「マイあさ!」で毎週日曜日の午前6時台後半にお送りしている「サンデーエッセー」。日曜の朝に、考えさせられるメッセージや、あたたかい気持ちになれるメッセージをお送りしております。
6月4日の放送では、ライターの武田砂鉄さんに、「老舗週刊誌の休刊に思う」というテーマでお話しいただきました。
【出演者】
武田砂鉄さん(ライター)
「マイあさ!」で毎週日曜日の午前6時台後半にお送りしている「サンデーエッセー」。日曜の朝に、考えさせられるメッセージや、あたたかい気持ちになれるメッセージをお送りしております。
6月4日の放送では、ライターの武田砂鉄さんに、「老舗週刊誌の休刊に思う」というテーマでお話しいただきました。
【出演者】
武田砂鉄さん(ライター)
おはようございます、武田砂鉄です。けさは「老舗週刊誌の休刊に思う」というテーマでお話しします。
先日、創刊から101年の歴史を持つ、日本最古の老舗総合週刊誌の「週刊朝日」が5月30日発売の号で休刊になりました。
(週刊朝日は)101年前、1922年2月の創刊です。その時代に世界や日本で何があったかといえば、1920年には国際連盟が発足したり、1923年には関東大震災が起きたりと、いくつか並べてみますと、そのころから雑誌が存在し続けているっていうのはなかなかすごいものがあるなあ、というふうに実感できます。
実は僕も、この週刊朝日では昨年(2022年)8月から連載をしていました。その週にあった出来事の中から、自分の中でこれは問題だなと思ったこと、どうにも腑(ふ)に落ちないなと思った事柄について、ああだこうだと考えてみる連載をしていました。なので、(連載開始から)1年たたずして休刊してしまったというのは残念なんですが、考えてみれば、100年を超える雑誌の最後に席を用意してもらっていたというのは光栄なことだなあ、というふうに感じます。
僕は、学生のころから週刊誌を読むのが非常に好きでして、ああいう情報が「紙の束」になっているっていう状態がすごく好きで、その束の中には、自分にとって必要な情報もそうでもない情報も入っていると。でも、読み進めていくうちに、最初、別に自分には必要がない情報かもなって思っていたものにどんどん引き込まれていくと。これが自分の思考の幅を広げるものになってきたな、という実感があります。
最近話題になっている対話型AIのChat(チャット)GPTなんかもそうなんですが、ある疑問や、解決しなければいけない問題や課題に対して、最短距離で的確な答えを出していくという動きが止まりません。まあ、ChatGPTについてはまだまだ精度が高くないんで、使用するときには注意が必要ですね、なんて議論になっているんですが、そもそも、何かについて最短距離で的確な答えを出していくっていうこと自体に、僕は何かこう警戒感があるんですけれども、それはもしかしたら雑誌で育ってきたからかもしれません。期待外れの記事があったり、逆に、思ってもみなかった充実の特集があったり、何となく読み終えたけれど特に残るものはなかったなあというコラムだったり、決して最短距離ではない情報というものが雑誌には詰まっていたなというふうに感じています。
週刊朝日がなんで休刊になってしまったのか。やっぱり、売り上げが低迷したことっていうのが一番大きな理由なんだと思います。週刊誌に原稿を書いてきた人間として、ここが週刊誌のいいところ、っていうふうに感じていたところが、もしかしたらそのまま週刊誌を買わない理由になっていたところがあるかもしれません。
それ、どういうことかといいますと、先ほど挙げた、最短距離で的確な答えを出していくわけではない記事の作り方。これがまさに、「いやいや、最短距離で的確な答え出してくれよ」っていう要求になってくると、当然だけど、週に1回出る週刊誌にそれはできないわけですね。
例えば、週刊朝日なら毎週火曜日に発売されていましたけれども、原稿の締め切りがいつかというと、僕の場合ですけれども、前の週の水曜日だったんですね。つまり雑誌が発売される6日前になるわけですが、7日に1回出る雑誌の締め切りが発売の6日前なんですね。もちろん、連載ページ、カラーページ、特集ページ、スクープ記事、締め切りというのはそれぞれ違うと思いますけれども、基本的にはそれぐらい時間をかけて記事を作っていくと。この時間のかけ方っていうのが、どうも今の情報化社会との流れに合わなくなってきてるっていうのは、これはずっと言われてきたことではあるんですけれども、今では極端に言えば、ある日の夕方に出たある政治家についての記事があれば、その日の夜に更迭が決まったり、形だけの謝罪をしたり、無視を決め込んだりするっていう反応が出てきて、それが翌朝の新聞だとかテレビのワイドショーなんかで報じられると。
