感染症の日本史 ④/江戸末期に大流行 ~コレラ・麻疹~

21/11/18まで

健康ライフ

放送日:2021/07/22

#医療・健康#カラダのハナシ#感染症

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【出演者】
早川:早川智さん(日本大学医学部 教授)

――江戸時代といえば、250年も続いた長い時代ですよね。

早川: 250年以上続いた江戸時代は大変安定した時代で、文明的にも進んでいました。何よりも江戸の文化で評価できるのは大衆文化でして、歌舞伎や浄瑠璃など庶民が楽しむ娯楽が生まれました。浮世絵なども非常にレベルが高く、一般の人々が文学や芸術を楽しんだという江戸時代は、私は大変すぐれた時代だと思っております。すしや天ぷらなども江戸時代にできたものでして、現代の生活を作ったのは江戸時代だと思っています。

――そんな魅力的な時代に、また感染症に悩まされることになったということですね。

早川: 長く続いた江戸時代に、病気が何度も流行しております。特に江戸末期になりますと、さまざまな感染症が広がっていました。
特に人々を恐怖に陥れたのがコレラです。「安政のコレラ大流行」として学校で習った記憶もおありなんではないでしょうか。

――確かに有名ですよね。

早川: 江戸時代といえば鎖国を開始して長らく外交は制限されていたわけなんですけれど、安政5(1858)年、日米修好通商条約が調印され、225年続いた鎖国が終わりました。ただ、その1か月前に長崎に入港した1隻の船がきっかけでコレラのパンデミックが起きてしまったんです。

――鎖国の解除直前に、ということですか。

早川: ペリーが日本に連れてきたアメリカ船・ミシシッピ号の船員がコレラに感染していました。船員が長崎の出島に上陸しますと瞬く間に長崎に広がりまして、1か月もたたないうちに江戸に広がり、そして2か月後には東北まで広がっております。

――コレラは何が原因で感染するのですか。

早川: これは、不衛生な環境にいるコレラ菌が口から入って感染します。当時は主に生水からでしたが、口から入ったコレラ菌は小腸の粘膜に定着しまして、非常にひどい脱水を起こしていきます。

――亡くなった人も多かったのですか。

早川: 死人が続出したことで、江戸の火葬場には棺おけが山のように積まれたようです。一家全滅した家も多くありました。正確な統計はありませんが、人口100万都市の江戸からおよそ3万人の死者が出たとされています。3~4%がコレラで亡くなったことになります。

――コレラにかかると、どうなるのですか。

早川: おう吐、腹痛、そして非常に激しい水のような下痢が起きてきます。2~3日もたたずに「コロリコロリ」と亡くなることから「3日ころり」あるいは「コロリ」と呼ばれました。
当時は有効な薬がありませんでしたので、生ものや生水を取らないといった予防に努めるしかありませんでした。衛生を重んじるという西洋の思想が入ってきたことで状況は徐々に改善されてきました。

――ほかにも江戸時代にはやった感染症はありますか。

早川: 麻疹、いわゆる「はしか」ですね。これも大流行しました。今では大した病気ではありませんが、免疫がないと非常に多くの方が命を落とします。江戸時代だけで13回の大流行が記録されています。
5代将軍徳川綱吉も麻疹で亡くなったといわれておりまして、日本の歴史の上で麻疹の犠牲になった最も有名な方だと思います。症状が出て7日間で亡くなりました。

――そうだったのですね。麻疹の江戸時代の最後の大流行はどんな状況だったのでしょうか。

早川: この大流行は開国の年のコレラ大流行の4年後でした。コレラと麻疹という2つの輸入感染症が、外国人への不安を高めたんではないかと思います。
実際にコレラの流行によりまして外国人を打ち払う攘夷(じょうい)の機運が高まったとされていますし、麻疹大流行の5年後に幕府は崩壊しました。

――感染症というのは時代の局面に大きく関係しているということですね。

早川: 非常におもしろいのは、明治維新のころというのは西洋医学の革命の時代、つまり消毒や麻酔ということが導入された時代にあたります。それがそのままリアルタイムに日本に入ってまいりまして、戊辰戦争のころには刀傷や鉄砲傷、こういったものに対して安全な手術が可能になりました。けがだけでなく、お産のときの感染も予防できるようになってまいりました。

【放送】
2021/07/22 マイあさ! 健康ライフ「日本人が乗り越えてきた感染症から学ぶ ④」 早川智さん(日本大学医学部 教授)

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