没後50年の石橋湛山が、なぜいま注目されるのか?

けさの“聞きたい”
放送日:2023/07/27
#インタビュー#政治
近年、新聞や雑誌で特集が組まれたり、6月には与野党の国会議員が超党派の研究会を発足させたりするなど注目が集まっている石橋湛山。
昭和31年から32年にかけて内閣総理大臣を務めた湛山は、ジャーナリストとして戦前から日本の軍事的膨張を批判して自由主義を唱え、植民地獲得を目指す「大日本主義」ではなく、いわゆる「小日本主義」を主張しました。その湛山の国家観や信念が再評価されている背景を田中秀征さんに聞きました。(聞き手・田中孝宜キャスター)
【出演者】
秀征:田中秀征さん(福山大学客員教授・元経済企画庁長官)
時代の閉塞感が湛山を求める
内閣総理大臣に就任したころ(72歳) 昭和31年
――秀征さんは石橋湛山記念財団の理事をされていて、「湛山の孫弟子」とも評されているそうですね?
田中秀征さん
秀征:
今年が没後50年で、このあいだ墓参りをしましたけれども、これまでの人生で私はずっと「湛山先生がいたらどう思うだろう?」と考えながら自分が進むいろんな方向を決めてきました。
もう本当に「孫弟子」というと恥ずかしいんですけれども、湛山の一番弟子だった石田博英が石橋内閣の官房長官を務めた。私はその石田先生の弟子で、石田先生が映った大きな写真に大きく「石橋湛山の孫弟子の田中秀征君へ」と書いた額をいただきました。
それからもう亡くなられた石田先生の奥さんが、石田先生の最後の議員バッジを「秀征さんが持っていると主人も一番喜ぶから」と言ってくださったので、一番弟子の石田博英の議員バッジを実は私が持っているんですよ。いつも何かにらまれているって感じがしますね。
――その秀征さんが見て、没後50年の石橋湛山が今もこれだけ注目されているのはなぜだと思いますか?
秀征:
結局は、たいへんな閉塞感が広がっているからでしょうね。
思い出すのは昭和20年の終戦の日ですよ。みんながこれから先を展望できずにがっくりきている中、湛山は終戦の玉音放送の3時間後に疎開先で人を集めて「前途洋々たり」って演説をしているんです。もうすごいですよね。
そのあと湛山は主張を雑誌に発表していくんですが、それが戦後日本の1つの道筋になっていくんです。
かつてご長男から聞いたんですけれども、「終戦の日の夜、書斎に向かう父・湛山の背中がうんと大きくて、すさまじい迫力で部屋に入っていって『前途洋々たり』という論文を書いたんです」ということでした。
湛山が唱えた「小日本主義」
――具体的に湛山の考えとはどういうものなんですか?
秀征:
それは戦前から唱えた「小日本主義」ですね。みんなが「国土が狭い、資源が乏しい、人口が多いから、こういう国ではやっていくのは難しい」と思っていたから、領土を増やすなんてところへ考えが行っちゃったわけですよね。
「そうじゃないんだ。これで十分やっていけるんだ」と。それが湛山の唱えた小日本主義。
それで結局、その小日本主義を貫いて、戦後日本は経済大国までのし上がるんですよ。湛山の言った通りになるんですけど、その道筋を開いたっていうのは、これすごいことですよね。
今ここに1つの閉塞が訪れていて、やっぱり新しい構想力というものが必要ですよね。そういうところに日本が来ているんだと思います。
――戦後の平和な貿易立国を目指すということが、湛山の考えの柱になっているということですか?
秀征:
そうです。科学技術で先頭を切っていれば日本は必ず生きていける。世界から大事にされていくっていうことですね。
――湛山については、秀征さんも本を書かれていますし、半藤一利さんや保阪正康さんなどいろんな方が本を書かれています。総理大臣経験者でこれほど書かれる政治家というのはあまりいないんじゃないですか?
秀征:
そうですね。そしてまたもう1つ、ご本人もものすごい数の著作を残していますね。これもナンバーワンじゃないですか。それで理想の総理大臣というと、しょっちゅうトップに躍り出るんですよね。
今の政治家は「自分」がない
――その湛山ですが、実はほんの2か月の任期で退陣しているんですよね。その石橋湛山が総理大臣就任後に残した数少ないインタビューがNHKに残されていました。今から66年前、昭和32年の『新春放談』で、日本の政治に真の民主主義を根づかせるにはどうすればいいかを語りました。
湛山:
今までの日本の政治というのは、どうも人のポストの問題とかにばかり没頭していましてね。
肝心な政策の問題についての論議が、あるいは研究が足りない。
アナ:
そういう点で、議会政治の信頼を確立するというか、そういう方向はぜひお願いをしたいんですが?
