東日本大震災で気付いた“自分のためではなく誰かのために演奏すること”の尊さ

24/04/29まで

眠れない貴女へ

放送日:2024/04/21

#インタビュー#音楽#東日本大震災

津軽三味線奏者の浅野祥(あさのしょう)さんに、津軽三味線を楽しむおじいさまの姿に憧れて和太鼓や津軽三味線に親しんだ幼いころのことやおじいさまとの約束、音楽や人生との向き合い方を考え直すきっかけとなった東日本大震災のこと、さらには民謡と人々の生活との関係性の探求など、興味深いお話を伺いました。

【出演者】
浅野:浅野 祥さん(ゲスト)
和田:和田明日香さん(ご案内)

浅野 祥さん

【浅野祥さんのプロフィール】
1990年、宮城県仙台市出身。祖父の影響で、3歳で和太鼓、5歳で津軽三味線を始め、7歳の時、津軽三味線全国大会に最年少出場。翌年から各級の最年少優勝記録を次々と塗り替え、14才でその大会の最高峰のA級で最年少優勝し、その後、3連覇を達成。2007年17歳でメジャーデビュー。一般大学に進学するも、演奏活動と学業を両立し、卒業後も津軽三味線奏者として、民謡や古典芸能の追及はもちろん、クラシック、ロック、ジャズ、ポップス、各地の民族音楽などのアーティストとの共演を重ねて、ジャンルにとらわれない演奏スタイルで活動中。2022年からはNHKラジオ第1の東北ブロックで70年続いている番組『民謡をどうぞ』の構成作家を担当、さらに今年度からはNHK-FMでスタートした『出会いは!みんようび』のMCを務めている。

出会いは!みんようび

NHK-FM
毎週金曜日 午前11時25分~11時50分

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憧れのじいちゃんのように、命果てるまで三味線を弾き続けたい!

和田明日香さん

和田:
まずは浅野さんに津軽三味線を始めたきっかけを伺いました。

浅野:
一緒に住んでいたおじいちゃんが、趣味で三味線とか民謡をやってたんですけれども、それをずっと子どもの頃から毎日のように聞いていて、で、ある種ですね、ヒーローに憧れる子どもの気持ちだった感じがありますね。もうおじいちゃんみたいにあれをやりたいみたいな、おじいちゃんになりたいみたいな。そういう憧れから津軽三味線を5歳の時に、初めて自分に買ってもらって、そこからのめり込んでいった感じですね。
まぁ、おじいちゃんみたいになりたいっていうところから始まったんですけれども、全国大会で三連覇っていうのが一番名誉あるタイトルだというふうに、その当時は言われてたんですけれども、もう何歳になってもいいから、それを達成しようっていう。大好きだったじいちゃんと約束していて、そういう約束の下に、二人三脚で稽古が始まったんですね。で、30になっても50になっても、何歳になっても、それだけは達成しようっていう約束をしていたので、結果的に見せてあげられなかったんですけれども、16歳の時にそれを達成できたっていうことで。
じゃあ、この後どうしようかっていう時に、いろんなご縁がつながって、デビューさせていただいたんですけど、やっぱり心のどこかに、ずっとじいちゃんとの約束があって、だから1mmも疑わずに、僕はずっと三味線を弾き続けていくっていう。まあ仕事にするとか、それでご飯を食べるっていうそういう意識じゃなくて、やっぱり弾いていて、感覚的にDNAがズキズキうずくっていうか、そういう音色と音の振動をいつも感じていて。なので自分にとっては、もうなくてはならないもののひとつですし、とにかく命が果てるまで、三味線を弾き続けていくっていう決意は、もうすでに小学生くらいの頃からありましたね。

和田:
かっこいいですね! じいちゃんとの約束。ステキですね。本当に幼い頃から、もう初志貫徹、そして有言実行されてきた浅野さんですが、早くから才能を開花させ、17歳でデビューされました。

東日本大震災で目覚めた誰かのために三味線を弾きたいという気持ち

和田:
こうやって聞くと、一見トントン拍子で、順風満帆な音楽家人生を歩んでいるように見える浅野さんなんですが、2011年、故郷の宮城県が東日本大震災により被災します。
浅野さんは仲間と一緒にプロジェクトを立ち上げてがれきから楽器を作り、被災地を訪問して音楽を届けてこられました。その経験は浅野さんの音楽人生の転機になったといいます。

