戦場に行った作家たち②~古山高麗雄~

高橋源一郎と読む 戦争の向こう側2021

放送日:2021/08/13

#文学#読書#戦争

終戦から76年。私たちが当時を知る貴重な手掛かりの1つが、戦争について書かれた文学作品です。番組では、作家・高橋源一郎さんが選んだ作品を通して、「戦争とは何か」を考えます。
司会は源一郎センセイと、詩人の伊藤比呂美さん。
4回目のことしは、「戦場に行った作家たち」がテーマです。
番組後半は、一等兵として中国・東南アジアで従軍した芥川賞作家・古山高麗雄の『白い田圃(たんぼ)』『蟻(あり)の自由』を読み解きます。

【出演者】
高橋:高橋源一郎さん(作家)
伊藤:伊藤比呂美さん(詩人)

『白い田圃』――力なき兵士の”反抗“

高橋: プロフィールをまず紹介します。
古山さんは1920年生まれです。現在の北朝鮮の新義州、いわゆる植民地生まれということになりますね。開業医の息子として生まれました。
22歳で仙台の歩兵部隊に配属され、東南アジアの戦場を一等兵のまま転戦。終戦は25歳、ラオスで迎えますが、戦犯扱いをされてベトナムの刑務所に入って、復員したのは昭和22年、27歳のときです。

ここですぐ書いたのではなくて、長らく雑誌の編集者などをしていましたが、1969年、49歳でデビュー。
たぶん、古山さんはいろいろ話をしたんだろうね。「あんたが書かなきゃダメだ」と言われて、50歳近くになってデビュー。
翌年、『プレオー8(ユイット)の夜明け』で芥川賞を受賞。以降、従軍体験・戦後の暮らしを舞台にした小説・エッセーを数多く残しました。

作品としては『プレオー8…』が最高傑作だと思います。
ただ1つ言うと、僕は「作家で読むべき作品は、最高傑作じゃない」と思っているんですよ。
伊藤: またひねくれたことを。どうして?
高橋: 完璧なものができちゃったら、作家の入る余地がないんだよね。とにかくいろんな問題が入っている。
真剣に書こうと思うけれど、問題が多すぎて「完全にはできなかった…」みたいなほうが、彼にとっての問題が鮮明に出てくる。
伊藤: それは玄人の読み方だよね。
高橋: 玄人でなくても、ダイレクトに伝わるものはこちらのほうが大きい。
伊藤: 確かにダイレクトには伝わるけれど、『プレオー8…』のほうが…。
『プレオー8…』で芥川賞を取っちゃったということは、自分のキャリアの最初に一番いいものを作っちゃったということ?
それは悲しくないですか?
高橋: そこから先は、古山さんは「自分はこれから何を書いていこうか?」というようにして、彼の戦争経験をすべて書き尽くす方向に。
伊藤: なるほど。それを意識してやっていたんですか?
高橋: だと思いますね。ほとんどそれだったから。
じゃあ、『白い田圃』を見ましょうか。

これは簡単に言うと――ビルマ(現ミャンマー)ですね。古山さんが徴兵されて南方に行き、それからずっと戦線を移動していくときのお話。簡単に言うと、そういうことになります。兵士たちは何を考えていたのか。