仮に水曜日の夕方にネットに記事が出て、その日の夜に政治家が反応して、木曜の朝刊に記事が出て、木曜の昼にワイドショーに出ると。こうなると、翌週に出る雑誌に載せるテーマとしては旬なのかどうかってなると、やっぱりそうはならないわけですね。
でも、その号に載せる原稿を書かなくちゃいけないのは、さっきも言ったように前の週の水曜日だったりするわけですね。その時点で判断をしなくちゃいけない。果たして、このニュースというのは来週まで話題になるんだろうか、と。
もちろん、話題になる、ならないということばかりを基準にしていてはいけないですし、何よりも自分なりの考えを伝えるということが一番なわけですが、それができていればいいという考え方で週刊誌というメディアはこれまで生き続けてきたはずで、でも、読む方が「古いよね、そのニュース」っていうふうに、判断するスピードを速めてしまったというところがあります。
時間をかけて書く、時間をかけて考えざるをえないっていうのを週刊誌の特性に変えることはできないのかどうかっていうのは、恐らく、週刊誌を作る人間が毎日のように考え続けてきたことだというふうには思うんです。僕は週刊朝日以外にもいくつかの週刊誌で連載していますが、そういう人間からすると、まだ覚えてるとか、あれはどうなったんだとか、そのまま逃げるつもりなのかっていう、“しつこさを注ぐ”には非常にぴったりの媒体だと思っていますし、その視点というのはむしろ週刊誌ならではのものになるんじゃないかな、ってことも思ったりもしてるんですね。
週刊朝日の歴史を振り返ったときに象徴する連載っていうのがいくつもありますが、作家の開高健さんによる『ずばり東京』というルポルタージュの連載は、今読み直しても非常におもしろい作品ですね。『ずばり東京』と題した本にまとめられていますけれども、1960年代の前半、つまり東京オリンピック開催を控えた東京の街がいろんな変化の時期にあって、そんな近代化する中でもしぶとく続いている産業とか慣習、風習みたいなものがあって、そこで生きる人たちの声を拾っていく、という連載なんですが、いくつかタイトルを紹介してみると「これが深夜喫茶だ」「ポンコツ横丁に哀歓あり」「師走の風の中の屋台」「世相に流れゆく演歌師」「ある都庁職員の一日」といったものがあるんですが、こうやって時代のにおいを嗅ぎ取るようなルポルタージュで、これは今、本の形で読めるわけですけれど、当時はこういった原稿がコラム、エッセー、インタビューなんかとともに一つの雑誌にとじ込められていたと、こういうぜいたくさを改めて感じちゃうんですね。
じゃあ、週刊誌というのはどうしたら生き残れるのか。これは、書くほうも編集するほうもずーっと考えている問題ではあるんですが、なかなか解決の糸口を見つけられていない問題でもあるわけですね。
じゃあ自分が何を考えているかということなんですが、今、あらゆるものがタダになっていて、あるいは音楽とか映画も定額制になっていて、紙の束にお金を支払うという選択肢がなかなか浮上してこない実情があると。そのために多くの出版社がweb媒体というのも同時に動かしていて、雑誌に載せる記事をそのままwebに乗せてみたり、雑誌の量では収まりきらない量というのをwebで有料で配信したりしていると。そこでの“もうけ”っていうのが生命線になっている雑誌というのも多いんですが、僕の場合はコラムを書くことが多いんで、読む人は少なくなるかもしれないけれど、いやまあ少なくなるに決まっているんですが、その紙の雑誌のために原稿を書く、つまり、webにはあまり転送しないでください、っていうのをやってまして。
じゃあ実際に、それでどれぐらいの人が具体的に手に取って買ってくれているのか、っていうのは定かではないんですけれども、雑誌、そこでしか読めない状態、というのを強引に作り出しているというところがあるんですね。そして、決して旬の話題ばかり気にするんじゃなくて、少し前のこと、数年前のこと、あるいは3年前のこと、大げさに言えば100年前のことであっても記事に盛り込んでいく、と。
最新のものを伝える媒体ということでは週刊誌はなくなったからこそ、そうじゃないこだわりをしつこく見せてみると。これが自分にできているということは思わないんですが、今なおたくさん出ている週刊誌っていうのを、もがきながらもわざわざ読むテキストっていうのを作っているというふうに信じたいですね。
これを聴いてくださっている方が、いや最近週刊誌読んでないな、と思った方もいらっしゃると思いますが、何でもいいのでぜひちょっと週刊誌を手に取って読んでほしいな、というふうに思っております。
けさは「老舗週刊誌の休刊に思う」というテーマでお話ししました。武田砂鉄でした。
【放送】
2023/06/04 「マイあさ!」
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