『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』は、第二次大戦中、ナチス政権下でドイツに潜伏していたユダヤ人と、そのユダヤ人をかくまい、命を救ったドイツ人を描いた歴史ノンフィクションです。著者の岡典子(おか・のりこ)さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)
【出演者】
岡:岡典子さん
『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』は、第二次大戦中、ナチス政権下でドイツに潜伏していたユダヤ人と、そのユダヤ人をかくまい、命を救ったドイツ人を描いた歴史ノンフィクションです。著者の岡典子(おか・のりこ)さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)
【出演者】
岡:岡典子さん
――まず、本のタイトルにある「沈黙の勇者たち」はどういった人々なのか、解説をお願いします。
岡:
「沈黙の勇者」というのは、戦時中ナチスの時代にユダヤ人を救ったドイツ人のことです。ドイツだけでもホロコーストの犠牲者は16万人に及んだといわれていますけれども、そのドイツで、5000人のユダヤ人が生きて終戦を迎えました。そのユダヤ人たちをさまざまな方法で助けていたのが、のちに「沈黙の勇者」と呼ばれるようになったドイツの市民たちだったんです。最近の研究によれば、少なくとも2万人以上のドイツ人が、ユダヤ人を救うための活動に関わっていたと考えられています。
――そういった方々を「沈黙の」と称するのは、なぜなんでしょうか。
岡:
恐らく2つの意味があると思います。1つは、救援活動を行なっていた当時はもちろん沈黙せざるをえないわけですよね。もう1つは、戦後長い間、救った人たち自身が、声を上げてあえて自分の行動をアピールする必要性を感じていなかった。人として当然のことをしたからという気持ちもあったと思います。
――「沈黙の勇者たち」は、反ナチスの活動家というわけではなく、市井の人々ですよね。こうした事実は何を意味しているとお考えになりますか。
岡:
彼らは本当に普通の人々でした。特段の教養や思想を持ち合わせていたわけでも、日頃、人格者とみなされていたわけでもありませんし、むしろ家族や近所の人に迷惑をかけているような、そんな人たちすらいました。彼らの職業も本当にさまざまで、例えば歯医者さんだとかエンジニアもいましたし、薬剤師、農民、それからピアノを作っている職人さんもいましたし、高齢者もいましたし小さい子どももいました。このことから、人というのは、誰でも困っている人を見たら行動することができる。私たちは誰でも、いわば勇者になれるのではないか。かつての時代にユダヤ人を救った人たちは、現代の私たちにそんなふうに語ってくれているんじゃないかなと思っています。
――本には、ユダヤ人を救ったドイツ人と救われたユダヤ人がさまざま登場しますが、この二人が本の主役といえるでしょうか。ドイツ人女性のマリア・ニッケルとユダヤ人女性のルート・アブラハムです。ユダヤ人の迫害に憤っていた20代前半のマリアは、見ず知らずのルートに「あなたを助けたいの」と支援を申し出ますが、ルートは当初、これを拒否します。それでも粘り強くマリアはルートの支援に動いていきます。岡さんは、このときのマリアの心境をどうお考えになっていますか。
岡:
ルートが最初拒否するのは自然なことだったと思うんですね。突然現れたドイツ人を、信用できるはずはないので。一方のマリアですけれども、戦後になってから「なぜあなたはユダヤ人を助けたのですか」というメディアの質問に答えて、こんなふうに語っているんです。「私は、みんながユダヤ人にひどいことをしているのが嫌だった。それに何より、ドイツがそんな国になってしまったということが嫌だったんです」。この言葉から読み取れるのは、マリアの深い愛国心ではないかと思います。マリアは、ナチスに支配されてしまっている実際のドイツは許せないけれども、本来のドイツというのはもっといい国だと信じていたんだと思います。だからこそ、彼女は自らユダヤ人を救うことで祖国ドイツの誇りを守りたかったのではないかなと、私は想像しています。
