さまに届けたいので、一生懸命やっていますので、ぜひ、これ本当に、松竹の感染症の対策はすばらしいと僕は思っていますので、そこは安心して見ていただけると思います。
岩本デスク: でも「中村屋!」っていう声が聞けないのは……。
七之助さん: それだけはねえ。12月に初めて歌舞伎を見に来た友達が何人かいましてね、「作品はおもしろかったけど、やはり大向こうが聞きたかった」って全員言いましたね。やっぱりこれは歌舞伎の醍醐味ですから。今はやっている、“映画の応援上映”ってあるじゃないですか、声出して映画。あれ、ですからね。

難しいものっていうイメージが歌舞伎にはありますけれども、実は客席と舞台が一体となれる、なかなか探してもないような演劇なので、そこの魅力の1つが今ストップしてしまっているのはちょっと悲しいですけれど、いつか大丈夫になる日が来ると思いますから、安心して見ていただけるのが一番だと思いますので、そこはぐっと我慢をしてやっていきたいと思います。