歴史上の人物の病気を診る (3)上杉謙信

22/06/08まで

健康ライフ

放送日:2022/05/11

#医療・健康#カラダのハナシ#ココロのハナシ#歴史

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【出演者】
早川:早川智さん(日本大学医学部 教授)  (聞き手:田中孝宜 キャスター)

上杉謙信とお酒

――今回のテーマは上杉謙信です。上杉謙信は戦国時代に活躍した武将ですよね。

早川: 上杉謙信は越後の国、いまの新潟県を支配していた武将です。戦国時代中期の英雄といいますと、上杉謙信と甲斐の国、いまの山梨県ですけども、武田信玄ということになるかと思います。当時の越後の国は内乱が激しく下克上もありまして戦乱が続いておりました。その中、謙信は19歳の若さで家督を相続し、22歳で越後の国の統一を果たし、繁栄に尽くしました。その後も能登の国を支配下に置いたり、関東管領にも任じられたわけですけれども、快進撃を続けていました。ただ49歳の時に自分の本拠地である新潟の春日山城で倒れ、意識が戻らないまま4日後に亡くなりました。

――上杉謙信の病気、早川さんの診断は?

早川: 高血圧による脳出血です。高血圧の原因は塩分の取り過ぎ、だと推察しています。

――その根拠は何ですか。

早川: 謙信に関する記録「謙信公御年譜」に「3月9日の正午ごろ、謙信が脳卒中で昏倒した」と記録されております。謙信の後を継いだ上杉景勝の家臣への手紙に、13日に「不慮の中気で亡くなった」と書いてあります。謙信はほぼ毎日大酒を飲みまして、酒のさかなも、みそ、梅干し、塩鮭、こういった塩辛いものを召し上がっていたようなんですが、これが原因かと思います。上杉謙信は酒が唯一の楽しみであると同時に、みずからの命を縮めるかもしれないっていう自覚はあったようです。亡くなる前の年に「我が一期の栄は一杯の酒、四十九年は一炊の夢」で始まる時世の漢詩を残しております。過剰な塩分と酒の組み合わせを考えますと、高血圧が原因であることはほぼ間違いないと思います。

――塩辛い酒のさかなと大酒を毎日続けて、戦国時代に生活習慣病ということですか。

早川: 彼自身はやはりこういった戦国の時代ですから、大変なストレスがあったと思います。生涯独身を通した方ですし、楽しみとしてはお酒。米どころですので新潟には今もたくさんいいお酒がありますけども、それから山の幸も海の幸もございますので、お酒はおいしかったんじゃないかと思います。

――では早川さんがもし上杉謙信を治療するとしたら、どんな治療を行いますか。

早川: まず塩分を減らすことだと思います。謙信が一日どれくらい塩分をとっていたかというのはわからないんですけれども、現在の日本では一日の塩分摂取量を男性は7.5g未満、女性は6.5g未満としています。例えばなんですけれども、食品成分表を基に計算しますと、大きな梅干し1個20gとしまして塩分4g、かまぼこ2切れで1g、米・みそ大さじ1杯で3gの塩分量ですので、すぐに超えてしまいます。謙信が毎日みそや梅干し、こういったものをつまみに大酒を飲んでいたとしたら、相当な塩分量だったと思います。僕が子どものころの梅干しはまだしょっぱかったんですけれども、最近随分味が、塩分を減らしてきましたけれども、ずっと昔はいまより多かったと思います。謙信は、今川義元のあとを継いだ今川氏真による武田への塩断ち、これいまから考えると一種の経済制裁なんですけれども、これを破って敵に塩を送ったっていう逸話がある人物ですので、塩の重要性は痛感していたんだと思います。

――まず上杉謙信の治療としては食生活の見直しが一番大切になるということですね。

早川: あとは血圧を下げる薬、降圧剤を処方したいと思います。降圧剤には血管を拡張させて血圧を下げるタイプや、交感神経を抑えて血圧を下げるタイプ、いくつか種類があるんですけれども、謙信の場合にはまずは血管を広げるカルシウム拮抗剤から始めまして薬を増やしていくことになるかと思います。あと高血圧の治療としますと、血管をしなやかにするために適度な運動療法が必要なんですけれども、戦国時代ですから鷹狩りとか乗馬、こういった運動については申し分ないと思います。運動指導はしませんけれども、雪に埋もれる新潟を考えますと、ちょっと冬場は屋内でできるような運動をしていただくしかないかなと思います。

――確かに馬に乗るにしても体力を使いますし、そのあたりは心配ないけれども、冬は運動不足になったんじゃないかということですね。もし謙信の血圧コントロールがうまくできていたら歴史はどうなっていたと思われますか。

早川: 謙信が自ら天下を取れたかどうかは分からないんですけれども、晩年に武田信玄は息子の勝頼に「自分が死んだあとは謙信を頼れ」ということを言っていました。そうすると武田・上杉・北条の連合ができていったかもしれません。そうすると信長・秀吉の天下統一も相当遅れたと思います。

――上杉謙信といえば武田信玄なんですが、武田信玄はどうなったんですか?

早川: 彼も上杉謙信と何度も川中島で戦いまして、随分エネルギーを使ってしまったわけなんですけれども、晩年には上杉と和睦をしまして上洛を心がけました。ただ上洛の途中に53歳で亡くなっております。その死因は胃がん、もしくは食道がんのような悪性腫瘍、あるいは結核のような慢性の消耗性疾患ではないかといわれています。この二人がもっと早くに和睦をしまして、連合軍を組んで信長と戦っていれば、さすがの信長も勝てなかったかもしれない、と思います。

【放送】
2022/05/11 マイあさ! 健康ライフ「歴史上の人物の病気を診る ③」 早川智さん(日本大学医学部 教授)

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