俳優の勝野洋さんに、俳優になったきっかけ、あのドラマのこと、家族で結成した劇団についてうかがいました。(聞き手:武内陶子 パーソナリティー)
【出演者】
勝野洋さん(俳優)
<プロフィール>
1949年、熊本県出身。大学在学中にモデルの仕事を始める。1974年、人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』をきっかけに俳優の世界に。その後も映画、ドラマ、舞台などで活躍中。妻はキャシー中島、次女は俳優の勝野雅奈恵、長男は俳優・手芸家の洋輔。
――大学時代からモデルをされていたんですね。
勝野:
モデルは生活費稼ぎのためだったんです。
――それから現代演劇協会に入団されますが、俳優になろうと思ってたんですか?
勝野:
モデルのアルバイトで、コマーシャルの仕事をやったんです。そのとき、一緒になった役者さんに「おまえ役者になれ!」って言われて、現代演劇協会を紹介され、そこの試験を受けたんです。1年くらいやったら大学に戻ろうと思っていて、役者になる気はなかったんです。
――何になろうと思っていたのですか?
勝野:
祖父が外交官をやっていたので、外国に行きたかったんです。でも、役者を辞めようと思ってたときに『太陽にほえろ!』が決まったんです。オーディションでは、テストを兼ねて、撃たれて死ぬ刑事役を演じました。そのとき、石原裕次郎さんがいたので、死体を演じながらチラチラ見ていたんです。(笑)。そうしたらテキサス刑事としてレギュラーに選ばれたんです。
――当時の石原裕次郎さんって40代ですよね。すごい風格がありましたよね。
勝野:
威圧するような感じでなく、やさしいオーラが出ていましたね。
――テキサス刑事になったので、もう俳優でやっていこうと?
勝野:
マカロニ(萩原健一)もジーパン(松田優作)も1年で殉職したので、僕も1年したら大学に戻ろうと思っていたら2年でした(笑)。
――2年目はどうでしたか?
勝野:
もう、やり遂げることしか頭にありませんでした。
――熊本弁が大変だったそうですね。
勝野:
熊本弁をなおすのが大変でした。長さん(下川辰平)たちに、NHKのアナウンサーが使っているアクセント辞典のことを教えてもらいました。でもアクセント記号の見方がぜんぜんわからなかったんです(笑)。
――モデルにも俳優にもなるつもりはなかったのに、、、
勝野:
出会う人によって変わってきますね
――人生ってそんなものなのかもしれませんね。