『わたしの香港』(カレン・チャン 著、古屋美登里 訳)

23/09/18まで

著者からの手紙

放送日:2023/08/20

#著者インタビュー#読書#ワールド

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『わたしの香港』は、香港で激動の時代を過ごした女性ジャーナリストのカレン・チャンが、香港に対する思いをつづったエッセーの日本語訳です。翻訳した古屋美登里さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
古屋:古屋美登里さん

1993年生まれ、“瀬戸際”のふるさと香港を描く

――まずこの本の著者、カレン・チャンは、どのような人物なんでしょうか。

古屋:
カレン・チャンさんは1993年生まれで、香港のデモとか文化、サブカルチャー、地元の人々の生活などを多方面にわたって取材して、アメリカの新聞「ニューヨーク・タイムズ」や「ニューヨーク・マガジン」、「フォーリン・ポリシー」などで執筆しています。『わたしの香港』は、「ワシントン・ポスト」やイギリスの「エコノミスト」で、去年の年間ベストブックに選ばれました。

――1997年~2020年までの香港を描いていますから、香港返還や抗議デモに関して、イデオロギーたっぷりに書かれているのかと思ったのですが、主義主張はあまり書かれていませんね。作品を通して、ふるさとである香港への愛情が冷静につづられていると感じました。この書きっぷりについて、古屋さんはどうお感じになりましたか。

古屋:
カレンさんは、大きな主語で語らない。そのことで逆に切実な思いが伝わってくるのかなと思うんですね。どこの国でも生まれ育った故郷、ふるさとには深い思い入れがあると思うのですが、そこに育っているからこそ、ふるさとのよいところもよくないところもわかります。それだからこそ、愛情も未練も、あるいは嫌悪も表れてくる。それを飾らない言葉で描いて教えてくれる、そういう文章でしたね。すごく勇気のある人だなと私は思いました。

――勇気がある?

古屋:
はい。だって、自分をさらけ出すのはすごく勇気がいることですよね。とりわけまだ若いお嬢さんで、いろいろな体験をしても、ちょっとかっこよく見せたいとか、きれいに見せたいとか、そういう思いが普通だったら表れてくるでしょうに、ここには一切そういうものがないんです。本当にありのままに伝えていきたい、うそは書けない、って。だけど、書いてはいけないことは絶対にあるはずなんです。検閲はないにしても、書いてはいけないことがこの後ろにあったに違いないということが、読んでいるとなんとなくこちらも想像できるんですね。みごとな書き方をしているなと思いました。

――この本の副題には、「消滅の瀬戸際で」とあります。「消滅」というのは、なんでしょうか。

古屋:
それはもちろん香港という都市、香港に住んでいた人たちの文化、あるいはそこの価値観が消えていく、飲み込まれていくということだと思います。あしたどうしよう、すぐ先に何が起こるかわからないという緊張感は、すごいなと思いましたね。

――著書の中でカレン・チャンは、「香港はコーヒーショップのない街」という香港を評する表現を引用して、「いや、そんなことはない」と、いろいろと香港の案内をしています。この部分には、香港に対する愛情がずいぶん詰まっていますよね。

古屋:
原題は『The Impossible City: A Hong Kong Memoir』で、『わたしの香港』とはニュアンスが違うんですけれど、このタイトルに私がしたのは、例えば「わたしの東京」「わたしの大阪」というニュアンスと同じような気持ちです。この都市に対して彼女がいとおしく思っている愛情があるからこそ、こういう本が書けたと思って、そういうタイトルにしたんです。先ほどおっしゃった、「コーヒーショップがない」というのは、台湾の評論家が香港について書いた言葉をカレンさんが引用しているんです。これは香港にカフェが1軒もないという意味ではなくて、午後にゆったりとおしゃべりをしたり読書をしたり、みんなでくつろいだりする場所がないというふうな意味で、ちょっと皮肉を込めて台湾の評論家が言ったと思うんですけれども、彼女はそれは絶対に違うと、声を大にして否定しています。

――真実の香港を見てください、ということですよね。そういう意味で言いますと、こういう部分が心に残ったんですよね。カレン・チャンの青春時代、大学生のときに、5年の間に22人のルームメイトと暮らした変遷が書かれています。狭い香港の住宅事情も関係しているようですが、窮屈ながら非常に楽しそうで、読者としては香港の住まいを旅するように読めました。この辺り、古屋さんは翻訳するうえでどんなことを心がけたでしょうか。

