【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん
2023年10月1日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「あの偉人の、一見おかしなマイルール」。
歴史上の偉人の中には、「えっ、なんで?」と思ってしまうちょっと変わった決まりをかたくなに守った人物がいましたが、その人なりの事情があったり、時代背景も影響していたりしたようです。一見おかしなマイルールは、なぜ生まれたのか? そのウラ事情から歴史をひもといていきました。
江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)のマイルールは、「毎日必ず牛乳を飲む」。
今でこそ牛乳は毎日の食卓でおなじみの飲み物ですが、実は江戸時代、牛乳は普及していませんでした。
全く飲まない、というわけではなかったんですが、当時牛乳は飲み物というより薬のようなものとして扱われており、多くの日本人は飲むのを嫌がりました。
ところがそんな牛乳を欠かさず飲むのが徳川慶喜の日課。
このマイルール、なぜ慶喜は守り通したのでしょうか?
徳川慶喜が毎日牛乳を欠かさなかったのは、父親の言いつけがあったからです。その父親とは、水戸藩の藩主だった徳川斉昭(なりあき)。
徳川斉昭といえば、幕末期に激しい攘夷(じょうい)論を唱えた頑固な人物というイメージもありますが、実際はいいモノは進んで取り入れようという合理的な考えを持った人でした。
そんな斉昭が好んだのが、牛乳。
その牛乳を愛する斉昭の思い、なみなみならぬものがありました。
周囲に強くすすめるばかりでありません。広く世に広めたいとも思ったのでしょう、牛乳について書いた本まで作っています。その内容は、牛乳の歴史について。
斉昭は藩お抱えの学者に命じ、日本人と牛乳とのかかわりを調べさせました。
そして、幕末の当時こそ牛乳は飲まれていなかったものの、それ以前の時代に牛乳はすでに飲まれており、実は日本でもなじみのある飲み物だと本にまとめさせました。
また、斉昭自身で牛乳を使ったメニューを研究。たとえばその1つが「牛乳酒」。
これは、牛乳と酒を混ぜ水と砂糖を加えて煮たてたものですが、この牛乳酒のレシピも斉昭は別の本にまとめました。
こうした斉昭の激しい“牛乳愛”を受けて、息子の徳川慶喜は毎日の牛乳を欠かさなかった、というわけです。