――岡さんは、ドイツ人が自らの危険を省みずユダヤ人を救った理由を考えるうえで、ユダヤ人をかくまっていたことを密告されて逮捕された農夫の、「気の毒だと思ったからだ」という発言を挙げています。ここから私たちは何を読み取るべきでしょうか。
岡:
極限的な当時の状況の中で人々を行動へと駆り立てたのは、実は政治的な主義や信条よりも、人間としての素朴な良心だったということが言えると思います。例えば、今でもまさに日本を含むたくさんの国でウクライナからの避難民を助けている方が大勢いらっしゃると思います。ナチスの時代にユダヤ人のために行動した人たちも、今、ウクライナからの避難民を助けておられる方々も、本質的には同じ気持ちだったのではないかなと私は想像しています。
――岡さんは、80代後半になったマリアとルートの再会の場面で本を締めくくっています。アメリカで暮らすルートは、子どもや孫、ひ孫を連れてベルリンのマリアを訪ねて、家族にこう紹介しました。「この人がマリア。私たちみんなの天使よ。もしこの人がいなかったら、今ここにいる私たちの誰一人、この世にはいないのよ」。岡さんはこの言葉に触れたとき、どんなことを感じましたか。
岡:
これこそ、ルートが人生の最後に自分の子孫に伝えておきたい一番大切な言葉だったのだろうと感じました。今、おっしゃってくださったように、ルートは戦後、アメリカに移住しています。夫とともに事業を成功させて、たくさんの子どもや孫にも囲まれて、アメリカで豊かな暮らしをしてきました。実はルートはアメリカで戦後暮らしている中で、自分の子どもや孫たちに、ナチス時代のことを一切語ったことがなかったんですね。それだけに、最晩年になって子どもや孫たち、ひ孫たちを連れてベルリンに行ったというのは、彼女のなみなみならぬ決意を示している行動だったと思います。彼女はずっと、今自分たちがこうして幸せでいられるのはマリアのおかげだと、思い続けてきたんだと思います。
――岡さんはこの本を執筆するにあたって、相当な記録を読まれたでしょうね。「こんなこともあったのか……」というエピソードは、何か記憶に残っていますか。
岡:
行動したドイツの人たちもそうなんですけれども、それ以上に強い印象を受けたのが、救われる側・かくまわれている側のユダヤ人たちもまた、かくまわれる・守られるだけではなくて、自分たちも守られながら、同じ立場にある潜伏ユダヤ人の仲間たちを助けていたという事実でした。「沈黙の勇者」と今日呼ばれるのはドイツの救援者ですけれども、ユダヤ人たちもまた、救われる側でありながら彼らも同時に救援者だったと私は理解しています。
――ということは、原点は1つですよね。生きていくという部分で、助ける・助けられるではなくて、大切なものを守るというところは1つだということですよね。
岡:
おっしゃるとおりだと思います。実際にこれほどの過酷な状況に追いやられていたユダヤの人たちが、潜伏生活を送る中でドイツ人のために行動をとることすらしているんですね。自分の身が露見してしまえば命がないのに、そうした中でもドイツの普通の人のために自分ができることをする。そうした日常の場面が、いくつも見られます。今、おっしゃってくださった、助ける・助けられるという関係だけではなくて、人は支え合って助け合って生きていくということをまさに体現していた。そういうことかなと思っています。
――「沈黙の勇者たち」が、今を生きる私たちに教えてくれることは何だとお考えですか。
岡:
「人間は強い。私たちは強いのだ」ということを、教えてくれている気がしました。全体主義に覆われた恐怖の時代であっても、救援者たちは自分で判断して自分が正しいと信じる行動をとりました。国際社会は今、困難な状況に直面しています。それでも、「私たちは、人間性を失わず自分の意思に従って行動することができる。私たちは大丈夫」と、かつての「沈黙の勇者たち」は、今を生きる私たちをそう励ましてくれているのではないかと私は思っています。
――『沈黙の勇者たち』の著者、岡典子さんにうかがいました。岡さん、ありがとうございました。
岡:
こちらこそ、ありがとうございました。
【放送】
2023/06/25 「マイあさ!」
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