“センス”とは、何かに対して一生懸命になれる、寝ても覚めてもこの花を生けたいと思う気持ち

24/05/20まで

眠れない貴女へ

放送日:2024/05/12

#インタビュー#アート#植物

イギリスのエリザベス女王から「緑の魔術師」と称された庭園デザイナーの石原和幸さんに、花に興味を持ったきっかけ、無給を条件に花屋さんに就職した経緯、そこで花を買ってもらうためにさまざまな工夫をし、お客さんからも慕われて花よりも自分が商品なのだと気づいたことなど、興味深いお話を伺いました。

【出演者】
石原:石原和幸さん(ゲスト)
村山:村山由佳さん(ご案内)

石原和幸さん

【石原和幸さんのプロフィール】
1958年、長崎県生まれ。庭園デザイナー。
22歳で生け花の『池坊』に入門。花と緑に魅了され、路上販売から店舗、そして庭づくりの仕事をスタート。英国王立園芸協会が主催する世界最古にして最も権威があるイギリスの国際ガーデニングショー「チェルシーフラワーショー」では、2023年までに合計12個のゴールドメダルを獲得。エリザベス女王やチャールズ国王からも称賛されるほどで、多くの人々に花と緑のすばらしさを伝え続けている。現在は、東京・長崎・福岡を拠点に、デザインにこだわったガーデンや壁面緑化のランドスケープデザイン・施工と総合プロデュースを手がけるなど、国内外で幅広く活躍中。

エリザベス女王と

人生を変えた生け花との出会い

村山由佳さん

村山:
石原さんがチェルシーフラワーショーに出展なさったお庭の数々や撮りためた写真集を見せていただいたんですけれど、もう見事というか、たぶん私たちがイメージするガーデン・庭っていうのとまた違うと思うんですよね。チェルシーフラワーショーというのは、もう本当に全世界からいろんなガーデナーの人たちが寄ってきて技を競うわけなんですけれども、一人一人のブースはある程度広さが決まっているので、そこで自分の世界観を表現しなきゃいけないわ,けなんですよ。そこに毎年毎年、石原さんの出展なさるお庭がまた、全然前の年と違って魅力的なんですね。チャールズ国王も本当に庭がお好きな方なので見にいらしたり、ブライアン・メイも見に来たりという、そんなお庭です。
元々はモトクロスのレーサーを目指していたという石原さんなのですが、20歳で近眼になってしまったことでモトクロスは諦め整備士のお仕事に就きました。そこから花に興味を持ったきっかけを伺いました。

石原:
自分の家が長崎市三原というところにあるんですけども、原爆の爆心地から3キロのところで、最初はその焼け野原から畑を作って父が牛を飼ってたんですけど、町が復興してきて、段々畑になって。でそれが、段々畑から住宅地になってきて、そこから牛が飼えなくなりまして。で、父はそこで段々畑の牧草地に花を植え始めたんです。花を植え始めた父を見て、僕が生け花をやったら手伝えるんじゃないかなと思って、それで生け花を習い始めました。そしたらそこで、なんか自分の中にこう光がバーッと入ってくるような感じがして。なんでかというと、モータースポーツは体力の限界があると。生け花は、池坊という近くの教室に入ったんですけど、これ一生できるなと思ったんですよ。練習すればするほどうまくなるじゃないですか。うわ、これはいいわと思って、もう花屋をしようというふうに思いました。
最初はいろんな話がありました。花屋もうかるよっていう話もあったし、何よりも自分は一回も花を生けたことないし、全く興味なかったし、興味なかったというより、そういう発想がなかったんですね。ですが、花を生けたらまあ褒められまして。すごいと。その時の先生が僕に教えたことが、普通だったら生け花教室に行ったら花が用意されてるんですけど、石原さんは家にいっぱいあるから持ってきていいよって言われたんですよ。花は足で生けなさいと。足でっていうのは、足で探して切ってそれを生け花にするとすごくいいよっていうのをその先生から教わって。いやすごいなと。もう野に生えてる花をちょっと生けただけで人が感動する。たった三本で、真(しん)・副(そえ)・体(たい)っていうんですけど、真が山を表現して、副がもっと向こうの山を表現して、体は手前の町を表現するんですね。えーっ! って。真・副・体って、三本でこんなきれいな景色出るんだとか、桜ひとつにしても、やっぱりつぼみとか三分咲きとか、その季節季節で生け方が違う。例えば人をお招きする時のお迎えの花はちょっと歓迎、で泊まっていらっしゃるときは泊まりの花で、で最後は感謝の花みたいな。すべてそういうのがあるんだなっていうのを知れば知るほど、小学校中学校と本当に勉強してなくて畑で遊んでたんですけど、初めて勉強しましたね、花で。いろんな花屋も見に行きましたし、本当楽しくて仕方がなかったですね。

