藤原和博著『学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール』

23/08/07まで

著者からの手紙

放送日:2023/07/09

#著者インタビュー#読書

放送を聴く
23/08/07まで

放送を聴く
23/08/07まで

『学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール』は、公立中学校や高校で校長を務めてきた教育の専門家である藤原和博(ふじはら・かずひろ)さんが、現在の学校教育を「ウソくさい」と指摘し、その解決法を提案する教育論です。藤原さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
藤原:藤原和博さん

社会がつかせている「ウソ」

――まず、本のタイトルにある「ウソくさい」ですが、なぜ学校が、ウソくさくなってしまったんでしょうか。

藤原:
いっぱいいろいろなことを要望されて、例えば環境教育をやってほしい、情報教育をやってほしい、福祉ボランティア教育をやってほしいと、多様な教育を押しつけられているんです。でも、事務が増えるのと反対に教員は増えていませんし、そんな “スーパーな人”が教員になっているわけではないので、そこが一番の原因だと思います。つまり、社会が学校にウソをつかせているようなところがありまして、教員がウソをついているということではないんですよね。そのことに一番気づいているのが誰かといえば子どもたちだと思っていて、その子どもたちが、小・中学校でもおよそ25万人が不登校になっていて、1年前から5万人増えている。僕の感じだと、「今の学校、ちょっと合わないな……」という子は、恐らくその10倍ぐらいいるんじゃないかなと思いますね。

――「ウソくさい」という言葉を、どういうイメージで使っていらっしゃいますか。

藤原:
本当のことが行われていない、ということですね。リアルにしなければならないのは、人間と人間のあいだで起こる教育、そういうものだと思うんですけれども、あまりにもよけいなことを、先生たちがいっぱい頼まれてしまっている。また先生方は、それを「できません」とか「お手上げです」と言わない。あるいは、助けを求めることをしないんです。頑張っちゃう。そうすると、本当に一生懸命やっている先生、本当に優秀な先生が体を壊してしまうとか、そういうことが実際に起こっていまして、かなり今、現場は、破綻しちゃうんじゃないかなというギリギリの線じゃないかと僕は思います。そこが、「ウソくさい」という言葉になるんです。

機能しなくなった一斉授業

――学校がどんなふうに「ウソくさく」なっているのか、具体的に聞いていきます。藤原さんはこの本で、「一斉授業が機能していない」と繰り返し指摘しています。その理由として、児童・生徒の学力の「フタコブラクダ化」を挙げています。これを解説していただけますか。

藤原:
例えば都市部の中学校ですと、半分は塾に通っているわけです。そうするとクラスの中の半分が、もう、きょうやることがわかっちゃっているんですね。一方で落ちこぼれてしまった子がいて、そういう「フタコブラクダ」になっているにもかかわらず、相変わらず戦後すぐから50年間は通用していた、真ん中あたりに向かって授業をやっている。それは、お客さんのいない層に向かって落語をやっているような、そんな感じになっちゃっているわけです。

――藤原さんは「フタコブラクダ化」の解決策の1つとして、動画授業を推奨していらっしゃいます。「生の授業のほうがオンライン動画授業より優れているというのは、間違い」と指摘していますが、動画授業がなぜ学力の格差を解消するのでしょうか。

藤原:
ベテランの先生は「フタコブラクダ」をわかっていて、低学力の子を一生懸命フォローしながら、高学力の子をもう1回引っ張り上げるような器用な授業ができたりするんですけれども、そういう50代のベテラン教員はこれからどんどんいなくなるわけです。今、一生懸命採用しているのは20代の新規の教員ですけれども、採用倍率がどんどん下がっています。昔は12~15倍くらいはあったのが、東京都なんかは2倍ですね。目の前に2人いたらどちらかをとらなければいけない、そういう意味で質が下がっているわけなんです。

若手の先生は残念ながら、「フタコブラクダ」で両方をウォッチしながら細かい指導をするのはなかなか難しいところがあって、そうであれば、非常にうまい先生がオンラインにいくらでも動画を上げているわけですから、そういうものを使ってみる。ある教科のある単元で、自分よりもはるかにうまく教えている動画を、授業の中でですから正味45分のうちの15分くらいだと思うんですけれども、遠慮なくそれを流す。そして、塾でやってもうわかっている子が、わからない子に教えるというふうに、どんどん教え合い、学び合いを起こしていく。先生は、動画ではわからない子をフォローしていく……というふうに、ダイナミックな学級運営をそろそろしないと、“お客さん”のいない真ん中のところに向かって、とにかく自分がしゃべりきればいいという授業は、機能しないんじゃないかと思うんです。

