来年画業50周年を迎えるわたせせいぞうさんをお迎えして、漫画家を目指すきっかけとなったエピソードや『ハートカクテル』の制作秘話。そして、わたせさんにとっての「絵になる景色」についてもうかがいました。(聞き手:武内陶子パーソナリティー)
【出演者】
わたせせいぞうさん(イラストレーター・漫画家)
<プロフィール>
1945年、兵庫県神戸市生まれ。間もなく福岡県北九州市に移り住む。大学卒業後、損害保険会社に就職。会社勤めのかたわらコミック作家としての活動をスタート。1983年、青年漫画雑誌で連載した『ハートカクテル』が大ヒット。来年は画業50周年。日本を代表するイラストレーター・漫画家として活動を続けている。
――漫画家を志そうと思ったきっかけは?
わたせ:
もともと漫画家になろうとは思っていなかったんですよ。ただ、小さい時から絵を描くことが好きでした。画家を目指していた父が絵の家庭教師をつけてくれて、絵をかく基礎となる観察することや遠近法を学びました。でも、高校では美術部には入らず書道部に入ったんです。そのころは新聞記者にあこがれていて、文章を書くことに興味があったんです。大学でも小説の同人誌をつくっていました。
――どのタイミングで漫画家になろうと思われたのですか?
わたせ:
大学を出て損害保険会社に就職したんですが、どこかで「モノを作る世界」にあこがれていたんです。入社3年目くらいのときに、作家の永井路子さんの講演に行き、10分ほど直接お話しできる機会があって、擬人化されたネコの4コマ漫画をお見せしたんです。すると先生が「わたせさんは、漫画家になりたいのね」と言われ、そこから漫画家への扉がパッと開いたんです。でも、「漫画家は、なまはんかな気持ちじゃできない。だから今の仕事を辞めてはダメ。漫画は趣味で描いていきなさい。漫画家一本に道をしぼりたいなら、会社の稼ぎの6倍になってからにしなさい」と言われていました。
――それは大変な覚悟ですね。
わたせ:
永井先生がそんな無茶なハードルを設定してくださったのは、どんな苦しい環境でも描き続けたいという強い意志があるのかどうか、それを確かめるためだったのかなと今は思えますね。その後、永井先生から出版社を紹介していただき、新人賞をとることができました。
――『ハートカクテル』の連載開始から今年で40周年なんですね。おめでとうございます。80年代に、毎回、異なる男女の恋愛の一場面を描いた4ページオールカラーのショートストーリーは、とても豪華な連載でしたね。作品に登場する車や風景、音楽などの世界観は何から影響を受けたのですか?
わたせ:
当時の日本のミュージシャンの多くはアメリカ西海岸の音楽を目指していたということもあって、クリエイターと呼ばれる人たちには西海岸の風が吹いていた時代でした。当時はアメリカ西海岸の文化が日本でブームになり始めてきた頃で、ロスの街中にある看板など、本当にかっこよく、こういうものをバックにした主人公の絵を描きたいなと思っていたんです。
――『ハートカクテル』のストーリーは、わたせさんの実体験がもとになっているのですか?
わたせ:
ふだんの生活のなかで「こんなことがしたい」「こんな服が着たい」「こんな車に乗りたい」というあこがれや願いを『ハートカクテル』に込めて、心のあたたかさを伝えたかったんです。