浅野:
やっぱり一番大きな衝撃だったのは、自分の地元が大震災によって変わってしまったっていうあの経験は、すごく自分にとっては大きなできごとでしたよね。その時21歳ですかね。もう演奏活動も始めていた頃でしたけれども、それまで誰かのために三味線の音を出したいと思ってなかったんじゃないかなって今思うと。もう常に自己満足で全国大会で優勝したい、誰よりもうまく弾きたい、今日のコンサートはミスなく弾けたとか、もう自分のためにしか弾いてこなかったんですけれど、あの時期に、80か所から100か所ぐらいですかね、仮設住宅に三味線持って行かせていただいて、地元のじいちゃん、ばあちゃんたちに、いろんなお話を聞いて回ったんですけどね。
やっぱりリアルな言葉から、すごくこう胸に突き刺さるものがたくさんあって、リアルを体験したからこそ、生まれてくる音楽っていうその民謡の素晴らしさ、そういったものを改めて感じましたし、まだまだ大変なはずなんですけど、民謡が流れると、もうとにかくお祭り騒ぎになるんですよね。久しぶりに声を出したわ~みたいなばあちゃんがいたりとか。地域によると思うんですけど、あの宮城という土地は、まだまだ民謡が皆にとって近い存在で、この音楽の持つ魅力と力を、あの時は本当に改めて感じましたよね。なので、あの経験があったから今こうやって民謡も相変わらず大切にしようって、強く心に思えてるんじゃないかなっていうふうに思いますね。

和田:
震災を通していろんなお話を聞く中で、民謡の素晴らしさに気付いたという浅野さん。
やっぱりみんなにとってのルーツみたいな、そういうものなのかなと思いますよね。

ディープに民謡を理解したくて、全国行脚

和田:
浅野さんは震災に遭われた宮城県以外にも民謡のルーツをたどって全国をめぐり、その土地土地に息づくリアルな民謡を探求してこられています。

浅野:
民謡という音楽は、やっぱりたくさんの作業歌が存在していたりとか、本当に私たちの生活に寄り添ってきた音楽だし、寄り添うというよりも、歌がなかったら、この辛い仕事をこなせないっていうくらい、とても大切な存在だったと思うんですね。だから田植えをする時なんていうのも、今ではもう機械でブワーってできますけど、一つ一つこう手で植えていた時代なんていうのは、本当に大変だっただろうなと思いますし、だから、そういう時にずっと身近に支えてきたものの一つに民謡という音楽があって、じゃあ、その仕事ごとに、例えば網を引く時のテンポですとか、田植えをする時の田植え歌のテンポって、すごく独特なんですよね。
だからどういう根拠でこの歌が生まれたのかっていうのを、今度探究したくなってですね、漁師さんに頼んで、船に乗らせてもらって網を引く体験をしたりとか、田植えをさせてもらって、あの独特なリズムはどっから来てるんだろうって思った時に、ぬかるんだ土に足を踏み入れて抜く時の、あの“よっこいしょ”っていうあのテンポって、やっぱり4分の4拍子とか西洋の平均的なテンポには、どうしても当てはまらないですよね。ズボって足を踏み入れてから抜く時って、やっぱり1、2、では抜けないので、そういった人々の身体を使ってやってきた仕事に起因してこの歌が生まれたんだなとか、そういう民謡の深いところを結構体験しに行きましたね。
大学在学中も、もうデビューをした後だったので、金、土、日、月くらいは、旅に出て演奏会をずっと回らせていただいていたんですけれども、スタッフの方々よりも一足先に入ったりして、街を歩いて、で、その街に埋もれてしまった歌とか、そういったものはないかって街の人にインタビューして歩いていたんですね。自分で足を動かすことによって、本当にたくさんの知らなかった民謡、で、地元の方々にも、もはや忘れ去られてしまいそうだった民謡たちに出会ったんですよね。それってすごくやはり、その人と人が繋いできた音楽なので、そういう活動をあの時期にたくさんできてよかったなぁというふうに改めて振り返っています。

番組からのメッセージ

  •  ♪ 仕事や作曲など自分の内面と向き合う時間の後に、人間味のある優しい声を聴きたくなってラジオをよく聴いているという浅野さん。民謡に新しい要素を加えて若い人にも親しんでもらえるように進化させていく活動も大切にしたいけれども、世界中の民族音楽のルーツや文化の交流点などを探求する旅をしたいと夢を語っておられました。
  •  ♪ この番組は、らじる★らじるの聴き逃しでお楽しみいただけます!
    放送後1週間お聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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24/04/29まで

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24/04/29まで

  •  ♪ 番組では皆さんのおたよりをお待ちしています。
    4月のテ-マは「マイルール」です。新年度が始まって作った新しい決め事や、長く続けているルーティンなど、あなたならではの「マイルール」にまつわるエピソ-ドをリクエスト曲とともにお寄せください。

眠れない貴女へ

NHK-FM 毎週日曜 午後11時30分

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【放送】
2024/04/21 「眠れない貴女へ」

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