『ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』中村昇著

21/11/15まで

著者からの手紙

放送日:2021/10/17

#著者インタビュー#読書

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「言語によって人と人がわかり合うことはありえない」。20世紀を代表する哲学者の一人、ウィトゲンシュタインの思想を解説した入門書『ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』。著者の中村昇さんにお話を伺います。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
中村:中村昇さん(中央大学文学部教授)

高校生の自分に向けて

――中村さんはこの本を「高校のときの自分に向けて書いたつもりだ」というふうに告白されていらっしゃいます。高校生のときに笑った記憶がないという中村さんに、ウィトゲンシュタインはどんな救いをもたらすと考えたんでしょうか。

中村: 中学・高校と一人暮らしだったものですから、4畳半の下宿で本当に一人でうつうつとして暮らしていたんです。学校に結構まじめなやつらがたくさんいて全くおもしろくなくて、どうしてもうまく学校にとけこめなくて、下宿で本ばっかり読んでいたんです。

東京に出てからウィトゲンシュタインを読み始めて、中学・高校に対してもそうですし世界全体に対して違和感があったのが、ああ、こういう見方をすれば自分が違和感を抱いていた世界を分析できるというか、少しはわかるかもしれないと思ったのがウィトゲンシュタインにひかれたところですね。

――ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタインは20世紀を生きたオーストリア出身の哲学者です。多くの哲学者がいる中でウィトゲンシュタインが際立っているのはどんな点になるのですか。

中村: ウィトゲンシュタインはもともと数学や論理学を研究していまして、学校で哲学を研究したことがなかったんです。哲学の専門的な教育を受けたわけではないんですね。ところが、全く予備知識がないのに、これはもう哲学の問題でしかないというような問題を素手でつかみ出すんですよ。われわれのこの世界の中から。

――「素手でつかみ出す」って、どういうことですか。

中村: 予備知識がないわけですから、哲学の問題がどういうものかは全然知らないはずなんですよ。ところが、われわれとか通常の今までの哲学者もそうですけれども、全然疑問に思わずに日常生活を送っていたところに実はものすごく深い哲学の問題があるということに、ウィトゲンシュタインだけが気づくんです。

言語と心は一対一対応していない

――ウィトゲンシュタインはどんなことを訴えていたのか。「哲学は言語批判である」と指摘しているそうですが、このポイントは、「言語によって人と人がわかり合うことはありえない」、そこで、「言語による理解の食い違いを正していくのが哲学である」、こういう理解でよろしいでしょうか。

中村: そのとおりだと思います。つまり言語は、それだけで自律している、オートマチックに動いているシステムなんですよね。われわれはただそれを借りてきて使っているだけなので、われわれの本当の自分自身の気持ち、あるいは本当の心の深いところを、言語が表現できると考えること自体がおかしいと思うんです。われわれの本当の気持ちを言葉によって相手に伝えるなんてことは、原理的に無理な話なんですよね。

ですからわれわれは、言葉を使って他人とうまく意思疎通をして気持ちが通じ合っているなんていうのは、極端なことを言えば大うそで、本当は言葉そのもののシステムにのっかってただしゃべらされている。われわれは言語を使わされていることによって、われわれの気持ちと気持ちが通じ合っていると思い込んでいるだけだと思うんですね。

日本語だって、私も畠山さんも、ちいさいころに無理やり言語シャワーを浴びて体で覚えてきただけですよね。自分で日本語を作ったわけじゃないですし、誰かが作った言語、つまり、誰のものでもあり誰のものでもない言語を、われわれはちっちゃいころから無理やり覚えさせられて使っているだけです。それが、自分たちの感情とか気持ち、本当に心の細かいひだみたいなものを、表すことができるわけがないじゃないですか。

だから、その言語とわれわれの実際の心が一対一対応なんかしていないというのを、ウィトゲンシュタインはまず指摘したんですね。これが言語批判の第一歩だと思います。

「親友」という言葉からの逆算

――具体的な例として、「親友」とか「恋人」といった言語が私たちを振り回すという指摘が出てきます。そのあたりを説明してもらえますか。

中村: 私は小学校のころに「親友」という言葉を知りまして、「人間には親友がいなければならない」というようになにか変にとりつかれたみたいになって、「誰が親友だろう?」なんて思ったんです。つまり言葉から逆算して実際の生活を悩むようになったんですよね。

それはおかしな話で、親友というのは、友達の中でいちばん大切で本当に唯一無二の友達だという意味だと思うんですけれども、「親友」という言葉があるがために、そういう友達がどうしても存在するんだと思ってしまったんです。そのことによって、いろんな友達がいるけれどその中のただ一人の親友を自分で選ばなきゃならない、ただ一人の親友と本当の友達のつきあいをしなきゃいけない、というふうに思い込んでしまったところがあります。ところが、親友というのはこういうものだよなんてきちんとあるわけじゃないですよね。ただ言葉があるだけですから。

