『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』平山亜佐子著

23/08/21まで

著者からの手紙

放送日:2023/07/23

#著者インタビュー#読書

放送を聴く
23/08/21まで

放送を聴く
23/08/21まで

『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』は、明治・大正・昭和の時代に、素性を隠して取材を行う「化け込み」に挑んだ、女性新聞記者の奮闘を描いた人物列伝です。著者の平山亜佐子(ひらやま・あさこ)さんに、お話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
平山:平山亜佐子さん

女性記者の発案で道を開いた潜入ルポ

――平山さんは、本のテーマである「化け込み婦人記者」のどんな部分にひかれたんでしょうか。

平山:
新聞の草創期から、いろんな職場に入り込んで実態を書くという潜入ルポを、特に変装して記者たちがやっていた。しかもそれが「化け込み」と呼ばれていたことに、本当に驚きました。当時、女性記者の仕事というのは限られていて、いわゆる家政記事、料理のこつとか染み抜きとかアイロンかけとか、そういった記事がほとんどだったんです。あとでお話ししますけれども、明治40年に、下山京子(しもやま・きょうこ)という人が編集長に直談判をして化け込みを始めたところ、売り上げが倍増して化け込みブームが始まったということがあります。

――当時、新聞記者の世界は男性が主だったんですね。

平山:
そうですね。女性は数えるぐらいしかいませんでした。女性記者が、自分でこの企画を開拓して、道を切り開いたということがあります。

――化け込み婦人記者がどのように奮闘したのか、うかがっていきます。まず“化け込み婦人記者のフロンティア”と称される、「大阪時事新報」の下山京子記者です。下山京子は、明治時代の末期に雑貨を扱う行商人になりすまして、上流階級の家庭に潜入するなどして化け込み記事を書きました。下山京子の化け込み記事には、どんな特徴があったとお考えでしょうか。

平山:
ちょっと一部、読んでもよろしいでしょうか。「いかめしいおうちの立派な門構えを通ると、パラソルは……(後略)」というふうに、要は、靴とか傘とかが乱雑になっていると。表の立派さに対して、中は結構カオスになっているということをユーモラスに描いていたりして、すごく読みどころのある記事を書く人だという印象があります。一部、のぞき趣味というような揶揄(やゆ)もされたんですけれども、いわゆるメインストリームではない、意外と時代からこぼれている実態もわかるので、おもしろさがあるかな、と。

――世の中には知られていない隠された部分を明かしてくる、ということでしょうか。

平山:
そうですね、はい。

暴露というより同性目線の職業体験記

――こういう人もいます。“稀(まれ)に見る問題児”と称される、「中央新聞」の中平文子(なかひら・ふみこ)記者です。大正4年に、中平文子は「ヤトナ」と言われる臨時に雇われる仲居にふんして、さまざまな宴会に潜入して記事を書きました。潜入先の事情を暴露するというよりも職業体験記といった雰囲気に読めたんですけれども、中平文子は印象的な女性ですよね。

平山:
彼女は、かなりお騒がせな女性なんです。高校時代に医学生と駆け落ちをして、これは阻止されてしまいましたが、そのあとにお見合い結婚をして3人の子どもをもうけます。ところが子どもを置いて単身で24歳のときに上京して、洋服屋をやろうとしたり女優になろうとしたりして、う余曲折があって中央新聞に入社しました。入ったあとは社員の方と浮き名を流したり、上司とわりなき仲になってちょっと調子にのって社内で総スカンをくらったので、起死回生を図って、当時、はやっていた化け込みをやってみようかというかたちで始めたようです。

――中平が書いた記事も結構人気だったんでしょう?