藪の間から、重機の銃口を覗(のぞ)かせて、弾倉をさし込んで、重機の後ろに小原上等兵が腹這(はらば)いになっていた。一触即発の構えだ。
「ばてれんめ、一巻の終わりだ」と小原は言った。
包囲殲滅(せんめつ)と聞いたが、これで包囲していることになるのだろうか。[…]
私たちと反対の方向から歩兵砲の援護射撃が始まった。林から、煙が立ち上った。包囲とはこういうことだったのか。
「それ、始まった」歩兵砲の、最初の一発が鳴ると、尾形大尉が言った。
「村から逃げ出すやつは、撃て」
何発か歩兵砲弾が撃ち込まれると、そのうちカレン人が、まず最初は男が、ロンジーを翻しながら飛び出した。ずっと右手に、その村から数百メートル離れて、小さな林があった。その林に向かって走って行く。
九二式重機が、タタタと火を噴いた。いったん倒れた男は、すぐ起き上がって再び駆けだした。また重機が鳴り、男は倒れたまま動かなかった。
続いて、幾人かが飛び出したが、右手の林に辿(たど)り着いた者はいなかった。二百メートルから三百メートルというのは、重機の命中率が最も高い距離だという。そのうちに、緑色のロンジーの女が、背丈から判断して、十ぐらいの女の子の手をひいて飛び出した。女の子は、ピンクのロンジーをつけていた。
「あれも撃ちますか」一瞬、小原が逡巡(しゅんじゅん)した。
「撃て、射撃練習じゃ」尾形は言った。
「今度は、自分に撃たせてください」
とっさに私は、重機にしがみついた。小原は私に、おめえ撃つか、と言ってゆずってくれた。私は、目標の三メートルほど後方を狙って撃った。緑とピンクのロンジーは、ときどき転びながら、右手の林に向かって駆けて行った。
大沢が、私の尻を蹴った。
「なんじゃ、おまえ、当たらねえでねえか、この、でこすけ」
大沢は、私の腹の下に靴を入れて、私を重機から引き離した。
「わかんね、おめえじゃ。交替!」
[…]昨日までは、彼らは、歩兵砲弾をぶち込まれて、機関銃を撃たれるなどとは思わなかっただろう。突如、災禍がやって来た。弾のなかを、子供の手をひいて走る母の気持は、どんなものだろう? と私は思った。幾人かが死んだが、殺されたカレン人の肉親の気持は、どんなものなのだろう?


伊藤: ここは印象に残るシーンだった。「親子が、今は助かったけれど、次の瞬間どうなっているんだろう?」みたいな。
映画の『シンドラーのリスト』で「赤い服を着た子がどうなるか?」というのがあるじゃない。あんな感じ。<緑とピンク>というのが残りますよね。
高橋: <ロンジー>というのは、現地の人たちの服です。

これが古山高麗雄さんの小説の特徴ですね。
これは1970年、50歳のときに書いた小説です。これからあとで読んでいくのもそうなんですけれど、古山さんの小説ってマッチョな感じがないんですよね。
伊藤: そうですね。
高橋: 弱々しくて、いつも殴られている。基本的に戦争は嫌なんだよね。
ほかにもよく出てくるんですけれど――捕虜を撃ちますよね。それから、一斉機銃掃射をするときに当てないようにする兵士も実はいっぱいいた。それは、心の中のどこかで「殺せない」と…。
伊藤: 時代というのもありますか? これは(発表されたのが)1970年ですよね。
高橋: ベトナム戦争ですね。ベトナム戦争が悪化していたというか、ベトナム反戦運動が盛り上がった時期。
1975年にベトナム戦争が終わるんです。僕らはよく覚えていますけれど、ベトナム戦争が大きい話題になっていた。古山さんはベトナムにもいて…。
伊藤: 『プレオー8…』(の舞台)がベトナムですもんね。
高橋: 古山さんにとっての「ベトナム戦争」は、そちらなんです。
ところが、60年代後半から70年代にかけて、マスコミはみんな「アメリカとベトナムがやっている戦争がやばい」「日本は関係ない」となった。そんなときに、「私のベトナム戦争」という意識があったんじゃないか――ということなんです。
伊藤: それも絶対あったと思うんですけれど、もう1つ、ベトナムの戦争の前後からアメリカで人権というのが大きくなってくるじゃないですか。人権運動というのが50年代ぐらいから盛り上がって、ベトナム戦争というのにつながっていく。その動きを、古山さんは生きていてずっと感じていたわけでしょう。
ここで書かれている事実――ここで書かれているマッチョじゃない兵隊の姿は、そういう影響を受けて書かれたものだと思う? それとも、実際そうだった?
高橋: 僕はもともとだと思います。
なぜかというと――いろんな理由があったと思いますが――1つは、国家への反抗なんですよ。戦争が始まっていたから。
伊藤: 徴兵拒否みたいな…?
高橋: 「言うことは聞かない」と。悪い人間になることで…。
そういう人間だったけれど、戦争に行っちゃったんだよね。そのとき何ができるか。
伊藤: 徴兵拒否というか、戦争に行くことを拒否することはできない?
高橋: みんな連れていかれるでしょう。その中で何ができるか? 弱い人間ができる抵抗ですよ。
古山高麗雄が強かったら反戦運動をしたかもしれないし、あるいは上官を殴ったかもしれない。
古山さんができることは、行って、照準を外す。このほんのちょっとしたこと。
こういうことを書き続けたというのが古山さんの特徴。

