芸術家であり、渋谷などで落書きを消す活動をしている傍嶋賢(そばじま・けん)さんに、特に渋谷に多い落書きの問題に取り組み始めたきっかけ、落書きとアートの違い、合法か違法か、そして芸術とは何か、など、通りかかるだけでは気づかない、落書きの奥に潜むさまざまな課題について、興味深いお話を伺いました。
【出演者】
傍嶋:傍嶋 賢さん(ゲスト)
村山:村山由佳さん(ご案内)
傍嶋 賢さん
【傍嶋賢さんのプロフィール】
1979年、千葉県生まれ。東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻を卒業後、大学院に進み壁画を学ぶ。
行政と連携した壁画制作やアートイベントなどを実施。荒川区で電車の高架下などに落書き対策のため壁画を制作するなど街の落書き問題に取り組むなかで、特に被害の多い渋谷で活動を始める。2018年、一般社団法人 CLEAN & ARTを立ち上げ、行政や困っている人からの依頼を受けて、渋谷の街からクリーンとアートをテーマに落書きを消す活動をおこなっている。2019年、渋谷サステナブル・アワードで大賞を受賞。
住民は困っている渋谷の落書き問題
村山由佳さん
村山:
まずは傍嶋さんが渋谷の落書きを消す活動を始めた経緯から伺いました。
傍嶋:
都内で落書きが問題になっているようなエリアを探そうっていうことで、2017年に実際にいろんな所に足を運んで、写真を撮ったり、現場で話を聞いたりっていうのを通して、で一番やっぱり渋谷区が被害が大きいっていうことをヒアリング等で知ったっていうことが始めたきっかけとしてあります。
もともと芸大の壁画科っていうのもあって、壁画を描く上でやっぱりグラフィティっていうのもひとつの表現方法っていうのも知ってましたし、もっとさかのぼるとベルリンの壁崩壊のところまで、ですね。僕は小学生とかでしたけど、その時にテレビに映ってた壁に落書きがあって。そのころから何かうすうす興味があって。壁画を描くようになってから、もっとより調べてみようかなって思っていろいろリサーチしたり、一応文脈みたいなものを調べたりしてました。
渋谷を最初リサーチしたときもそういった気持ちで、最初はやっぱりまあひとつの表現でもあるし、これはアートなんじゃないかなっていう思いはあるし、他の人たちもそう思っているっていうのも、うすうすわかってはいるものの、実際にそこで描かれちゃった人ってどういう気持ちなのかなっていうのを、結構皆さん考えないんですよね、渋谷に来た人たちって。ストリートアートかっこいいなっていう。で、実際話を聞いてみるとめっちゃ怒ってるんですよね。そりゃそうだよなあっていう。怒ってはいるけど誰も解決できない状態であるっていうのも話を聞いてて。で、それがやっぱりいろんな許可を取らなきゃいけなかったり、消すにあたってお金も必要だったりっていうのがあるんで。最初の2年間は月1回ぐらいでボランティアでやってました。
村山:
グラフィティアート、ストリートアートって、確かにセンスのいい上手なものを見るとかっこいいなーって思っちゃいますよね、キース・ヘリングみたいな感じのとかね。表現としてもすごく大きなキャンバスで自由にやってる感じがしてって、そう思いがちなんだけれど、でもじゃあ自分の家の白い壁とかマンションの壁とかに描かれたらそれは嫌だよなと私も思います。とはいえ、基本的にどんな壁も誰かの所有物で所有権があるので、消す時も勝手に消してしまうことができないんだそうです。逆に消したことで後が汚くなったり壊してしまったりすると器物損壊罪という落書きと同等の罪になるから、1つ1つちゃんと許可を取る必要があるそうなんですね。描くのは一晩でも、消すとなると大変ですよね。
本来の風景に戻すだけでも人の心は動かせる
村山:
ストリートカルチャーが根づく渋谷で、グラフィティというのはアートの表現方法とも言えるかもしれませんが、そこに住む人たちにとって落書きは大きな地域問題のひとつでもあります。壁画アーティストでもある傍嶋さんは、どのように思っていらっしゃるのでしょうか。
傍嶋:
結構その、アートかアートじゃないか論争、皆さんするんですけれども、これは僕の考えなんですが、皆さんが描かれるものはどんなものも創造物であり、僕は芸術だと思うんですよ、子どもが描いたものもプロが描いたものも。そこにはうまい下手が存在するっていうだけで、僕はすべてアートとしては認めてますね。街にある落書きも。ただそれが合法か違法かっていうので分かれるんですよ。
で、違法の中でなんでバンクシーが残ってるのかっていうと、あれは民間の建物に描かれてるので、例えば今リスナーの皆さんのおうちにバンクシーが来て描いたとしますよね。で、その所有者が持ってる“消す消さない”っていう権利があるわけじゃないですか。それが1億円しますよって言ったら、誰も消さないですよね。それがヨーロッパとかロンドンとかにあることで。ただ、公共物においては皆さんの税金で作られてるんで、それは消したほうがいいよねっていうのが、たぶんまっとうだと思うんですよね。だからそれがちょっとややこしくしてて。例えばパリとかロンドンとかでもバンクシーは残ってるけど、他のものは消えてたりするんですよ。それは所有者の主観で決めてるんですよね。所有者がいらないって言えばいらないものなんで。それは皆さん違うじゃないですか、考え方が。
そもそも芸術って何だろうって考えた時に、誰もやったことない概念を提示するって、僕は考えてるんですよね。例えばバンクシーがなぜすばらしいかって、図像ではないんですよね。彼のアート文脈の流れであったり、誰もやったことないっていうアプローチなんですよね。僕がバンクシーみたいなことをしたって意味ないじゃないですか。バンクシー以上になるには、逆なことをしなきゃいけない。もうちょっと社会に対して、インパクトのある、しかもそれが社会課題にひもづいてて、誰かの喜びにつながるであったり。
例えば、コロナ禍でも活動してたんですけれども、落書きがあった壁を白く塗るじゃないですか。そうすると、足の悪いおばあちゃんが出てきて、ものすごい感動してるんですよね。白い壁を見て。だから、僕が猫の絵を描いたり何かの絵を描いて感動することもあるけど、白い壁でもこんなに感動するんですよね。あー、美しくなった! 元に戻った! っていう。感動は感動ですよね。で、しかも白い壁っていうのは、主観的にも客観的に見ても、誰が見ても美しいんですよね。例えば猫とか犬とかって好き嫌いあるじゃないですか。そんなに猫好きじゃないなとか。だから、その白い壁が街にあるってことは、意外とこう、当たり前のようで当たり前じゃないっていうのが、渋谷に住んでいる方々の風景なのかなと思ってます。