【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2021年1月31日(日)放送の<DJ日本史>は、シリーズ企画『これで日本が出来ました!』をお届けしました。取り上げたのは、江戸時代の幕藩体制。この幕藩体制、実はかなりユニークな政治体制で藩にはかなり広い裁量が与えられていたため、各殿様は思い思いに政治手腕を発揮。その結果、それぞれの地域に独自の文化、産業が生まれました。幕藩体制で何がもたらされ、現代へとつながっているのでしょうか?

江戸時代の幕藩体制の下では、各藩にそれぞれ強い権限が与えられていました。

なぜ幕府は広い裁量を各藩に与えたのでしょうか?
そもそも幕府からしてみれば、強い力でそれぞれの藩を抑えつけておきたい、という気持ちが起きても当然では?

実際、江戸時代の前には、地域の大名を強い力でがっちり統制しようとした人物もいました。
たとえば、豊臣秀吉がそう。

秀吉は中央集権を進めようとして各地の大名の内政にしばしば口出ししますが、このやり方は強い摩擦を生みます。
そんな中で、徳川家康は違った統治の仕方を求めていくわけです。

豊臣秀吉と徳川家康、統治の方法の違いとは?


豊臣秀吉は各大名の家来に対し、その大名を飛び越して直接指示することがありました。
また、大名の家臣の中に気に入った者がいれば、引き抜いて自分の直属の家来にしようとしたこともしばしば。
さらに、大名の領地の中にある政治・経済上重要な場所は秀吉自身の直轄地として召し上げ。

こうして豊臣秀吉は各大名の内政に強く干渉していくのですが、このやり方はたびたびトラブルを招きました。
例えば薩摩では、秀吉お気に入りの島津家の家臣、伊集院忠棟(いじゅういんただむね)が島津家の当主に殺される事件も起きています。

こうしたトラブルが起きるたび頼りにされたのが、秀吉政権の中で一目置かれるポジションにあった徳川家康。
争いの仲裁に入るうち、各大名の立場に理解を示してくれる人物として信頼を集めていくのです。
中央集権化を進める石田三成らに対抗できる存在と見なされていくわけですね。

実際、徳川家康は関ヶ原の戦いが終わると秀吉の直轄地を順次解消。
各大名の内政には介入しない仕組みを整え、江戸時代の幕藩体制が完成していくことになるのです。

松村邦洋・堀口茉純  幕藩体制について語る!
※下記の再生ボタンからお聞きいただけます(2021年4月26日まで)。

DJ日本史「これで日本が出来ました!」 おわり