湛山:
国民各位に直接訴えるということはぜひやっていきたい。
相手の党が言うことはもう理非に関わらずいつも反対しなけりゃすまんというような。
政友・民政時代の泥仕合の名残のような政治情勢だけは、ぜひ直したいと思いますね。
――そして、総理大臣を辞任して10年後の昭和42年には、病床から「政治家にのぞむ」という手記を発表しています。
湛山:
私が今の政治家をみて一番痛感するのは、「自分」が欠けているという点である。
「自分」とは自らの信念だ。(中略)政治の堕落と言われるものの大部分は、ここに起因する。
政治家の最もつまらぬタイプは、自分の考えを持たない政治家だ。
金を集めることが上手で大勢の子分を抱えているというだけでは、本当の政治家ではない。
――湛山の総理大臣就任時と引退後の言葉ですが、今の政治状況を踏まえた上でこの言葉をどうお聞きになりましたか?
秀征:
私も含めてですけれども、今の政治家にとっては非常に耳の痛いことですよね。
結局、湛山が優れていたのは、まずその志が確かであったということでしょうね。強い志からしか展望は生まれないし、構想力も身についていかないと思うんですね。だからそういう点で抜きん出ていたと改めて感じますね。
――湛山の言葉に、「どうも人のポストの問題に没頭していて、政策・問題についての議論や研究が足りない」という言葉がありましたけれども、この点はどうですか?
秀征:
テキトーなんですね。思い入れがないんです。
湛山は自分が発する一言一言、1つ1つの政策を自分で生み出して、そこに生命をかけるっていう姿勢ですよね。
ちょうど湛山が自民党総裁に選ばれて総理になった時、すぐ4~5日後に日本は国連に加盟するんですよ。だから新しい局面で湛山が首相になって世間はたいへんな盛り上がりだったんですけれども、病気で倒れて短い任期で辞職することになり、残念でした。
群れることをしなかった湛山
――その構想力が今の政治家とは違うというお話でしたが、「もし湛山が長く首相を続けていたら、日本の政治はどうなっていたか?」とか「もし湛山が存命だったら、どう考えるだろうか?」と言われています。このあたりはいかがですか?
秀征:
それは何ていうか、湛山を信奉する人、たとえば宮澤喜一総理は私が「誰を尊敬するか?」と聞いても、まず石橋湛山を挙げていました。井出一太郎さん、宇都宮徳馬さん、石田博英さんももちろんそうですが、そういう何人かの強力な信奉者がいました。
そういう人たちが志を受け継いでいったから、今もまんざらゼロというわけじゃない。だからそういう人たちを産み落とした石橋湛山が今もって関心を持たれているんだと思いますね。
――秀征さんも著書の中で「今もし湛山だったら、どう考えるかな? どう主張するかな? と想像する」と書かれています。今の政治状況をもし湛山が見ていたら、どう言うと思いますか?
秀征:
「政治家が何をしているか分からない」って言うでしょうね。強烈すぎるかもしれないけども、「何を目指しているんだ?」と。結局、湛山は常に1つ目指す目標を作って走っていった人だから、「何やってんだ!」と僕なんか怒られそうな気がしますね。
――さきほどの50年前の手記の中に「今の政治家を見て一番痛感するのは、自分が欠けているという点である」という指摘がありました。これは今も続いているということですか?
秀征:
そうですね。自分があって、志があって、選挙に出て政治をやるっていうんじゃないから、そのへんからテキトーな感じがしますよね。
湛山が政界に飛び込む時はすごかったんですね。1度落選するんですけど、その本気は本当にすさまじい感じでした。
――では、湛山と今の政治家の一番の違いは何ですか?
秀征:
やっぱり志が確かかどうかっていうことでしょうね。結局、自分1人でもやるっていう“単騎出陣”型なんですけれども、まず自分が一生懸命走る。だから群れをなさないですね。それをあまり考えないで行動したところが湛山がすごく信頼されるところだと思いますね。湛山が言うところの「自分がある」ということなんですね。
番組リスナーの声
――番組をお聴きの方からツイートやメールなどでたくさんのご意見をいただきました。一部ご紹介します。
愛知県の【三度の飯よりラジオ好き】さん
「今の政治家には自分がないとのことですが、今の政治家の多くが親や親族が政治家だからという理由で政治家になる世襲議員が多いから、確固たる信念がない政治家となってしまうのではないでしょうか?」
――秀征さん、この世襲議員の問題、今の政治家を見て思うところはありますか?