「何だ、きちんとした抵抗できないんじゃないのか」というのは、今の視点。時代が変わって環境も変わっていると「何だ。大したことないな」となるけれど、この時代のこの環境で軍隊の中でこれをやるって、「ずっと正気でいる」ということなんだよね。
伊藤: なるほど。なかなか難しいことなんですね。

『蟻の自由』――大局に抗う精神

高橋: 続いての作品を紹介したいと思います。これも傑作なんですけれど、『蟻の自由』という作品です。
これは1971年、51歳のときに発表された。続けて書いているんだよね。『プレオー8…』から立て続けに彼が書きたかったものを、戦争が終わって25年たって、あふれるように…。
伊藤: どんどん思い出してきたような。

高橋源一郎さん

高橋:
これはちょっと変わった構成で、途中まで気がつかないんですが、まず兵隊が1人用の塹壕(ざんごう)、タコツボの中で、「佑子」という女性に手紙を書いている体なんです。
これが「死んだ妹」とは、あとにならないとわからないんです。実際に古山さんには肺結核で亡くなった妹さんがいたんです。
ちょっとファンタジーみたい。しかも「紙がないので葉っぱに書いている」みたいなことを言っているんですが、そのときの古山さんの心境が一番鮮明に表れているんじゃないかと思います。


今朝、小峯一等兵が、迫撃砲弾をくらって死にました。[…]
小峯は、傷口からも口からも、血をどくどく流しながら死んで行きました。ものも言えず、目を虚(うつ)ろに開いたままで。
僕は、小峯と一緒に慰安所に行ったことを思い出します。[…]
「俺たち、どうせ死ぬだろ。俺、まだ女、知らないんだよ。女知らないで死ぬの、死にきれないよう。な、だから一緒に行ってくれよ。俺、一人じゃ行けないんだよ」
[…]
「どうせ死ぬなら、女を知ったって知らなくたって、すぐなにもかもなくなっちゃうじゃないか」
と僕が言うと、
「きみは、散々遊んで来たから、そんなことが言えるんだ。俺は、そうはいかん」
と小峯は言いました。
[…]
そう言って僕たちは、連絡所の近くにあった慰安所に行ったのです。慰安婦は台湾人でした。部屋の隅に、水を張った洗面器が置いてあって、使用済の突撃一番(軍隊で配給するサック)がいくつか浮かんでいました。[…]
僕が料金を渡すと、素早く薄い生地のズボンを脱いで、寝台に横たわりました。
「あのね、私、今日、しない」
と僕が言うと、彼女は上半身を起こして、
「どして」
と言いました。
「今日ね、友達する、私、しない」
「どして」
「どしても。ごめんね」
と僕が言うと、
「あなた、病気ですか」
「そう、病気です。私、病気でここに来る、上等ないね、ごめんなさい」
と僕が言うと、彼女は、
「病気なおったら、またいらっしゃいね」
と言いました。
その後、小峯は、一人で慰安所に行けるようになって[…]、二度と僕に、一緒に行ってくれ、とは言いませんでした。僕は、散々遊んで来たからではなくて、たぶん、自分も死ぬと決めているからでしょう、慰安所に行く気になれません。[…]
よく兵隊は、自分たちを虫けらみたいだと自嘲します。[…]ただ兵隊が自分たちのことを虫けらみたいだと言うとき、兵隊たちは、愚弄されながら死んでしまうのだという気持で自嘲するわけです。僕は、兵隊は、小さくて、軽くて、すぐ突拍子もなく遠い所に連れて行かれてしまって、帰ろうにも帰れなくなってしまう感じから虫けらみたいだと思います。
少年のころ僕は、家の庭を這(は)っていた蟻を一匹つかまえて、目薬の瓶に入れて、学校に持って行って放したことがあるのです。そして僕は、蟻の、おそらく蟻にとっては気が遠くなるほどの長い旅を空想しました。
今の僕は、あの蟻に似ているような気がするのです。
兵隊と慰安婦の出合いなど、蟻と蟻との出合いほどにしか感じられないのだ。また、僕と小峯との結びつきにしても、たまたま同じ目薬の瓶に封じ込まれた二匹の蟻のようなものではありませんか。
(僕は、小峯に友情を持っているとは言えません。)


