11時台を聴く
24/06/23まで

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しまだかのさん(小学3年生・東京都)からの質問に、「心と体」の篠原菊紀先生が答えます。(司会・柘植恵水アナウンサー)

【出演者】
篠原先生:篠原菊紀先生(公立諏訪東京理科大学教授)
田中先生:田中康平先生(筑波大学生命環境系助教)
福田先生:福田寛之先生(気象予報士)
かのさん:質問者


――お名前を教えてください。

かのさん:
かのです。

――どんな質問ですか?

かのさん:
心で考えるにはことばが必要だけど、ことばが生まれる前にはどうやって人間はものを考えていたのですか?

――わぁ……。今、スタジオの福田先生と田中先生からも、お~っという声が上がりましたよ。かのさん、すごいですね。どういうときにそんなふうに思ったの?

かのさん:
何かビデオで……そういうことばって、誰がどうやって作ったの、みたいな。

――それで不思議に思ったんですねぇ。では「心と体」の篠原先生に教えていただきます。篠原先生、お願いします。

篠原先生:
はい。しまだかのさん、こんにちは。

かのさん:
こんにちは。

篠原先生:
すばらしい質問ですね。ことばと考えることの関係についての結構難しい質問というか、たぶん正解がない質問だというふうには思います。ただ確かに、かのさんが言うように、人が心の中で考えるときには、ことばを使っているなと感じられることは多いですよね。例えば「きょうは気持ちのいい天気だなぁ」とか、「○○ちゃんがああ言ったのは、こんな理由からかなぁ」とか、ことばで考えているというか、考えをことばでたどることができますよね。

かのさん:
はい。

篠原先生:
かのさんはそういうことに気がついて、ことばで考えているのはわかるけど、もしこれがなかったとき、なかった時代にはどんなふうに考えていたのかというふうに考えたんですね。

かのさん:
はい。

篠原先生:
実際に、今みたいにことばでいろいろ考えてもらっているときの脳を調べると、ことばを話すことに関係する「ブローカ野」という場所とか、ことばを聞くことに関係する「ウェルニッケ野」という場所とか、それをつなぐ神経繊維の束みたいなところが実際活動しているんですね。だから頭の中で考えているときでもことばは使っているんだろうなということは、かのさんが言うとおり、確かにそのとおりだろうと思います。ところで、かのさんに質問なんだけど、最近どこかに遊びに行きましたか?

かのさん:
はい。

篠原先生:
どこに行きました?

かのさん:
……。

篠原先生:
遊園地みたいなところとか、遊びに行ったりしたことはありますか?

かのさん:
はい。

篠原先生:
例えばその遊園地に行ったときのことを、今、思い出したりできますよね。それは、遊園地に行ったときのことを思い出している、考えているという言い方もできるのかもしれない。それは、遊園地に遊びに行っているときのことを、あのときこういう遊園地に行ってこんな観覧車に乗って……と、ことばで表すこともできるけど、たぶん遊園地に行ったときの場面というか映像というか、そういうのが頭に浮かんでいるということではないですか?

――かのさん、風景とか乗り物の様子とかが映像みたいな感じで頭の中にふわぁっと出てくる感じ、あるかな?

かのさん:
……はい。

――うんうん。こんな感じだったなぁ、っていうね。

篠原先生:
そうですね。例えば何か乗り物に乗ったりしたら、そのときのドキドキした感じとかが思い出されるんじゃないかと思います。こういうのも、頭の中で考えていると言えば考えているということになるんじゃないかと思います。そういうときの脳を調べてみると、見ることに関係する場所で頭の後ろのほうの「後頭葉」だとか、空間的・映像的なイメージに関係する「頭頂連合野」とか「前頭前野」が結構活動しているんです。ことばに関係するところが活動していなくても他の脳の場所が活動することで、「考えている」と言えなくもないことというのは結構出てくるんだろうと思います。あるいは、かのさん、ぼんやりするときってあるよね。

かのさん:
はい。

篠原先生:
そういうときは、ことばで考えているとはなかなか言いにくいと思うんだけど、実際に脳の活動を調べてみると、あっちこっちつなぐ神経のつながりとかは結構活動はしていたりするんだよね。それで急に何かを思いついたり。思いつく前の考えをことばで表現することは難しいけど、これもやっぱり考えていたと言えば考えていたということになるんじゃないかというふうには思うけどね。

