サラリーマンを経て28歳で落語の世界に入った三遊亭兼好さん。落語だけでなく、雑誌にイラストやエッセイを発表されるなどマルチな活動を続けています。ちょっと変わった兼好さんの人生についてお話をうかがいました。(聞き手:吾妻謙パーソナリティー)
【出演者】
三遊亭兼好さん(落語家)
<プロフィール>
1970年、福島県会津若松市出身。大学卒業後、サラリーマン等を経て、1998年、妻子がいる28歳で三遊亭好楽に入門。前座名「好作」。2002年、二つ目昇進し「好二郎」と改名。2008年、真打に昇進し「兼好」に改名。
――桂宮治さんをはじめサラリーマンから落語家になった方も多いですよね。ずっと落語家になる夢があったのですか?
兼好:
まったく興味がなく『笑点』くらいしか知りませんでした。最初に落語に触れたのは、タウン誌の編集をしていたときに、落語会を主催している焼肉屋さんに「今度、立川談志師匠を呼ぶから、その記事も載せてくれ」と言われて、当日取材に行ったんです。談志師匠も知らず、とりあえず記事は書いたけど、全然落語に興味がわきませんでしたね。
――そこまで興味がなかったのに、どうして落語家になろうと思ったのですか?
兼好:
築地の魚河岸で、深夜2時からお昼頃まで働いていたんです。仕事が早く終わって、時間をつぶせる場所を探していたら寄席があったんです。それから少しずつ落語が好きになっていきました。
――師匠は三遊亭好楽さんですが、どうやってお弟子さんになったのですか?
兼好:
落語会を主催した焼肉屋さんに相談したら、「好楽さんはどう?」と言われたんです。私の近くに住んでいたので、住所を頼りにスクーターに乗って師匠を探しました。そうしたら好楽師匠が歩いていたので、「弟子にしてください!」とお願いしました。そしたら「どうでもいいからヘルメットを取れ!」って言われました。
――そのとき28歳なんですよね。
兼好:
改めて話を聞いていただけることになって、ご自宅にお邪魔しましたが、年齢のことや、女房、子どもがいることを話すと「難しいね」と断られました。めげずに手紙を出して何回もお願いに行きました。そうしたら「おまえはいいけど、かみさんはどう思ってるの?」と言われ、師匠がその場で私の女房に電話をしたんです。「お宅の旦那が落語家になりたいって言ってるけど、どうする?」って。
――奥さんの返事は?
兼好:
テレビに出ている人から電話がきたもんだから舞い上がっちゃって「よろしくお願いします!」って(笑)。師匠からは「軽いな~」と言われました。
――そして落語の世界に入ったわけですが、どんな修行時代でしたか?
兼好:
はっきりいってサラリーマンの方が大変です。落語家は基本的なことをしつこく言われる感じなので、特にきびしさは感じませんでしたね。