秀征:
みんな一様になってきたっていうか、個性がなくなってきているっていう印象を受けますね。
幕末の幕府官僚って優秀だったんですよね。だけど優秀な人がいっぱいいたのに、まったく時代の転換の役にたってはいない。まあ勝海舟みたいな人はいましたが。
そういう状況になってきているんですね。みんなそれなりに勉強してそれなりに質はあるだろうけど、個性がないし、そこから卓越した構想力が生まれていないように感じますね。これではもう時代の転換はできないと。
だから世襲が全部いけないとは言わないけれど、現在のこの数の多さは異常ですよね。
福島県の【しが】さん
「いま歴史を学び直していて、石橋湛山の政治が気になっていた者です。石橋湛山は中国と強いパイプがあったと学んでいるのですが、この国際情勢の中、今もし石橋湛山が生きていたなら中国とどのような外交をしようと考えていたと思われますか?」
第2回訪中の挨拶をかわす石橋湛山と周恩来首相
――国交正常化の時にも石橋湛山が中国との地ならしをする役割を果たしていたと聞いていますけれども、秀征さん、この質問についてはいかがですか?
秀征:
実は非常に気になる点だと、皆さんそう思っているんじゃないですかね。
田中角栄さんが国交正常化する後ろには湛山がいたんですよね。湛山が激励して出かけていったんですよ。
1989年でしたが、天安門事件がありましたね。あの時にもし湛山が生きていたら、それこそ中国を痛烈に批判したと思いますね。中国に対する期待がありましたから「とにかく民主化しなきゃいけない」「もっと自由な国でなきゃいけない」ってね。
今もそうだから、がっくりしているでしょう。とにかくもっと中国と仲良くしていきたいっていう気持ちが一方にありつつ、やっぱり民主的で自由な中国というものを期待するのは変わらないと思いますね。
ツイッターから【おっつん】さん
「石橋湛山は『積極財政』『金融緩和』で経済を立て直した方ですが、そのことをぜひお聞きしたいです」
秀征:
これね、かつて宮澤総理に聞いたことがあるんですけれども、やっぱり湛山の系譜なんですね。
「積極経済」「積極財政」という路線で、だから“インフレ大臣”なんて言われたこともあるくらい積極経済主義者なんだけど、それは池田勇人、宮澤喜一と受け継がれてきている。今あるうちの一方の1つの流れになってきていますよね。
今も必要なことだと私は思いますね。今もってそれは大事なことだと思います。
福島県の【菜之花咲多】さん
「今の政治や政治家を見ていると、選挙の当選だけを考えて党派を考えているのではないかと思います。小選挙区制の弊害かなと思います。石橋湛山だったら、〈小選挙区〉と〈中選挙区〉のどちらを採用すると思いますか?」
秀征:
そのどちらかと言ったら、明らかに〈中選挙区〉。しかも〈連記制〉を提唱していたかもしれませんね。この小選挙区制の制度については、以前(5月9日)お話しさせてもらいましたね。
この選挙制度改革の間違いが、日本の劣化とかいうものに非常に大きく影響していると思いますね。それから良い指導者を生んでいないということですよね。
もし今、湛山がいても小選挙区制では当選できないですよ。現在の小選挙区では絶対当選できない。そのくらい普通の人が出ていくのが難しい状況ですよね。
――選挙制度も含め、日本の仕組み、制度をもう一度見直さなきゃいけないと?
秀征:
そうですね。良い指導者をきちんと得られるような状況を考えなきゃいけないし、制度もきちっといい仕事ができる制度にしていかなきゃいけないですね。
今の形になった省庁再編自体も間違いですね。現在の省庁のあり方を見直す時期なんじゃないでしょうか。
単騎出陣型が苦境を打開する
――6月には与党と野党の国会議員が参加した超党派の「石橋湛山研究会」が発足しました。こうした動きを秀征さんはどうご覧になっていますか?
秀征:
湛山の人格とか見識とかいうものを勉強してもらうということでは、非常にいいことだと思います。
ただ、ひとこと言わせてもらうと、石橋湛山先生は1人でもやる“単騎出陣”型なんですよ。それで走っていくとあとから人がついてくるっていう。湛山は派閥を持っていないですからね。
歴史を見ても、そういう単騎出陣型の政治家が常に時代の苦境を打開していくんだと思います。
【ゆうたんぽ】さん
「石橋湛山さんを、去年、半藤一利さんの本を読んで人となりなどを知りました。先を見通す眼力と正義とは何かということを言葉にする力がすばらしいと思いました」
秀征:
これね、人口が多くて、資源が乏しくて、国土が狭いっていう条件の中で一等国になれるっていうことを湛山が戦前に言った時には、一流の経済の専門家が誰も賛成しなかった。でも戦後はやっぱり湛山が言った通りになった。
一橋大学の学長になった中山伊知郎さんは戦前からの経過をずっと知っていて、「4つの島での生き方を徹底的に考えていた石橋さんには歯が立たなかった。議論で既に負けたし、その後の事実の進行では一層はっきり負けた」と言っていました。そういうことなんですね。
そのために国際協調主義というのは必要だし、そしてもう1つは全力で学問や科学技術を大事にしていく。
人を育てるってことが大事だっていうことを湛山は言っています。その通りだと思いますね。
【放送】
2023/07/27 「マイあさ!」