【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2024年4月28日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「あの偉人のナイスバディ」。
誰もがその名を知る歴史上の偉人も、一人で大きな物事は成し遂げられません。いつも寄り添いともに動いてくれる相棒に支えられてはじめて英雄が輝くこともありました。友であり、仲間であり、同士でもあった、一心同体のナイスバディ。その存在の大きさとは?

ご紹介するのは日本の近代文学に大きな足跡を残した二人組、正岡子規(まさおかしき)夏目漱石(なつめそうせき)です。

学生時代からとても仲がよかったこの二人、それぞれ相手に啓発され偉大な文学者に成長していきました。日本の近代文学の土台を築いたこの二人、その関係は?


まず、夏目漱石の側から見ていきましょう。

文学ファンにとって「漱石」と言うペンネームは、ずーんと重い響きを持つ格別な二文字ですよね。
実はこの「漱石」というペンネーム、もともとは正岡子規が使っていたペンネームの一つでした。夏目は友情の証しにこの名をもらい受け、以降「夏目漱石」と名乗るようになったのです。

では、正岡子規は夏目漱石からどんな影響を受けたか?
正岡子規と聞いて思い浮かぶのは、この句ですよね。

柿くへば  鐘が鳴るなり  法隆寺

実は正岡子規のこの句は、夏目漱石の影響を受けて生まれたもののようだ、と言われています。

明治28年8月、当時肺結核を患っていた正岡子規は愛媛の松山で教師をする夏目漱石の下宿に招かれ療養生活に入ります。二人の共同生活は52日間。
この間子規は地元の俳人らと毎日のように句会を開き、漱石が作った俳句を添削したりしています。
この時期、夏目漱石が詠んだ俳句が新聞に掲載されました。

鐘つけば  銀杏(いちょう)散るなり  建長寺

どうでしょう、あの子規の句に似ていると思いませんか?
実は正岡子規があの「柿くへば」の句を詠んだのは、この直後のことでした。
病状が少し回復した子規は漱石の元を離れて東京に戻るのですが、その途中、漱石から借りたお金で奈良を周遊。そのときに詠んだのが、あの句だったのです。

柿くへば  鐘が鳴るなり  法隆寺

これを詠んだとき、正岡子規の脳裏には無二の親友・夏目漱石の姿が浮かんでいたのではないでしょうか。

DJ日本史「あの偉人のナイスバディ」①

DJ日本史「あの偉人のナイスバディ」②