村山:
こういう出会いって運命みたいにあるんですね。でも最初に生けてそれをすごいうまいってほめられるっていうのはたぶん石原さんが普段から自然の景色をちゃんと見て、意識しなくても観察してらしたんじゃないのかなって思うんですよね。ご実家も、長崎の三原庭園という約5,000坪もあるような広いお庭が今できているんですけれども、それを無料公開なさって、オープンガーデンになっていて、そこでも皆さんに見てもらえる、そして、そういうふうな庭をお作りになる過程でも、ご自分の見る目みたいなものを養われていったんじゃないのかなって思います。だからと言って、誰にでもできることじゃないわけですから、センスがあったんですねってお尋ねしたところ、「僕はセンスって何かなと思った時に、一生懸命になれるっていう、その考え方が持てるっていうのがセンスだと思う。だから、寝ても覚めてもこの花を生けたいと思う気持ち。その気持ちがセンスかなと思います。」っておっしゃっていました。確かにどんなに美的センスがあっても夢中になれなかったら、きっと何もモノにはならないですもんね。

「花を売る」のではなく、いかにして自分に興味をもってもらうか

村山:
そうして花に魅せられた石原さん、まずはどんなことから始めたんでしょうか?

石原:
これを職業にするには、花屋さんでアルバイトするしかないなと思ったんです。アルバイトするっていっても花屋さん知らないし、会社の近くに路上で売ってる花屋さんがいまして。あ、ここで働けたら花を売る勉強できるなと思ったんです。でそこで申し込みにいきました。すいません、僕を雇ってもらえないですかと。そしたらそこの社長さんっていうか、路上販売の男性の方が、いやー給料払えないんで無理、と言われたんです。で一晩考えて、給料いらないんで雇ってもらえませんかって言ったら、いいよ今からって言ってすぐ就職が決まりまして。そこで花を売り始めたんです。
まず横断歩道でこっちが魚屋さんと野菜屋さん、その間で売ってるんですけどね、路上で。通行人の人は、魚いっぱい買ったり、野菜買ったら、花は買わないとか、そういう三者で戦う…戦うわけじゃないですけど。社長に学んだことは、まず叫べと。いらっしゃいませ! いらっしゃいませ! と。で叫んでたら、今度はやかましいと言われて。で、タイミングがあるんだと。この2mぐらいの前を通り過ぎるお客様にこっちは振り向いてもらう。「奥様、すてきなバッグをお持ちですね」とか。で振り向いてもらった時にですね「これ今入ったばっかりのバラなんですけど」みたいなね。そういう話をしながらバラを売る、榊を売る。
で今度、そこでお客さんがついてきますよね。そしたら道で会っても「こんにちはー!」「あ、花屋さんのお兄さんね」みたいに話しかけていただくようになりまして、だんだんだんだんですね。差し入れも出てきまして、コーラとかコーヒーとか、たこ焼きも。「食べてんの?」とか言われて。そうか、花を売るんじゃないんだと、自分が商品なんだ、というのはそこで感じて。で、めちゃくちゃ売れるようになったんで、今度は社長が辞められたら困るんで、売上げがいい時は小遣いをもらって。ですけど、やっぱりそこで本当に花を売るっていうことを勉強させてもらいましたし、お客様との接し方、そういうのを学んだなと思います。

村山:
相手がどういうことに興味を持つか、何を求めてるかっていうので、うまく声かけをできたら、こっちを向いてもらえる。そしてさらにうまくいったら花を買ってもらえるっていう。そのことを自分が商品なんだっていうふうに表現なさるのがおもしろいなと思いました。実際、野菜とかお魚はね、みんなどうしても必要と思って買っていかれるけれども、花はぜいたく品みたいに思われる方、いっぱいいますからね。売るのはすごく難しいと思います。

逆境の中で見つけた庭づくりというチャンス

村山:
路上販売で接客や売ることのノウハウを学んだ石原さん。その後独立し、実家にあった牛小屋を改造して花屋を開店するも、1982年、長崎大水害で、お店も花畑も車もすべて流されてしまいます。そこからもう一度花屋さんでアルバイトを始め、自分の作った花をまた花屋さんにおろしたりするなど、仕事を継続しながら、ご自身で花屋の開店も目指します。ですが当時はバブル全盛期で家賃が高く、店を立ち上げるだけでも困難。そんななか石原さんは、ビルの谷間にある自動販売機置き場など小さなスペースに着目し、そこで花屋さんを開くと、それが見事成功。次々と店を出し、約30店舗をオープンします。その手腕でどんどん事業を拡大していきますが、売り上げがだんだん低下していき、さらに大手商社と合弁会社を設立した新規事業がうまくいかず、バブル崩壊も相まって、なんと8億円もの借金を抱えてしまったそうです。
そんなとき、石原さんの心を揺さぶる転機が訪れました。