伊藤: ここのところが一番来ますよね。
<「私、今日、しない」>という、あの話し方。あれって、現地のことばで話しているでしょう。わざと台湾人の慰安婦向けの簡単な日本語ではなくて。それがおもしろかったんですよ。
林芙美子との違いって、そこが一番大きいような気がする。
高橋: 林芙美子と同じ慰安婦を描いたところなんですけれど、こちらのほうが深く、正確な感じがするよね。
伊藤: 私もそう思う。なぜでしょう?
高橋: 林芙美子が『戦線』で従軍作家していたときは、もう「作家」ではなかったような気がする。「作家」というよりも「応援団」。ドキュメンタリーを書く。
古山さんの中には優れた作家のコアの部分がずっと生き残っていた。

あともう1つ、タイトルが『蟻の自由』。僕はすごいタイトルだと思う。
小説の中にも書いてあるけれど――目薬の瓶に入れられて運ばれる。どこかに置かれる。アリは人間にとって小さなものだから、勝手にどこかへ連れていかれて、放置される。
「そんな小さいものにも自由はあるんじゃないのか」というのがさく裂している感じがする。

伊藤比呂美さん

伊藤:
私は昔――80年代の初めかな――ポーランドにしばらく住んでいたんですよ。ポーランドの日本人社会にいたんです。そこでも、学者や学者志望でないかぎり、現場のことばは覚えないですよ。
ピアノの子(留学生)がいっぱいいたけれど、そういう子は覚える。でも、大人の会社員として向こうに行ったら、必要ないわけ。日本語と英語でなんとかなっちゃうから。
そうすると、現地の社会を日本人社会が下に見るんですよ。

林芙美子は軍のお金と力でいろいろと連れて回された。それって、日本人社会がそのまま行った…わかる?

高橋: 林芙美子には通訳がずっとついているんだよね。
伊藤: そうなの。
高橋: 古山さんは、自分のことばでコミュニケーション。
敵で、占領者なのに、そういう態度をするというのが古山さんにとっては最大の反抗だったんだろう。
伊藤: 人間の一番基本の人と人とのコミュニケーションを、こちらのほうが、少なくとも取ろうとはしていた――みたいなところですよね。

「今」の私たちは果たして...?

高橋: いろいろ考えさせられちゃうよね。
伊藤: 私、戦争というのがものすごく「今」なの。今につながっているような気がする。
4年前は全然感じていなかったんだけれど、1年、2年、3年、4年…とやっていくと、「今」なのよね。
高橋: それがこういう番組をやっている一番の意味だと思うんだよね。

「戦争というのはいつもあるよ」という抽象的な言い方があるけれど、こうやって1つ1つ作品を紹介して今に当てはめてみると――「これ、今じゃないか?」というのを毎年やっていると――「常在戦場」というと変な言い方だけど、常に(戦争が)ある。
『蟻の自由』なんて、本当にそうだなと思う。「そこから逃れられている人間が、どこかにいるだろうか?」と考えると、なかなかいないよね。
伊藤: 古山さんなんて、最初読んだときに実は「ショボい…」と思ったんです。
『プレオー8…』はすごかったんだけど、ほかのやつは「ショボい…」と思ったの。
だけど、読んでいくと「今」に一番ツーッと来るの。
彼は昔のことを書いていたし、書いていたそのときだって昔なんだけれど…何なんだろう、この「今」に来る感覚?
高橋: たぶんそれは、戦争が来ているのか、あるいは今が戦争なのか――ということなのかもしれないですね。
伊藤: それもあるかもしれない。今の状態がどこにも行けないし、郵便だって外国に出しにくくなっている。
「いちいち戦時と似ているな」と。
高橋: 「始まったら応援しよう」とか、一緒だよね。
伊藤: 社会的な状況もそうだし。

【放送】
2021/08/13 高橋源一郎と読む“戦争の向こう側”2021


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