『聴こえない母に訊きにいく』五十嵐大著

23/07/17まで

著者からの手紙

放送日:2023/06/18

#著者インタビュー#読書

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『聴こえない母に訊(き)きにいく』は、耳が聴こえない両親に育てられた五十嵐大(いがらし・だい)さんが、母の半生を聞き取り、つづった手記です。五十嵐さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
五十嵐:五十嵐大さん

「聴こえない母でごめんね」

――五十嵐さんのお父さんとお母さんは、二人とも耳が聴こえないという状況だったんですよね。その家庭で育った五十嵐さんは、自分の環境を受け入れられない時期があったそうですが、これはどういうことですか。

五十嵐:
始まりは小学生のころだったと思います。それまでは耳が聴こえない両親というのは僕にとっては普通の存在だったんですけれども、だんだんと周囲の大人の人たちから、「かわいそうな家の子ども」と言われたり、あるいは「五十嵐くんはいつも耳の聴こえない両親のために頑張ってて、偉いね」と言われたりすることが増えて、どちらにしても僕の中では違和感があったんです。普通の子どもとして見てもらえないというような、どうして僕だけがそんなふうにあわれまれたり応援されたりするのかなと考えたときに、その原因は耳の聴こえない両親にある。両親が、耳が聴こえないからだと。結局その怒りを、僕は両親にぶつけることでしか発散できなかったんです。特に母親に対して、「障害者の親なんて嫌だ」「障害者の家に生まれてきたくなかった」って、どなりつけたことがあったんですね。

――五十嵐さん自身が?

五十嵐:
はい。そしたら母がその瞬間、「ごめんね」と。自分の耳が聴こえなくてあなたに苦しい思いをさせてしまって、ごめんねと言われたんです。まったく謝る必要はないんですけど、母は僕に対して、怒ったりしないでただ謝るんですよね。そのときのことを、いまだに僕は忘れられないんです。

――そうして少しずつ大人になっていった五十嵐さんは、母の人生を知りたくなって、そして本を書かれましたね。どういうきっかけがあったんですか。

五十嵐:
今回の本の前に、エッセーを書いているんです。それはあくまでも僕の目線で、家族のゴタゴタをちょっとまとめたようなものなんですけど、それを書いているときもそうだったんですけど、僕は思っている以上に母のことを知らないんだなと思ったんですね。それから少しずつ、母のことを知りたいなという気持ちが膨らんでいきました。あとは同時期に、自分と同じように耳の聴こえない親を持つ人と話す機会があって、その方が、親が亡くなるその最期の瞬間も、親のことがわからなかった、わかりあえなかったと言ってすごく後悔をしていたんです。その話を聞いて、僕がこのまま親のことを知らなかったらきっと同じように後悔すると思って、それは絶対に嫌だなと感じたんです。それから母のことを取材してみようと思うに至りました。

当事者を無視した“善意”

――五十嵐さんは、宮城県の塩釜市に暮らす母を訪ねて話を聞くことになります。お母さんは「冴子さん」とおっしゃいます。冴子さんは若いころ、ろう学校の高等部に入ると、五十嵐さんの父になる浩二さんに一目ぼれをして交際を始めます。二人は東京に駆け落ちを試みるなど大恋愛の末に結婚しますが、浩二さんの母が結婚に反対したそうです。五十嵐さんはこれを、“善意の反対”と書いていますね。

五十嵐:
僕からすると父方の祖母にあたる人なんですけど、祖母が言うには、「耳が聴こえない人どうしが結婚したら苦労する」「たいへんなことになるのでやめなさい」と。それはつまり、あなたたちが苦労しないために言ってるんだよという、心配を装った反対だったんです。一見心配しているようで、でもそれは、当事者の気持ちをまるっと無視している行為だと思うんですね。

特に僕の母は、自分が結婚するとしたら耳が聴こえない人がいいと思っていたらしくて、その理由が、「聴こえない人だと自分の気持ちを本当に理解してくれる」と言っていたんです。だけど当時は、心配を装って反対をする声が少なくはなかったみたいです。あまりこういう言葉は使いたくないんですけど、“健常者”とされる人に許されている行動が、なんらかの障害がある人からはその選択肢が奪われてしまう。「あなたにはこういう障害があるんだから、やめておきなさい」という、それって当事者の気持ちを本当に無視していることだし、乱暴なことだと思います。