あるいは「恋人」だって、この段階に足を踏み入れれば恋人だ、みたいなことがあるような気になるじゃないですか。でもそんなことはないのであって、いろんな人間関係があるわけですから、憎しみ合ったり全然会ったりしない恋人もいるのに、恋人という言葉があるがために、恋人というのはかくかくしかじかであるべきだよというふうに思い込んでしまう。言葉にとらわれて自分自身の恋人関係や人間関係がおかしくなるということを、しばしばわれわれは経験するわけですよね。

言葉の「文法」にだまされる

――ウィトゲンシュタインにすれば、言葉自体を批判しているわけではなくて、言葉というものに縛られ過ぎている人間の姿勢を批判しているということですか。

中村: そうなんです。言葉が持っているオートマチックな文法によって、われわれはだまされているというふうなことです。

――もう1つ例として、「痛み」という言葉についてです。他者の痛みを理解するというのは、ウィトゲンシュタインがいう「無責任な一般化」になると中村さんは指摘されています。これも他者とわかり合うことの困難さを表していると考えればいいですかね。

中村: そのとおりだと思いますね。痛みという言葉はあるんですけれども、痛みって、われわれ人間はちっちゃいころから亡くなるまで自分の痛みしか感じないんです。他人の痛みは絶対感じることはできませんから。だから自分の痛みしか感じたことがないのに、痛みという言葉で自分の痛みも他人の痛みも表すことができると思い込んでいる。でも全く違うものなんです、他人の痛みと自分の痛みは。本当は他人に痛みがあるかどうかすらわからない。ただ痛がっているだけかもしれない。私以外の、中村以外の全ての人間が、芝居をして痛がっているふりをして私をだましているだけかもしれない……。

他人の痛みがわかるような気にわれわれはなっていますけれども、実は痛みというのは自分自身の痛みでしかないわけだから、自分自身の痛みを他人の痛みと同じだというふうに思うのは全く無責任なことだと思うんですよね。

あるいは「他人を思いやる」と言ったときに、思いやりの最初の「思い」っていうのは自分の思いでしかないわけですから、他人の中に自分の思いや自分の痛みを持ってズカズカと入り込んで適当なことを言って大丈夫か、というふうに、ちょっと極端なことを言わざるをえないことをわれわれはやっているということです。

――そういった言葉で自分の心を煙に巻いて「私は相手を思ってるんですよ」とか「あなたの痛み、わかるわ」と言っていること自体を、それは本質ですか?と言っているわけですね。

中村: そのとおりだと思います。

〈私〉という唯一無二

――ウィトゲンシュタインに救われたという中村さんですけれども、今、笑うことができないでいる高校生たちに、例えば中村さんがウィトゲンシュタインになってメッセージを送るとするとどういう言葉をかけられますか。

中村: 私が笑うことができなかったのは、人間関係というか、どうしても周りの人間と意思疎通ができなかったり、友情みたいなものが築けなかったところがあるので、今までの話の流れで言えば、〈私〉というのは唯一無二の世界そのものであるような存在なんだから、他人と同じ地平を共有することは決してできないわけだから、他人がああだからとか他人が自分より優れているからというふうに、自分と他人を比較することなんか一切する必要はない。というよりも、できないことなんです、原理的に。

「自分は劣っている」と劣等感を感じたり、「もっと頑張んなきゃ」と考えるんじゃなくって、自分が自分の世界の中でいちばん好きなことをずっとやり続けて、そうすると最終的にその自分の好きなことが職業になったり生きていく世界になったりしますので、今、高校生の方がそういうことで悩んでいるとすれば、「他人と比較することはなくて、自分のいちばん好きなことを突き詰めて、その世界にとっぷりとはまってください。そうすれば必ず道は開けます」と言いたいですね。

――でも何かやるときには他の人の目が気になったり、親がこう言うからとか、あるじゃないですか。

中村: そうなんです。ところが親だって学校の教師だって、彼らだけの経験しか知らないわけですよ。だから高校生が自分でこれから経験する世界は、彼らにとっても未知なんですよ。自分と他人というのはさっきも言ったように全く隔絶されていますので、他人のアドバイスは聞いてもいいけれども、表面的に「ああ、わかった」っていうぐらいに答えておくのがいちばんいいと思いますね。最終的には自分で、自分の世界で、いろいろなことを解決していったほうがいいと思いますね。

【放送】
2021/10/17 マイあさ! 「著者からの手紙」 『ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』 中村昇さん(中央大学文学部教授)

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