――目の前にいる先生が教えるのが教育の基本だというふうに、思うじゃないですか。

藤原:
皆さん、思っていると思います。

――ですよね。動画に任せていいのかという議論が、出てきませんか。

藤原:
出てくると思うんですけど、例えば今、国語の授業で非常に有名な、林修先生がいますよね。タレントみたいになっていますけれど、本当に教えるのがうまい先生がいるわけなので、それをもっと利用することで、例えば、得意なところは自分でやればいいと思うんです。得意じゃない教科あるいは単元は、そういう最高の先生のオンラインを使って立体的に進めるのが、これからの授業の姿ですね。師範学校を出た先生が全部の知識を持っていて、黒板をバックにして教科書でわかっていない子に教えるんだという姿が明治以来ずっと続いてきて、それがある程度、機能してきたわけです。でもユーチューブが出てきてチャットGPTが出てきて、教育は根底から変えないと無理だと思いますね。

失敗を許さない「正解至上主義」

――藤原さん自身も公立中学校や高校で校長先生を長年なさってきましたが、「現在は、ウソくさい校長が9割」と書いていらっしゃいます。どうしてそうなってしまったんですか。

藤原:
校長というのは、学校教育の世界では「上がり」の職になっていまして、そこで終わっちゃうわけです。その先はないんですね。そうすると人間のさがとして、ここでミスしたくない、叱られたくないというようなことで、ミスらないためにはチャレンジしないというような選択肢になっちゃうわけです。

――それはただ「上がり」の職ということだけではなくて、そうせざるをえない状況を作っているのも、社会だったり、学校に対する期待だったりするんじゃないかと思ったんですけれども、そのあたりはいかがですか。

藤原:
すごくいい指摘だと思います。つまり、本人が守りに入るのはなぜかと言えば、「正解至上主義」と僕は言うんですけれども、今の世の中が、あまりにも「正解しないと駄目だ」と。学校というのは本来、家庭と一緒で、家庭も学校ももっと失敗をしてよい場所ですよね。それで社会への訓練をすると思うんですけど、その学校が、とりわけ正解至上主義でかためられちゃって失敗できない。「叱られないようにするにはどうしたらいいか」みたいになってしまっている。

それは、ちょっといじめがあったり、ちょっと不登校があったりすると、全部それを先生や学校のせいにして、社会のほうから攻撃をするじゃないですか。攻撃をされたら、学校の先生としてもやっぱりどうしても萎縮してしまう。学校にもし「失敗をするな」と言うのであれば、学校というものが、もう教育機関として成り立たない。失敗ができないんだったら教育というものはなされないと思うので、おうようにと言いますか懐深く、地域社会が学校と先生を育てるというような感じにもう1回戻していかないと、難しいなと思います。

集まるからできることに集中せよ

――“教育改革実践家”として社会に警鐘を鳴らしてきた藤原さんですが、学校を「ウソくさく」なくするには、どんなことから始めればいいでしょうか。

藤原:
2つあるんですけれども、1つは、先生方が照れとかプライドを捨てて、教えるのに自分が語らなければいけないというのを捨ててほしいですね。ユーチューブ時代ですから、動画というものを大胆に使ってもらいたいと思うんです。

もう一方で、先生たちが忙しくなりすぎているということがあります。今、だいたい1週間で100枚くらい、アンケートと事務処理の書類が校長に下りてきますので、それを全部、各教員が処理しなければいけないんです。教員が足りないと言われる向きがあるのですが、教員が足りないのではなくて、教員の10万人分ぐらいを文書で殺してしまっているというのが現実なんです。それは、知事、教育長のリーダーシップで減らすことができるんです。ですからリスクをとってそれを減らしてくれれば、10万人ぐらいの教員がもう1回生き返って、児童・生徒に寄り添えるわけですね。できたら文書をゼロにしてほしいと思うんです。

――藤原さんのお話を聞いていますと、学校の駄目さを言う一方で、こんなに愛すべき存在はない、もっと利活用すればいいものになるのにという思いをすごく強く感じるんです。藤原さんにとって、学校はこうあるべきだという論を、聞かせてください。

藤原:
学校というのは、人を集めますよね。ですから人が集まらなければできないことに、もっと集中すべきだと思うんです。例えば、合唱して気持ちよかったとか、体育でリレーして気持ちよかったとか、それから実験をするときには、1人でやってもつまらないわけです。班で成功するやつと失敗するやつがいて、「どうしてこっちは成功したんだろう?」みたいな、集団でこそ学べるものが絶対にあるわけです。ところがいまだに学校がやっていることは、ユーチューブ、チャットGPT以前のままだというところに「ウソくささ」があるので、集団でなければできないことを突き詰めれば、もっとすばらしいものになると僕は思います。

――『学校がウソくさい』の著者・藤原和博さんにお話をうかがいました。藤原さん、ありがとうございました。

藤原:
ありがとうございます。


【放送】
2023/07/09 「マイあさ!」

放送を聴く
23/08/07まで

放送を聴く
23/08/07まで

この記事をシェアする

※別ウィンドウで開きます