デビュー50年! 実はアイドル歌手としてデビューした吉幾三さん。 千昌夫さんとの運命の出会い、大ヒット曲誕生秘話を語る!

23/10/04まで
ふんわり
放送日:2023/09/27
#インタビュー#音楽#なつかしの名曲
<ふんわり>は、毎週月曜日から金曜日<NHKラジオ第1>8時30分~11時50分で放送中♪
パーソナリティの温かいトークがリスナーの生活をふんわりと包み込むような番組です。
水曜パーソナリティは、歌手の伍代夏子さんです。
放送後1週間は、「らじる★らじる」の聴き逃しサービスでもお楽しみいただけます!
【吉幾三さんが千昌夫さんとの出会い、大ヒット曲の誕生秘話を語る!】
今年デビュー50年。実はアイドル歌手としてデビューした吉幾三さんが、千昌夫さんとの運命の出会いや、大ヒット曲「雪國」の誕生秘話などを伺いました。
【出演者】
吉:吉幾三さん(歌手)
伍代:伍代夏子さん(歌手)
稲垣:稲垣秀人アナウンサー
千昌夫さんの強引な推し! 「♪離村者」が「♪俺ら東京さ行ぐだ」のヒットに・・・
吉:
「俺はぜったい!プレスリー」(1978年)で終わりだろうと、思っていましたから、一発でね。それから7年後ですからね、「俺ら東京さ行ぐだ」(1985年)は。
伍代:
7年後ですか! その後のヒットメーカー「吉幾三」を導いてくれたのは、千昌夫さん・・・
吉:
そう、そう。千昌夫さんが「俺はぜったい!プレスリー」を聴いて、「『吉幾三』っていうやつに会ってみたい」と電話かかってくるんですけれど、当時、私、千さんより忙しかったので、この歌で(笑)。それで、やっとお会いして。そうしたら、千さんが「いや、君が、吉幾三くんか。どうしてこんな歌、作ったんだ?」っていう話でね。で、新沼謙治さんの話とか、東北の話をして。千さんが「オレも、東北の言葉で歌っているけれど、おまえのほうが、もっとヒドイね!」っていう話をして(笑)。
伍代・稲垣:
(笑)。
吉:
それで、二人でのんで、意気投合して、そこで初めて、千さんとの関係が始まって。「君の頭の中は、どうなっているんだ?『頭にどんなものが入っているか』ということが、君もわからないだろう?」って言われて。「いや、ボクもわかんないっす。もう、コレでいいんですよ、ぼくは。とにかく売れれば。なんとか『NHKの紅白歌合戦にも出る!』と思って作った歌ですから!」って。(でも千さんが)「これじゃ、出られねぇよ!」って・・・。
伍代・稲垣:
(爆笑)
吉:
「そうですか」という話でね、千さんとの出会いがあったんですけれども。で、千さんの家に行って、結局、のむハメになってですね。そこで、千さんに「なにか、別の歌はないか?」と聞かれて。それが、その「おどう」って歌だったんですけれども。
稲垣:
吉さんが作られた、ストックしていた楽曲の中に「おどう」があったんですね?
吉:
これが、タイトルだけ「おどう」で、歌は「津軽平野」(1984年に発売された千昌夫さんのヒット曲。作詞・作曲、吉幾三)なんですよ。そうして、ぼくがそれを歌ったら、途中からね、千さんがちょっと“ポロッ”としたんですよ。それで、私も途中で歌うのをやめて、「どうしたんですか?」って聞いたら、千さんが「うちの親を小さい頃にね、交通事故で亡くしたんだ。それを思い出した」と言われて。ぼくが「あー、そうなんですか・・・」と。千さんが「この後、ちょっと聞かしてくれよ・・・」っつうから、ぼくが「その後、聞くんだったら、金、払ってくれませんか?」と。
伍代・稲垣:
あっはっはっはっは!(爆笑)
吉:
本当ですよ。(ぼくが)ジョークで言ったら、千さんが「お金、払うから聞かせろよ!」みたいな。「のめよ! 帰りのタクシー代、出すから」って言われたから、ぼくが「あーそうですか」ってことで聞かせて。その後、悲しい歌ばっかりじゃなくて、おもしろい歌もね。歌った歌が「離村者(りそんしゃ)」っていう。村を離れる者。これが、タイトルだけ変わって、歌はそのままなんですけれど「俺ら東京さ行ぐだ」なんですよ!
稲垣:
あ~!
