小田雅久仁著『禍』

23/10/02まで

著者からの手紙

放送日:2023/09/03

#著者インタビュー#読書

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『禍(わざわい)』は、口、耳、目、鼻、髪の毛、皮膚などをモチーフとした、7つの奇怪な物語を収録した小説集です。著者の小田雅久仁(おだ・まさくに)さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
小田:小田雅久仁さん

人には皆、骸骨が入っている

――7つの怪奇小説を収めたこの短編集は、耳、目、鼻、髪、皮膚など人体のパーツがモチーフとして登場しますが、その理由を教えていただけますか。

小田:
ホラー映画にもよく出てくると思うんですけれども、不気味なものを出そうとするときに、「破壊された人間の体」みたいな感じでゾンビ映画なんかにも出てくることが多いものですから、人間の体というものは、怖さを表現するのにうってつけのテーマだったなと思っております。

――普通、人間の体といいますと、「命」とか「生きている」とかのイメージでプラスに思考するんですけれども、怖い方向に視点を持っていくのはおもしろいですよね。

小田:
そうですね。僕は時々、道を歩いていたりすると、「この人たち一人一人の中に、骸骨が入っているんだな」みたいな感じで空想することがあります。みんな死の象徴である骸骨を、体の中に持ちながら生きているんだなと想像することがありますので、そういう意味でも、人間の体というのは生の象徴であると同時に死の象徴でもあると思っています。

本を食べて物語に没入する小説家

――いくつかの物語についてうかがっていきます。まず、本を「読む」のではなくて「食べる」小説家の話です。なかなか筆が進まない小説家が本のページを破って食べるようになり、そこに描かれている奇妙な世界に入っていって、それを繰り返すうちにその行為から抜け出せなくなります。物語の中に入っていくというしかけはよくありますが、ページを食べて入るという発想はどこからやってきたんですか。

小田:
体の一部をテーマにした怪奇小説集を書くにあたって、顔のパーツは入れておきたいなという気持ちになりまして、口をテーマにした作品を書こうと決めてアイデアを練り始めました。口は何をするところだろうと考えたら、しゃべることや息をすることなど役割がありますけれども、食べるというのは一番おもしろそうだなと思って、じゃあ、何を食べさせようかと考えたときに、僕にとって身近な本が頭に浮かんで、それを食べさせてみようというところから始まりました。僕は小説を書くようになってから、物語の中に入り込むような、夢中になって読むみたいな読書がなかなか少なくなってきたなという悩みみたいなものがあったんです。それをもう一度、思春期の子どもみたいに没入できるような読書ができたらなと思っていましたので、食べることによって、それを成し遂げられたらおもしろいんじゃないかなと思って考えた作品です。

――そうするとこの作品は、小田さんの自伝的物語、ということですか。

小田:
それはかなりありますね。僕もこの小説の主人公みたいに書けない時期が結構あって、今もなかなか苦労しているんですけれど、僕の願望が、まぁ、かなり直接的に反映されていますね。

耳にもぐって“混ざる快感”を得る男

――そして、相手の耳に指を突っ込むと、そこから相手の体に自分の全身が吸い込まれてしまうという、「耳もぐり」をテーマとした物語も収められています。40年前に見知らぬ男に「耳もぐり」をされて以来、耳もぐりに快感を覚えてしまって、ずっと他人の耳にもぐり続けている70代の男が語り手です。他人の耳にもぐる快感を、小田さんは「混ざる快感」と表現していますが、これはどんな気持ちよさなんですか。

小田:
他人の耳にもぐるというよりは、他人の魂と融合していくみたいな感覚、それを「快感」というふうに表現しています。これもまた僕自身の個人的な感覚が反映されているんですけれども、僕も50歳近くになってきて、若いころよりもいろいろなものに興味を持ちづらくなってきていて、何か新しいことを始めるにしても「今からだと遅すぎる」みたいな気持ちもあって、なんとなく生きていくのがつまらないなみたいな感覚が僕の中にあるんです。それが、いろいろなことに興味を持っている人に自分が混ざることができれば、他人の興味も自分の中に取り込める、自分の魂自体が豊かになっていくみたいな感じで、それが僕が「混ざることの快感」と表現したものなんです。生きていくのがどんどん新鮮になっていくんじゃないかなと想像して、一番入りやすそうだなと思ったのが耳だった、ということですね。

