歴史上の人物の病気を診る (5)淀殿

22/06/10まで

健康ライフ

放送日:2022/05/13

#医療・健康#カラダのハナシ#ココロのハナシ#歴史

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【出演者】
早川:早川智さん(日本大学医学部 教授)  (聞き手:田中孝宜 キャスター)

淀殿と更年期障害

――今回のテーマは淀殿です。淀殿、どんな人物ですか。

早川: 淀殿。その前は茶々と呼ばれていた女性です。浅井長政と織田信長の妹、お市の長女として生まれ、後に両親と兄弟を死にいたらしめた敵(かたき)、秀吉の側室となった女性として有名です。側室になった年齢が19歳か20歳ごろ。秀吉は50代とされていますので、いまでいう年の差婚だと思います。秀吉の正室・北政所には子どもができませんでしたが、淀殿が子どもを産んだため世継ぎの母親となり、発言力を増していきました。秀吉の死後は天下人の世継ぎの母として実権を握り、徳川家康と戦った大坂の陣では豊臣方の指揮を執ったと言われています。しかし大坂夏の陣で追い詰められ、燃え上がる大坂城の中で息子秀頼と共に命を絶っています。淀殿49歳でした。

――淀殿は病死ではなく、自害して亡くなったということですよね。としましても今回のテーマから考えると何かしらの病気にかかっていたのですか。

早川: 亡くなった年齢から考えまして、晩年はもしかしたら女性ホルモン低下による重い更年期症状があったんではないかと考えています。

――その根拠は?

早川: この領域の第一人者である服部敏良先生の室町安土桃山時代の研究によりますと、淀殿は秀吉が亡くなった直後、34歳の時から気うつの病にかかり、曲直瀬玄朔(まなせげんさく)というお医者さんの治療を受けていました。気うつというのは漢方的な診断ですけれども、症状としましては気力がわかないとか憂うつな気分、食欲がなくなるなどの状態をいいます。淀殿の気うつの原因を明確に記したものはないんですけれども、もともとうつ傾向があったんじゃないかと思います。幼くして両親を戦乱で失い、敵というべき秀吉に嫁ぎ、頼るべき近江出身の武将、石田三成、増田長盛、彼らは関ヶ原で亡くなってしまった。こういった環境では気丈な女性でも心を病むことは考えられると思います。その後はっきりした病歴の記載がないんですけれども、十数年後の大坂の陣のころは、もしかしたら女性ホルモンの低下が影響したんではないかと考えています。昔も今も変わらず、女性の閉経年齢は50歳前後とされています。年齢を重ねるごとに女性ホルモンのエストロゲン、これは卵巣から分泌されるホルモンなんですけれども、これが急激に減少しまして心身にさまざまな不調が起きてきます。

――更年期に起こりやすい症状というとどんな症状ですか。

早川: 一般的に更年期の主な症状としましては、発汗、動悸(どうき)、ほてり、のぼせ、こういった血管症状ですね。それから不眠、抑うつ、こういった神経症状がございます。ただ更年期の症状はエストロゲンの減少だけではなく、心理的なストレスも複雑に絡み合って起きていますので、その症状には個人差が大変大きいものがあります。淀殿の場合には戦乱期に豊臣家を支えなきゃいけないっていうプレッシャーが大きかったと思います。相当つらい症状が起きていたと考えても不思議はありません、

――更年期の症状を抱えていたことで、政局に何かしら影響があったと思われますか。

早川: はい。大坂夏の陣では徳川勢の半分の将兵で大坂城に籠もり、敗北が必至だったにもかかわらず家康と和睦しなかった。どうも冷静な判断力が低下していたような気がします。私の患者さんでも重い更年期症状がある方は、会社の重役や大学教授といった責任ある地位にある患者さんでも、冷静に物事を判断できないことがございます。気分にムラが出たりということがありますので、淀殿もこのような状態ではないかと考えています。

――もし淀殿が女性ホルモンの低下でつらい症状が起こっていたとしたならば、早川さんだったらどんな治療を行いますか?

早川: 更年期症状は画像診断や血液検査などで明確に分かる病気ではなく、問診で診断をつけるしかありません。症状や生活習慣を詳しくおうかがいいたしまして、その方に合った処方を考えたいと思います。淀殿が私の患者さんでしたら、まずホルモン補充療法を行います。ホルモン補充療法は女性ホルモンを補うことで更年期の症状を緩和させる治療法です。また、うつ症状が強そうですので、うつ症状が改善されるまでは抗うつ剤も併用したいと思います。それから漢方薬治療。ほてりやのぼせ、突然の発汗が特徴的なホットフラッシュという症状があるんですけれども、現代の漢方はよく効きます。

――症状によっていろんな治療が可能だということですね。ちなみに淀殿に適切な治療ができてうつ症状が改善されていたら、その後、歴史はどうなっていたと思われますか。

早川: 淀殿と秀頼が無条件降伏さえすれば、家康としても自分の名前が源頼朝や足利尊氏と同格の幕府創設者として歴史に残ることはわかっていたと思いますので、西国大名たちから切り離しまして、北関東あたりに五万石ぐらいの小大名として残したんじゃないかと思います。そうすると明治維新のあとも子爵くらいの華族として残ったのではないでしょうか。

――歴史上の人物の病気についてお伝えしてきましたが、その時代に今の最先端の医療技術があれば、私たちが暮らす現代も違う形になっていたかもしれませんね。

早川: そうですね。どんなに強大な力を持っていても病気にはかなわない。病気が歴史を動かしたということが言えるかもしれません。タイムマシンがあれば歴史上の人物を実際に診察させていただきまして、機械や薬も持っていければ現代医療を行いたいと思います。ただそうすると歴史が変わってしまいまして、田中さんも僕もここにいないかもしれないですね。

【放送】
2022/05/13 マイあさ! 健康ライフ「歴史上の人物の病気を診る ⑤」 早川智さん(日本大学医学部 教授)

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