平山:
50回ぐらい続いていますね。

――続いて「大阪朝日新聞」の北村兼子(きたむら・かねこ)記者です。大正15年、23歳のときに、北村兼子は会社から化け込みの指示を受けて、女給にふんしてカフェーで働きます。ただ大変に優秀だった北村兼子は、記者生活の中でひどいバッシングに遭い、2年で新聞記者を辞めてしまいます。この時代に女性が活躍するのは、一筋縄ではいかなかったということでしょうか。

平山:
北村さんに関しては、優秀さがずぬけていると言いますか、学生時代にいろいろな新聞社からスカウトされて、3社ぐらいが三つどもえのようになって、結局は大阪朝日新聞に決めています。そのこと自体が、男性・女性に関係なく異例なことでした。女性記者ということだけで、なまいきだとか実力がないとか揶揄(やゆ)されたんですけれども、北村さんの場合にはそれは通らないので、そうするとおもしろくないといいますか、なんとか彼女のあら探しをしようと動き回ったりするわけです。

加えて彼女が男性からバッシングされたのが、わりと男性論みたいなことを書いている点で、男性からすれば自分たちの領域に踏み込んできたみたいな気持ちがあったと思うんです。でもそれは、化け込みで女給となってカフェーの中に入ったときに、彼女たちが男性に対していろいろな苦労をしていることや、そういう彼女たちのさまざまな考えを聞いて興味を持ったと、北村兼子さんは本に書いています。そう考えると彼女のバッシングは、化け込みが発端なんじゃないかとも考えられて、化け込みの功罪というのはなかなか深いなと思ったりします。彼女自身はまだまだ頑張る気はあったのですが、辞めることになります。

ブームにつれて男性目線に変貌した企画も

――最後に取り上げられる小川好子(おがわ・よしこ)記者は、昭和7年、「読売新聞」のモンスター企画、「貞操のS・O・S」という化け込み記事を担当しました。女性が遭遇する危険を暴くという趣旨で、ナンパ危険地帯に赴いてリポートする、というかたちでしたね。平山さんは小川好子の化け込みを、前の3人と違って男性目線の企画であることが残念だと書いています。どのように残念なんでしょうか。

平山:
小川さんの場合は、入社1日目で、男性の上司からこういうことをやれと言われています。二十歳そこそこの女性にナンパ危険地帯に行けというのは今では考えられませんが、そもそも女性であることを利用して、おとりのようなかたちで危険地帯に行くことであったり、男性の上司が(小川さんの原稿に)たくさん赤字を入れて直すこと自体が、“男性の企画”になっているんじゃないかなと私は感じたので、ちょっと他の3人とは違う感じがいたします。

下山京子・中平文子・北村兼子の3人は、女性の職業に化け込むことで、彼女たちの境遇であるとか女性の視線に寄り添ったり、同性目線で彼女たちの苦労などを描き出したところがあって、そこが小川好子さんとは違うかなと思います。なにしろ最初の下山京子が、女性の記事が非常に偏っていることに対して、新たな道を開く意味で「化け込み」という企画を編集長に直談判して始めたので、そういう始まりから考えると、ずいぶん遠くへ来てしまったなという気はします。

――それはちょっと残念ですよね。私の感想を申し上げていいですか。

平山:
はい。

――筆者の紹介の中に、平山さんは、「教科書に載らない女性の調査を得意とする」と書いていらっしゃいます。平山さんがこういう女性をあえて書くのは、日本の潮流には隠されてきたけれどもこういう人生を歩んだ人がいるということを、大切にされている。そこがこの本の読みどころかなと思ったんですが、いかがですか。

平山:
ありがとうございます。まさにそのとおりで、今回、たまたま新聞記者のことを書いたんですけれども、基本的には、自由に生きたといいますか型破りな女性にひかれるところがあって、そういう人たちの生き方を見ていると、どういう生き方をしてもやっていけるよと言われているような気がして、そういう方たちを今後も紹介していきたいという思いはあります。

――『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』の著者・平山亜佐子さんにお話をうかがいました。平山さん、ありがとうございました。

平山:
ありがとうございました。


【放送】
2023/07/23 「マイあさ!」

放送を聴く
23/08/21まで

放送を聴く
23/08/21まで

この記事をシェアする

※別ウィンドウで開きます