――うわぁ、なんか……こそばゆいですよねぇ。そこから体の中に入ってくるわけですから(笑)。

小田:
そうですね(笑)。

髪の毛尽くしの宗教に紛れ込んだ女

――続いて、髪の毛をモチーフとした物語についてうかがいます。失業中の33歳の女性が大規模な宗教イベントに参加しますが、その宗教は、「髪の毛」を神格化しているんです。信者は髪の毛でできた装束をまとい、髪の毛が5メートルもある教祖は後継者に髪の毛を食い尽くされ、信者のいけにえも髪の毛を吸い尽くされるといった光景が描写されます。このいわば髪の毛ホラーは、どんな着想から生まれたんでしょうか。

小田:
僕は子どものころから、母親とかに髪の毛をお風呂場で切ってもらっていたんですけど、今の今まで自分の頭から生えていたものが、切り取られて床に落ちたとたんに、急に気味悪くなるなと思っていたんです。それは生理的な嫌悪感として子どものころからずっと持っていたので、それが反映された作品になっています。

――切られたとたんに、髪の毛に怖さを感じるんですか。

小田:
床に散らばっているのを見ると、不気味だなと思っていたんですよね。なんかこう、もう死体の一部みたいな感じがしてしまうんです。日本人の場合は髪の毛が黒ですから、特に黒い髪の毛は気持ち悪いなという気持ちがあって、怪奇小説のテーマとしては有力なアイデアだったんじゃないかなと思っています。

脱ぎたくなる伝染病から逃げ回る男

――裸がテーマの物語もあります。これは30代のさえない男性が、休日に「現代の裸婦展」という展覧会に行こうとふらっと電車に乗ると、乗客が次々に脱ぎ始めてしまいます。男性が電車を降りて駅の外へ出ると街も裸の人々であふれていて、その人たちに追いかけられて命からがらビルの屋上に避難するという筋立てです。裸の人々が服を着ている人間を追い回すホラーコメディーは、どのように書き進めていったんでしょうか。

小田:
あるとき電車に乗っていて、真っ裸の人が一人入ってきたらおもしろいなと思ったんです。でもそれだけでは話としてなかなか成立させられないなと思って、心の片隅にずっとあったアイデアなんですけれども、パンデミックみたいな感じで、裸になることがどんどん伝染していったらおもしろいなと思ったんです。

――恐怖の物語が続いていく中で、当然これも怖いお話だろうと思って、私も読み始めたんです。そうしたら裸の男が電車の中に入ってきて、その男にタッチされるとタッチされた人間が次々服を脱いでしまう……これはどういう状況なんだろうと思って、笑いが出てしまいました。でもどこかで、彼らが脱いでいるのは服なんだろうか、それとももっと別の、自分を覆っている何かを脱ぎ捨てているんじゃないかと考えさせられる、そんな感じの物語になっていますよね。

小田:
そうですね。最終的には人間そのものであることを脱いでいくみたいな、そういう展開になります。

究極の恐怖である死の“味わい方”

――今回、小田さんが描いた奇怪な世界は、どのように受け入れられると思いますか。

小田:
恐怖を突き詰めていくと、結局は自分自身の死というところに行き着くんじゃないかなと僕自身は思っています。僕は数年前に大病しまして、2年半ぐらい仕事を休まなければなりませんでした。そういうときに死についてもいろいろ考えたりしたんですけれども、結局そういうところに、いろいろな恐怖というのは集約されていくんじゃないかなと思っているんです。今回の作品集では、非現実的なものを登場させることによって、こんな死に方もあるのか、こういう死の味わい方もあるのかというようなことを、表現できたかなと思っております。そのあたりを、読者に新鮮に思って受け止めていただけたらなと思っています。ホラーとか怪奇小説集に対する見方みたいなものが、この小説を読んだことによって上書きされたような感じの受け止め方をしていただけたら、うれしいなと思っています。

――『禍』の著者・小田雅久仁さんにうかがいました。小田さん、ありがとうございました。

小田:
ありがとうございました。


【放送】
2023/09/03 「マイあさ!」

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