石原:
父がですね、末期がんになって。朝から晩まで働いてる親父しか見たことなかったんですが「ありがとう、楽しかった」って言って死んでいったんですよ。まあ親父かっこいいなと。で僕はそこでふと我に返って思ったのは、最初は花が好きで入って、結婚して小さな花屋でいいなと思ってたと。ゲームみたいにどんどんどんどん花屋を増やして、自分が仕入れにも行かないし、デスクワークみたいになってきて。そういったギャップ、消費者と私どものギャップがあったなと。それで8億円の借金ができましてね。で、それを返さないといけないと。持ってた本社ビル、小さな建物も全部売って。で半分返したんですよ、あと4億円。家も全部売って、残りは僕ひとりと3人ぐらいの社員で、で自分がまた仕入れに行って、また並べて売り始めたんですよ。市場も変わらず安い花がいろいろあって、もうこっちは借金返さないといけないんで、まあ燃えるわけですよ。ガーって花を買うと。助手席も後ろも全部乗せてガソリンスタンド行ったんですよ。で、ガソリンスタンドの人から「この花どうしたの?」って言われて。「いやぁもう安いんですよ。スイートピー30円で50円で。」みたいな。「え、それ売ってんの?」「あ、大丈夫です」とか言ったら買ってくれるんですよ。え、どこでも売っていいんだと思いますよね。でそれをバーって売ったらまた前のように売れ始めたと。
で、もう一つは季節でパンジーとか、1月2月は高いんだけど3月4月になるとパンジー安かったのでバーっと店先に置いてたら、お客さんが、これパンジー持ってきてくれる? って持っていきまして。「石原さん、庭とか作れんの?」って言われて。作ったことないんですけど「実は得意なんです!」と。10万円で、って言われたんですよ。花屋で10万円花買うってまあないんですけど。「申し訳ない、お金10万円しかないんだけど。」って言って庭を作ってくれと。単価が全然違うじゃないですか。で僕はやったことないから、まあできますって言ったんですけど。ホームセンターにレンガ買いに行って、コンクリート混ぜたことないんですよ。このモルタルと砂と水と入れてこう積んで。で、流木とかツボを使って庭を作りましたら、お客さんが「すごいね! こんな庭見たことない」と言われまして。で、ちょうど娘が新築の家建ててるんで庭を作ってほしいと。本当に石原さん申し訳ない、予算がないと。100万円と。…え? 100万円…。それで今度はさすがに駐車場とか作れないので、左官さんを探してフェンスとかも僕は手伝いながら木植えて。まあ喜んでくれたんですよ。
ガーデニングという言葉もない時代に、これいけるなと思ったんですよ。普通、花屋さんは植木とか盆栽の手入れできないですね。で、植木屋さんはブーケとかできないですね。これ両方やったらすごいんじゃない? とか、そこでなんか借金あるのに燃えてきて。朝から晩まで花売ったり仕入れ行ったり庭作ったりとかしていたら、まあ楽しくて。借金もちょっとずつ減ってきて。だからあのハングリー、もう何でもやるぞっていう、そこまでどん底になれることってないじゃないですか。どん底だったからそういうアイデアが生まれた。花を売るのも固定観念があったと。ガソリンスタンドの方に「これ売ってんの?」って言われて「はい!」とか。リスクの中にチャンスがあるなっていうのはもう体で思いましたね。

2016年 チェルシーフラワーショー ゴールドメダル受賞・プレジデント賞受賞『千里千庭ーGarage Gardenー』

2024年 チェルシーフラワーショー MOROTO no IE デザインパース(完成予想図)

番組からのメッセージ

  •  ♪ 山あり谷ありの人生で「落ち込んでもとにかく動き続ける!」をモットーに常に前向きに生きてこられた石原さん。庭づくりで大切なのは、「まず、この庭が何のためにあるのか」を考えることだそうです。借金返済のために常にハングリー精神で動き続けてきた石原さんですが、人々の心が豊かになるような空間をつくることを目標に置き、長崎のご自宅の庭園も皆さんに楽しんでいただけるように日々整え続けているとおっしゃっていました。
  •  ♪ この番組は、らじる★らじるの聴き逃しでお楽しみいただけます!
    放送後1週間お聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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24/05/20まで

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24/05/20まで

  •  ♪ 番組では皆さんのおたよりをお待ちしています。
    5月のテ-マも「マイルール」です。新年度が始まって作った新しい決め事や、長く続けているルーティンなど、あなたならではの「マイルール」にまつわるエピソ-ドをリクエスト曲とともにお寄せください。

眠れない貴女へ

NHK-FM 毎週日曜 午後11時30分

おたよりはこちらから


【放送】
2024/05/12 「眠れない貴女へ」

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