かのさん:
はい。

篠原先生:
だからことばが生まれる前というか、ことばが使えるようになる前とかは、あるいはことばに関係するブローカ野がはっきりできてくる前には、例えば感情に近いものとか感覚に近いものとか視覚的なイメージに近いものとか、そういうものを使って考えていたんじゃないか。そういう考え方をする人もいます。

あるいは、そもそもことばじゃなくて神経どうしのつながりをあれこれ使ったり変えたり、そこに一種の、「条件付け」というんだけど、こんなときだとこうなってああいうときだとこうなるという分かれ道みたいなものがあるのだとすれば、もうそれは考えていると思ってもいいんじゃないか、という考え方もあったりします。動物だって、ことばは使えないけどことばではないコミュニケーションを取ったりしている。それもまぁ、考えていると言えるんじゃないか。ところで、かのさんは動物を飼ったりしたことはありますか?

かのさん:
ありません。

篠原先生:
動物を飼っている人だと、その動物は考えていると、大体ほぼ確信を持っていると思うんです。つまり、こういうことをしたらこういうふうにするし、こうしたら違うことをしたというふうに、それはもう、頭の中で何か場合分けをしながら考えていると思っていいんじゃないかということだろうと思います。赤ちゃんなんか、まだことばを使う前でも、脳の中でいろいろなつながりに関係するような部分を活動させたり、つながりを作り直している。ことばを使わない動物もそうです。だからこれが、考えるということの大本なんだ、と。

例えばきょうは「恐竜」の先生もいるけれども、恐竜は考えているかどうかというのは、そんなのは当たり前だという話になるだろうし、トンボも考えているしミミズも考えているし毛虫も考えているだろう。ただその考えているというのが、僕らの感覚でどんな状態なのかというのは、残念ながらずばり言い当てることはできないんだろうと思います。今もことばを使わないで考えることはできるんだけど、ことばが生まれる前の人間の思考というのは、脳の中でつながりを作ったり組み直したりして、そういうことで考えていく。ことばじゃなくてイメージとか感覚とか感情とか、あれこれ使って考えていたんじゃないかなというふうには、考えられるんじゃないかと思います。かのさん、よろしいでしょうか?

かのさん:
はい。

篠原先生:
本当に哲学的な質問なのでなかなか難しいと思うけど、哲学的ついでに言うと、おじさんの考えではね、少なくとも、寝る動物は考えていると言っていいんじゃないかと思っています。つまり、「寝ていない」という意識もどきの状態があるのが、寝ているという状態のある動物というか生き物なので、その意識もどきがある状態は、「考えている」と言っていいんじゃないかと。
もっと言っちゃうと、本当は細胞が代謝している状況も、考えていると言っていいんじゃないかと言いたいんだけど、それは置いておくとしても、そんなふうに思ったりします。だから、ことばがなかった前の状況から、こういうときはああする、ああいうときはこうするということをやっているということが、考えるということの大本なんじゃないかというふうには思っています。

――田中先生、恐竜はどうなんでしょう。

田中先生:
篠原先生のお話を聞きながら、恐竜もいろいろなところで考えていると思いました。化石研究していても、常に選択を迫られていて「こっちを選んだのか!」みたいなことが結構あります。例えば、卵を大切に抱いた状態で親が化石になった標本があるんですけど、土砂で埋まるような状況で逃げないで卵を守るほうを選んだのかなと、今ちょっと考えていました。そうすると恐竜も、どっちにしようと考えるタイミングがきっとあったんですよね。そう考えると、恐竜もいろいろなことを考えながら選択して、というのがあるんだろうなと思いました。

――かのさん、どうでしょう。わかりましたか?

かのさん:
はい。

篠原先生:
私たちもすごくよくわからないことを言っていると思っているので(笑)、こんなこともあったかなーぐらいに思って抱えていってもらえればいいのかなとは思います。
ただ1個付け加えると、考えるということが高度になっていくというか、すごく難しいことを考えていくためにはやっぱりことばは必要だし、前頭前野というおでこの辺りの脳が結構発達してきて、ああいうときはこうしてこうして……ということが簡単にできるようにならないと、難しい考え方はできないというところはわかってもらえたらいいかなとは思います。

――かのさん、大丈夫でしょうか、わかりましたか?

かのさん:
はい。

――しっかり聞いてくれてありがとうございました。またぜひ質問してくださいね。さようなら。

かのさん:
さよなら~。

篠原先生:
さよなら~。


【放送】
2024/04/28 「子ども科学電話相談」

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