――母の冴子さんは結婚のあと、周囲から、「もしも耳の聴こえない子どもが生まれたらどうするの?」と言われるようになりました。そんな中で五十嵐さんを生むに至ったわけですが、このとき、冴子さんにはどんな決心があったとお考えですか。

五十嵐:
「もし耳の聴こえる子どもが生まれても、私が引き取って育てる」と言うような人も、中にはいたらしいんです。それはつまり、「聴こえないあなたには育てられないだろう」ということですよね。だけど母は本当に優しいというか若干弱気なところもある人で、なんでも「わかった」と受け入れるタイプなんですけど、でも子どもを育てるということに関しては、自分が絶対に育てると強く主張していたらしいです。そういう過去を聞くと、子どもを産み育てるということが彼女にとってどれほど大事なことだったのかを、改めて感じさせられました。

母自身のくやしさと幸せと

――そして五十嵐さんは、自分が生まれたときのことを母に聞きます。「聴こえる子どもと聴こえない子ども、どちらを望んでいた?」という問いかけに、冴子さんは、「そんなのどっちだって構わない」と答えたそうです。この母の言葉を聞いて、五十嵐さんはどんな気持ちになりましたか。

五十嵐:
「どっちでも構わない」と言ったあとに、「だけどもし選べるんだったら、聴こえる子どもがよかったな」って、ボソッと言ったんです。実際、僕は聴こえる子どもだったわけですけど、それはどういう意味なのかを尋ねると、母自身、聴こえないことでいろいろできないことがあったわけです。そういうくやしい思いを、「自分の子どもには味わってほしくない」と言ったんです。母が自分の人生の中でいかにくやしい思いをしてきたのかを、違う言葉に置き換えて初めて打ち明けられた瞬間だった気がします。今までそんなことを一切言ったことがなかったので、それを母の口から聞いたときは本当にショックというか、「なんで母がこんな思いをしなければいけないんだろう……」って。これからの人生では、聴こえないことによって二度とくやしい思いをしてほしくないと思いますね。

――本の大詰めで五十嵐さんは、「耳の聴こえない両親のもとに聴こえる子として生まれてきて、よかった」と書いています。そう思えた理由を教えていただけますか。

五十嵐:
僕は、聴こえない母と聴こえる自分という、親子なんだけどそこに違いがあってどうしても埋められないと感じていて、そこに葛藤があったんですね。ただ今回の取材を通して、母と本当の意味でわかりあえたなと思う瞬間が何回かあったんです。そのときに感じたのが、言葉が違うとか置かれている境遇の違いで壁とか溝ができたとしても、相手のことを知りたいとか、あるいは自分の思いを伝えたいと思っていたら、それは乗り越えられるんじゃないかなという手応えみたいなものを感じて、それは、現代にはびこっているすべての分断に通じることだと思うんです。僕の周りには、耳だけじゃなくてさまざまな障害がある方がいるんですね。ときどき壁を感じるときもあるんですけど、でもそれは自分が勝手に感じているだけで、全然乗り越えられるものなんだと。それを教えてくれたのが聴こえない母だったので、そういう意味で、僕は聴こえない母のもとに生まれてよかったなと思いますね。

――この本を読んで私が「そうだったのか」と思ったのが、ろう学校に通ってらっしゃるころのお母さんの振り返りです。お母さん、ものすごく楽しんで人生を過ごしていますよね。そこに五十嵐さん、気づきましたよね。

五十嵐:
そうなんです。そのときにすごくうれしくなったんです。母の人生って、ほんとはめちゃくちゃ幸せだったんだなと思って。今までどこかで僕自身も、耳の聴こえないお母さんは、苦労ばっかりして不幸だったんじゃないかって、偏見の目を持っていたんです。でも全然そんなことはなかったと気づいたことが、一番の収穫だったかもしれないです。

――『聴こえない母に訊きにいく』の著者、五十嵐大さんにお話をうかがいました。五十嵐さん、ありがとうございました。

五十嵐:
ありがとうございました。


【放送】
2023/06/18 「マイあさ!」

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23/07/17まで

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