歌でハワイ!

23/07/18まで

ごごカフェ

放送日:2023/07/11

#ワールド#音楽#うた♪

午後2時台を聴く
23/07/18まで

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23/07/18まで

アロハ~! 今回のご当地ソングはハワイです。さまざまな角度からハワイを歌った楽曲を合田道人さんに紹介していただきました。(聞き手:武内陶子パーソナリティー)

【出演者】
合田道人さん(作家・音楽プロデューサー)


<プロフィール>
1961年、北海道出身。17歳でシンガーソングライターとしてデビュー。その後、作家、歌手、作詞・作曲家、司会、舞台や放送の構成演出、番組のコメンテーターなど、多方面で活躍中。


合田:
僕がはじめてハワイに行ったのは21歳の時。デビューはしていましたが、まだ大学生でした。ハワイに着いたら時差ボケがひどく、浜辺でぐっすり寝てしまい、日焼けで、1週間ヒリヒリ痛かったのが僕のハワイの思い出です(笑)。

  • 1)想い出のハワイ(都はるみ)

合田:
演歌の都はるみさんが、ハワイアン調の曲をムームーの衣装で歌っていたんですよ。僕はまだ小学校に入る前でした。

――ハワイといえば、今も昔も新婚旅行で人気の場所ですね。

合田:
最近は、新郎新婦だけ、家族だけの結婚式をして、そのままバカンスというケースも多いそうです。そこで、こんな曲はいかがでしょうか。

  • 2)ハネムーン・イン・ハワイ(アン・ルイス)

合田:
ハワイアンソングが日本で大流行したのは戦後のことです。クラブなどで活躍していた大橋節夫とハニーアイランダースや、和田弘とマヒナスターズといったハワイアングループが、レコード界に進出し、それがムードコーラスグループ全盛期につながっていきました。ハワイアンソングを得意としてレコーディングしていたのが石原裕次郎さんです。

  • 3)南国の夜(石原裕次郎)

合田:
ハワイ最大級の文化交流イベント『ホノルル フェスティバル』が今年3月に行われました。このオフィシャルアンバサダーに島谷ひとみさんが就任され、ホノルルの会場でライブも行いました。今回はあの名曲をウクレレバージョンでお聴きください。

  • 4)亜麻色の髪の乙女 ~フルウクレレバージョン~(島谷ひとみ)

合田:
戦時中には「ハワイ海戦」といった軍国歌謡が歌われていましたが、1945年の終戦から約2年で、日本はハワイの地を「憧れ」という表現で歌いました。ハワイといえばやはりこの歌ですね。

  • 5)憧れのハワイ航路(岡晴夫)

合田:
「憧れのハワイ航路」の次は、船から飛行機へ。エアメールがテーマになっています。この曲は「第2回紅白歌合戦」で歌われました。

  • 6)ハワイ航空便(宇都美清)

合田:
ハワイを舞台にしたディズニーのアニメ映画『リロ&スティッチ』の続編『スティッチ!ザ・ムービー』の主題歌を最後に紹介しましょう。

  • 7)アロハ・エ・コモ・マイ(山寺宏一、荒牧陽子)

――いろいろなハワイの曲があるんですね。きょうはありがとうございました。

合田:
久しぶりにハワイに行きたくなりました。

童謡の謎

青い眼の人形(本居みどり)

合田:
この童謡は、1921年(大正10年)に発表されました。この歌に歌われている青い眼の人形は、当時、日本の子どもたちに人気があった赤ちゃんの姿をしたセルロイド製の人形です。
1923年に関東大震災が起こり、アメリカから物資や義援金が届けられます。そのお礼にハワイやアメリカ本土に渡って活動したのが「芸術使節団」です。その使節団の中に、この曲の作曲者、本居長世(もとおり・ながよ)と、この歌をレコーディングした本居みどりがいました。彼らは行く先々で歓迎を受け、アメリカでも人気者になりました。1927年(昭和2年)のひな祭りには、アメリカから約12,000体の青い眼の人形が日本の子どもたちに送られ、お礼として58体の日本人形がアメリカに送られました。
しかし、時代は戦争へ。アメリカから送られた友情の人形は、敵国の象徴として処分の命令がくだされ、ほとんどの人形は火の中に投げ込まれました。しかし、戦後20年ほど経ち、隠されていた青い眼の人形が全国各地で見つかったんです。この歌は平和を願う子どもたちの大切な童謡です。いつまでも歌い続けてほしいものです。


【放送】
2023/07/11 「ごごカフェ」

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23/07/18まで

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