【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年10月1日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「あの偉人の、一見おかしなマイルール」。
歴史上の偉人の中には、「えっ、なんで?」と思ってしまうちょっと変わった決まりをかたくなに守った人物がいましたが、その人なりの事情があったり、時代背景も影響していたりしたようです。一見おかしなマイルールは、なぜ生まれたのか? そのウラ事情から歴史をひもといていきました。

戦国武将、伊達政宗(だてまさむね)のマイルールは「毎朝トイレに2時間こもる」。

そのトイレ、実は用を足すだけでなく畳2畳分ほどのスペースも備えた小部屋で、そこには机や本棚も置かれ、独りになれる書斎でもありました。
伊達政宗はそこに毎朝2時間もこもって、一体何をしていたのでしょうか?


政宗がそこで多くの時間を割いて行っていたこと。それは、手紙を書くことでした。
伊達政宗は戦国屈指の筆まめで、今も残る直筆の手紙はなんと1300通! 桁外れの多さです。

その中身、1つは、家族への細かい指導と厳しい小言。
たとえば、息子の秀宗(ひでむね)が20代半ばで四国に領地を与えられ宇和島藩藩主に取り立てられた直後に出した手紙では、息子の浪費癖をこう戒めました。
「大名に取り立てられたご祝儀を大坂で渡した人に、その後江戸で会った時、もう一度あげてしまったようだな。二重にご祝儀を渡すとは、なんとも考えの足りないことだ。人によく言われたいと思ってお金を配っても、やがて行き詰まって後悔するぞ。よくよく考えてほしい」

一方、息子への別の手紙では、息子の気持ちを細やかに気遣ったこんな一文もあります。
「そちらは元気にしているか。私の方は、実はここ一両日の間、食べ物にあたって腹痛だった。しかし、もう回復したので安心しなさい。このこと、他から伝え聞けばそなたが心配すると思ったので、ここに知らせておく」

また、家来に送った手紙の中には、政宗が自分の行いを反省したこんな手紙もあります。
「先日、酒の席で小姓頭の蟻坂善兵衛(ありさかぜんべえ)に手を出してしまった。善兵衛がいくら若輩者とはいえ、小姓頭の役まで任せた者をそれがしが脇差しのさやでたたきつけたのは間違いだった。善兵衛の頭の傷が治ったら、また出てくるよう伝えてほしい」

どの手紙からも伝わってくるのは、政宗の細かい目配りと気配り。
伊達政宗がトイレにこもった朝の2時間は、家中の気持ちを一つにつなぐための大切な時間だったのでしょうね。

DJ日本史「あの偉人の、一見おかしなマイルール」①

DJ日本史「あの偉人の、一見おかしなマイルール」③