吉:
それで千さんが「『津軽平野』をオレに歌わせてくれ」と。「歌わせてくれ」なんて、とんでもない話でね、当時は。「えー⁉ (千さんが)歌ってくれるんですか?」と。それで、千さんが「君の、その『離村者』=『俺ら東京さ行ぐだ』を、君、レコードを出せ。ぼくが、お金出してあげるから」と。ぼくが「いやいや、もういいですよ。もう『俺はぜったい!プレスリー』の一曲でいいですよ。紅白からも話が来ないし・・・」という話になって。でも千さんが、「いや、出せ。これはおもしろい!」と。でもぼくが「この歌でも、紅白には出られないでしょう?」という話になってですね。ということで、「津軽平野」を千さんが歌って、ぼくが「俺ら東京さ行ぐだ」を歌って。「津軽平野」もヒットして、「俺ら東京さ行ぐだ」も、そこそこ、ヒットさせていただいた、ということなんですけどね。
伍代:
もう、まったく性質の違う歌ですよね!
千昌夫さんとのケンカの末に生まれた、大ヒット曲「雪國」
伍代:
吉さんの代表曲といえば「雪國」(1986年)ですけれど、これは「自分で歌おう」と思って作った?
吉:
うん、ちょうどね、NHK大河ドラマ(「いのち」)と同じ時期だったんですよ。だから、全く歌のプロモートができなくって。大河ドラマは「5回か6回(の出演で)」という話で、橋田壽賀子先生から言われて。で、本当にあの先生、強引なんですよね。何十回も、おれを引っ張ってくるんですよ! 7ページくらい、おれがしゃべらなきゃいけないところがあって。
伍代:
あら~!
吉:
で、歌どころじゃないんですよ。他に、民放のドラマもやっていましたから。それで、この「雪國」を出すにあたって、プロデューサーである千昌夫さんに「これを出したいんだ」って言ったんだけど、NHKの仕事が来ちゃっているから。「でも、演歌をやりたいんだ!」と言ったら、千さんがものすごく怒って。「今まで、吉くんは、おもしろい曲で来たのに、いきなり正統派の演歌。これは売れない。そんな簡単なもんじゃないんだ!」という話から始まって・・・。 初めて、ぼく、千さんにね「いや、これでいきます。いかせてください。絶対にヒットしますから!」と言ったら、千さんに「なに言ってんだ、おまえ!」って言われて、ちょっと口げんかになって。
伍代:
え~?
吉:
千さんが「この歌が、売れなかったら、じゃあどうすんだ?」と言うので、ぼくが「この歌、売れなかったら、今まで、いっぱい書いた曲があるんで、千さんが『この歌を出しなさい』といった歌を出します。あなたのしもべになって、一生懸命、働きます!」と。その時は、もう千さんにビッタリくっついていこう、と思っていたので。(千さん)お金があったんでね(笑)。
伍代・稲垣:
あはははは!(爆笑)
吉:
何の話をしてんだよ(笑)。そういう話をして、それで「千さんに、ついていく」って言ったら、千さんが「わかった。オレは売れないと思うよ。もし売れたらね、原宿を逆立ちして歩いてやるよ!」と言うので。ぼくは「わかりました。じゃあ失礼します」と言って・・・。そうしたら、「雪國」、売れたんだよ。
伍代:
うん、売れた!
吉:
売れたらね、千さんと、六本木のバーで会ったら、いきなりぼくをぐっと抱きしめて。要するに、芸能界で「一枚看板」ね。「これでお前は看板になれる!」と。そんな話よりも、ぼくは千さんに「『(雪國は)売れない』って言ったじゃないですか?」って言ったら、千さんが「いや、オレは売れると思ってね、おまえにプレッシャーをかけたんだよ!」って。
伍代・稲垣:
あはははは!
吉:
おれ、そのときに初めて知ったのは、「人間の口」ってのは、本当に何でもしゃべれるんだな、と。その時に初めて、千さんからね、口のうまさ? 口ってこうなんだな、と。
伍代:
でもね、結果、大ヒットですから!!
稲垣:
結果、千さんは、逆立ちして、原宿を歩かれたのですか?
吉:
え~っと、一回も見たことはありません(笑)。
伍代:
千さん、逆立ち、できないでしょう?
吉:
できないし、今、鳥を連れて歩いていますからね(笑)。
でも、これで、千さんからはいろんな影響を与えられて。それから、なんだかんだ言わなくなりましたね、曲に関して。
稲垣:
やっぱり、千さんのサポートもあって、世に出て。ただその中で、千さんと正面から真剣にぶつかりあって、新しいものが生まれた、っていう。では、その「雪國」をお聴かせいただきたいと思います。曲の紹介をお願いします。
吉:
暑いけれど、聴いてください。「雪國」。
♪「雪國」(吉幾三)
続きは9時台「聴き逃し」で♪
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