歴史上の人物の病気を診る (4)豊臣秀吉

22/06/09まで

健康ライフ

放送日:2022/05/12

#医療・健康#カラダのハナシ#ココロのハナシ#歴史

放送を聴く
22/06/09まで

放送を聴く
22/06/09まで

【出演者】
早川:早川智さん(日本大学医学部 教授)  (聞き手:田中孝宜 キャスター)

豊臣秀吉

――今回のテーマは豊臣秀吉です。豊臣秀吉というと天下統一を成し遂げた人物ですよね。

早川: 皆さんよく御存じの人物です。戦国時代末期の三大英傑といいますと、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康です。私はこれら三人の方が研修医や大学院時代に自分の指導教授だったらどうだろうと想像したことがあるんです。織田信長の下だったら、まあ臨床でも研究でも革新的なすばらしい仕事ができる可能性がある一方、いつ首が飛ぶかわかりません。徳川家康の下だったらご本人が必ず大学の学長や学会の理事長になるでしょうから、ついていけばどこかの教授や病院長のポストを用意してくれるだろうと思います。ただあまり楽しくないんじゃないかと思います。豊臣秀吉の下だったら楽しいだろうなと思いました。

――面白い例えですけれども、豊臣秀吉の下だったらどうして楽しそうに思われるんですか。

早川: 秀吉は人の命が軽んじられた戦国時代にあって、極力人を殺さずに済む方法にたけていたそうです。明るく人なつっこい性格で、同僚の武将たち、かつて敵対した大名、貴族や皇族まで親しく交わるなど、世渡り上手な人物だったと思います。ただ楽しそうなのは本能寺の変から天下を取って人々を集めた吉野の花見までに限定したいと思います。

――それ以降はついていきたくないような人物になったということですか?

早川: 秀吉は織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた後に、いち早く行動を起こして主君の敵討ちをしました。そして信長の後継者になったわけです。49歳の時に関白として天下統一を果たし、太閤検地や刀狩りなどの画期的な政策を行い、国内統治を進めたんですが、54歳になりまして関白の座を秀次に譲りまして、太閤と呼ばれるようになったころからたがが外れてきました。そして異常な行動を重ねるなか61歳の時に病気で亡くなりました。

――晩年に向かって続いていた異常な行動なんですが、例えばどんなことですか?

早川: ご意見番だった茶道の師匠千利休に切腹を命じたり、後継者にした秀次の一族を虐殺したり、キリシタンの集団処刑、理由がはっきりしない朝鮮出兵など、際限なく坂道を下っていったと思います。

――早川さんは秀吉の異常な行動の理由は何だったとお考えですか。

早川: 秀吉の異常行動につきましては脳動脈硬化と、多発性の脳梗塞、変性疾患、脳梅毒、アルツハイマー型認知症などが考えられますが、私も診断はできません。というのは現在でもCTやMRIなどの画像での検査をしてみないと何とも言えないんです。秀吉は61歳で亡くなりましたが、最晩年まである程度の認知機能や見当識は保たれていたようです。しかし気分の変動、特に怒りっぽさ、疑い深さ、残虐性が目立ってきました。

――認知症でないとするとこの性格の変化をどう考えますか。

早川: 一般に老人の性格というのは角が取れて丸くなる人がいる一方、若いときの性格が先鋭化する人もおられます。あるいは若い時は気を遣ういい人が反動化することもあります。これを考えると秀吉は最後のパターンではないかと思います。

――秀吉が亡くなった原因なんですけれども、これは何だったんですか。

早川: 当時の資料「戸田左門覚書」や宣教師の報告を集めたクラッセの「日本西教史」によると、晩年には尿失禁や不眠、異常な体重減少、慢性の下痢と摂食障害などの記録があります。亡くなる3か月前からは食欲不振やるい痩(そう)、せん妄が起きていたようです。彼の死因につきましては、そうそうたる医学史家から脳動脈硬化と多発性梗塞、結核や悪性腫瘍などの慢性消耗性疾患、尿毒症や肝不全などの説が提唱されています。ただどれも決定打に欠けるという印象を持っています。

――決定打に欠けるというのはどうしてですか?

早川: はい、特徴的な症状の記載がなく、どれもありえるとしか言いようがないんです。

――診断がつきにくい病状のようですけれども、現代でも診断や治療は難しいということでしょうか。

早川: いいえ、現代であれば画像診断と血液検査ができますので、診断はつけられると思います。秀吉の治療としましては、認知症であればですけれども、今のところ特効薬というのはないんですが症状を遅らせる薬はいくつもありますので、これを差し上げたいと思います。悪性腫瘍であれば手術や放射線、抗がん剤などで治療ができますし、肝不全だったとしても薬物療法、進んだ場合には肝臓移植という方法がございます。それから腎不全でも腎移植や透析で対応できると思います。

――秀吉の病気が特定できて適切な治療ができていたら、歴史はどう変わっていたと思いますか。

早川: 秀頼が成人するまで生きていて、周りのスタッフによる統治がうまく行っていれば、大坂幕府ができていたかもしれません。平清盛と同じように商業を重視する政権でしたので、アジア諸国やヨーロッパとの交流も続いていたでしょう。朝鮮出兵など軍事行動ではなく、交易を主体としたアジアの国際商業圏が成立していれば、ヨーロッパ諸国による東南アジアの植民地化は起きなかったのではないかと考えています。太閤になってから亡くなるまでの7年間、数多くの異常行動で世の中を混乱させるわけですけれども、いずれにせよ絶対的な権力者が心身の健康を問題視されてもその地位を退かない、あるいは隣の国に攻めいったりですね、内政をほしいままにするっていうのは、今でも起きるっていうことが大変恐ろしいと感じています。

【放送】
2022/05/12 マイあさ! 健康ライフ「歴史上の人物の病気を診る ④」 早川智さん(日本大学医学部 教授)

放送を聴く
22/06/09まで

放送を聴く
22/06/09まで

この記事をシェアする