古屋:
どれくらい狭いのか、今ひとつ感覚がつかめなかったので、私は香港の不動産屋の「家紹介動画」というのをずいぶん見ました。「入り口、入りま~す」と行くと右側にトイレがあったり、リビングは四畳半くらい、ベッドルームはベッドしか入らなくて押し入れのようなところで……と、そういうのをずっと見ては、こういうところに暮らしていたんだなと思ったり、コンロの下にすわりこんで友達と話すようなところも出てくるんですけど、それだけ人がごちゃごちゃいるのに犬を飼っていたりして(笑)、いったい誰が散歩させるんだろうと思っていたら、「ふ頭まで犬と散歩しに行った」とか、わりと優雅だったりするんですよね。日常を楽しんでいるんです。住宅事情はすごく悪いけれども精神は全然豊かで、こういうところに若い人たちがいたんだなぁというふうに、その世界に入り込むためにはかなり努力をしました。

それで、若いなりの躍動感を伝えるような翻訳にしようとは思っていました。だけど彼女の文章って、どこか寂しいんですよね。彼女の孤独な感じが伝わってくるので、ただの躍動感ではなく、ものすごく内省的な訳にしなければならないのと同時に、彼女の悲しみだったり孤独感というのは、たぶん誰にも癒やされないんだろうなというふうに思いながら、母親のような気持ちで訳したところもあります。

「まだわかっていない。全員が声を上げたことを」

――この本の大詰めでは、唯一と言っていいかもしれません。カレン・チャンの反体制の意志がうかがえる箇所が出てきます。2020年、抗議デモが沈静化したあとに集まった市民に対して、警察が出動しました。その警察に群衆がやじを飛ばした際に、警察が群衆に「誰が声を上げた?」と怒鳴ったときのことを、チャンはこう表現しています。「まだわかっていないのだ。わたしたち全員が声を上げたことを」。静かでありながら、力強く響いてくる言葉です。古屋さんはどうお感じになりましたか。

古屋:
ここはこの作品の白眉と言っていいと思います。本の冒頭でカレンさんは、18歳のときに香港についてどう思うかと聞かれていたら、「愛憎半ばする複雑な気持ちだと答えていただろう」というふうに書いています。そしてこの文章に呼応するかのように、本書の最後には「香港に栄光あれ」という言葉が出てきます。この言葉、思わずほとばしってしまったんじゃないのかなと思うんですね。こうした言葉が、本書には実はたくさんあります。「香港は死んだ。新たな法律が抵抗運動を一掃した、とみなは言う。それでも、港の向こう側では、光がまだ煌々(こうこう)と灯(とも)っている」。これは、多くの知り合いが出ていった香港にとどまりながら彼女が書いたものです。とても力を与えてくれる言葉です。

――古屋さんはあとがきで、こんなふうにつづっています。「カレン・チャンの文章を訳しながら、彼女と同世代の私の娘のことをたびたび考えていた。香港と東京という異なる都市で暮らしてはいるが、崩壊していく故郷のありさまを目の当たりにしているチャンと、閉塞感が漂う中で自由が失われていくことに不安を覚えている娘とが、重なるように思えた」。こうした東京で暮らす若者に対して、チャンの言葉はどんな力を持っていると思われますか。

古屋:
日本という国が、これまでの姿とは違っていくかもしれない。自分の理想とは違うものに変わっていくような事態になるかもしれない。その覚悟を、呼びかけているような気がしますね。そして、一種の抵抗をしなければならない。抵抗とは、音楽を聴いたり絵を描いたり、もちろん文学を読んだり書いたりすることもアクションなんです。抵抗は、自分の自由な権利であると思います。だから彼女の文章は一つの抵抗として書いたと思うんですね。その抵抗が、大きな波を生む一滴になっているはずだと思っています。抵抗の一滴がなんらかの形になって、カナダとかニュージーランドとか日本とかイギリスとか、いろいろな国に伝わっているはずだと思います。

――カレン・チャン著、『わたしの香港』を翻訳した古屋美登里さんにお話をうかがいました。古屋さん、ありがとうございました。

古屋:
こちらこそ、ありがとうございました。


【放送】
2023/08/20 「マイあさ!」

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