【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん
2022年10月16日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「あっぱれ!律儀な武将たち」。
戦国の世といえば、人と交わした約束などなんのその、裏切りだってあたりまえ。そんな時代に誠実で義理堅い態度を崩さなかった律儀な武将の生きざまとは?
ご紹介するのは、滅亡目前の主君の元へ駆けつけた一人の武将です。
その主君とは武田信玄の息子、勝頼。
武田家といえば信玄の頃は天下にその名をとどろかせましたが、息子の武田勝頼の代に織田信長との「長篠の戦い」で敗れた後は、家臣が次々に寝返っていきます。
そんな中、他の家来と逆に武田勝頼の元へはせ参じたのが、小宮山友晴(こみやまともはる)という武将です。
この小宮山友晴、武田勝頼から重く用いられるどころか、逆に疎んじられ遠ざけられていた人物。
1575年の「長篠の戦い」で武田軍が大負けしたとき、小宮山友晴は腰の引けた戦いぶりの重臣を激しく批判。
これがきっかけでざん言され、ちっ居処分が下されていました。
そんな小宮山友晴、最後は家臣としての役割を全うしようと、武田勝頼の元へ駆けつけたのでした。
1582年、織田信長による武田攻めが始まります。
その激しい攻撃に追い詰められた武田勝頼。
信頼する家臣を頼って落ちのびますが、そこで直面したのは、さらなる寝返り。
かつて天下に敵なしと恐れられ数万の兵を動かした武田家でしたが、今や勝頼に付き従うのは、わずか40名余り。
一行は天目山=今の山梨県甲州市で、進退窮まっていました。
そんな武田勝頼の元へ駆けつけたのが、小宮山友晴です。
「譜代であるにもかかわらず武田の最後の戦いに臨まぬとは、末代までの恥」
それを聞いた武田勝頼、涙を流して、ちっ居処分を解きました。
織田の軍勢が迫ってきたのは、その直後。
小宮山友晴は敵の大軍を引き受けて孤軍奮闘、武田家の最後に殉じたのでした。