病気やケガによる顔の悩みをカバーすると同時に心もケアする“リハビリテーションメイク”を行っているかづきれいこさんに、冬場は特に顔が真っ赤になってしまって病気とは知らずにつらい思いをした子ども時代のこと、高校を卒業してメイクで赤みを消そうとしてどう頑張ってもうまくいかなかったこと、顔があまり赤くならない夏場とは性格も変わってしまうことに気づき、プラスのメイクではなくマイナスをゼロにするメイクの必要性を感じたことが今の活動につながっていることなど、興味深いお話を伺いました。
【出演者】
かづき:かづきれいこさん(ゲスト)
村山:村山由佳さん(ご案内)
かづきれいこさん
【かづきれいこさんのプロフィール】
1952年、京都生まれ、大阪育ち。生まれながらにして心臓に穴が開いている病気「心房中隔欠損症」を患い、その影響で、小さいころから冬になると、顔の赤みがひどくなる悩みを抱えていた。30歳で手術して完治。その後、本格的にメイクの勉強を始め、傷ややけどの痕などの顔の悩みをカバーしてそれに伴う心のケアも行う「リハビリテーションメイク」を提唱。現在はメイク活動のほか、学会での論文発表や、日本医科大学、新潟大学で非常勤講師を務め、リハビリテーションメイクの重要性を伝えている。
顔のコンプレックスに悩んだ学生時代
村山由佳さん
村山:
まずは、かづきさんの学生時代のお話を伺いました。
生まれながらにして心臓の病気を患っていたものの、子どものころはその病気だということが病院に行ってもわからなかったそうです。でも冬になると顔の赤みがひどく、そのコンプレックスがメイクの道に進むきっかけになりました。
かづき:
小学校に上がる時ぐらいから、なんか冬になると私だけ顔が真っ赤っかで、体は寒いと紫色になったりとかしてて、運動があんまりできなくて。なんか他とちょっと違うかなっていうのを感じてましたね、小さい時から。
そして小学校の5、6年ぐらいかな。やっぱりちょっといじめにあってましたね。顔が赤くて目が大きかったから「赤デメキン」ってあだ名があって。何で言われるのかよくわからなくって、最初は母親とかに「何で?」みたいに言ってたんだけど、母が悲しそうな顔をするんですよ。そうするともう言えなくなっちゃって、自分の中に入っちゃうわけですよね。
中学生ぐらいになるともちろん顔が赤くて、高校の時もそうですけど、そんなにいじめはないですよね、元気で行ってましたから。でもね、体がすごい寒くて、冬になると本当に寒くて。私の心臓に穴が開いてるってことはわからない。でも、体がしんどいし、顔が真っ赤っかになる。
高校卒業する時に化粧しますよね。私は短大だったんですけど、「あ! お化粧ができる!」と思って。で、もうデパートに行って化粧品屋さんに行くわけですよ。そうしたら赤が消えるのがグリーンと言われたんです。で、私はグリーン(の化粧下地)を買いまくりました。でも、家に帰ってそのグリーンを塗っても、赤が消えないんですよ。塗ったら塗るほどおかしくなってきて、一瞬は消えたなと思っても、1時間後はもっと変な色になってきたりとか。
お化粧って画用紙に書くんじゃないですよね。肌に塗るもんだから、そのまんま続かないわけですよね。「あれ? お化粧って何だろう?」と思って。で、大学の時は、1時間目ってだいたい授業に出ないぐらい化粧してました、真っ白けでした、私の顔。母が「どうしたの、その白い顔!」ってよく言ったんだけど、なんか赤いよりはいいんですよ。赤と言われるより白い方が良くて。
不思議ですけど、夏はきれいなんです。血流がよくなるから、全然顔が赤くならないんです。で、むくみも無くなるし、すごいスレンダーで。そうするとね、性格までいい子になるんですよ。すごいいい子になって。
なんか、顔が赤い時って、人が集まってるだけで私の悪口を言ってると思っちゃうんですよ。「絶対、私の悪口言ってるよ」って思ったりとかするんだけど、白くなった瞬間に、人が集まってると、なんかそこに行けるんですよね。「何しゃべってんの?」とか行ける。なんか、自分の性格が見た目だけで、外観だけで何でこんなに変わるのか。もっと大変な方はいっぱいいらっしゃるんですけど、私はその顔(のコンプレックス)がすごくて、うん。
村山:
そういう事ある・・・って、聴くとわかりますね。周りの人は「そんなの気にすることない」って、たとえ言ったとしても、自分が気になっちゃったら、それはもうどうしようもなくって・・・。見た目に自分が自信を持ってるかどうかで性格まで変わっちゃうっていうのは、ほんとに身につまされます。
リハビリテーションメイクを始めたきっかけ
村山:
短大卒業後、かづきさんは21歳で結婚。そして29歳の時、お母様が亡くなったことやいろいろ重なって心労で倒れ、そのとき初めて病気がわかったそうです。30歳で手術して病気は完治しましたが、それまでメイクに救われてきたかづきさんは、本格的にメイクの勉強を始めました。美容学校に通い、卒業後はカルチャーセンターでメイクの講座を持ち、当初は通常のメイクを教えていたそうです。そうした中で、ある女性との出会いが、リハビリテーションメイクを始めるきっかけになります。
かづき:
カルチャーセンターにある日突然、顔が真っ赤っかな女の子が来て。脳にカルシウムが溜まる病気で。で、一般の人が30人ぐらいいて、その子が一番前の席にいて、ずっと下向いてて。その子が、お客さん帰った後に顔を上げて、「先生、私もどうしたらキレイになりますか?」と言われたときに思い出したんです、私ふと。「そうなんだ! 私ってこの人やんなきゃいけないんだ! この子のために、私はメイクしなきゃいけないんだ!」っていうのがパッと湧いてきまして。それからですね、なんかもうすっごい勉強しましたね。
カルチャーセンターは、本当に私の原点ですね。そこでいろんな方が来られていろんなメイク、だから私はタレントさんとかキレイな方とか芸能人の方もいらっしゃるんですけども、いや、その方たちはいろんな方がやってくださるよね、私は線つけてこっち、マイナスからゼロになるメイクをやる、誰も日本にいなかったから。で、私が昔そうだったんだけど、やっぱり化粧品屋さんの化粧って、よりきれいになる化粧しかないじゃないですか。私のようにマイナスから元に戻すってないじゃないですか。誰もいない、これおかしいなと思って、私がそれをやろうと思って。そっから決心ですね、もう寝る暇ないぐらいです(笑)。