【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年8月20日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは『先祖のプレッシャーは、きつかった』。歴史に名を残すようなエライご先祖を持つと子孫は大変。その栄光が重~くのしかかり、行いや生き方が強く縛られることだってありました。今回取り上げたのは、ご先祖のプレッシャーと格闘し続けた人々。生まれもって背負わされた期待と重圧に、後の世代はどう向き合ったのでしょうか?

ご先祖の存在にとても助けられた、という人物をご紹介しましょう。取り上げるのは、明治時代、自由民権運動の指導者として活躍した政治家の板垣退助(いたがきたいすけ)です。

この板垣退助、もともとは土佐藩の武士でした。明治維新を成し遂げた主力は薩長土肥の4つの藩でしたが、その1つ土佐藩の兵を率いて板垣は戦いました。
戊辰(ぼしん)戦争では板垣は京都を出て東に進軍し、旧幕府側の重要拠点である山梨県甲府を目指します。このとき山梨で戦うことになったのが、あの新選組の近藤勇率いる部隊でした。
板垣は泣く子も黙る近藤勇との戦いを有利に運ぼうと策をめぐらしますが、その1つが、ご先祖様の力に頼ること、でした。


板垣退助、もともとの名は、乾(いぬい)退助と言いました。
しかし、近藤との戦いを前に、名を「乾」から「板垣」に変えます。理由は、ご先祖様の力を借りるため。

実は板垣退助の先祖は、あの武田信玄の教育係も務めた名将、板垣信方(いたがきのぶかた)でした。
武田家の滅亡後、板垣信方の子孫は流れ流れて四国にたどりつき、姓を「板垣」から「乾」に変えて土佐藩に仕えたのですが、その12代後の子孫が板垣退助だったのです。
そんな退助、戦国時代は武田信玄のお膝元だった甲府に到着するや、げきをとばします。

「新政府軍を率いる板垣退助は、あの信玄公に仕えた板垣信方の末えいである。武田家への思いは皆と同じ。今こそ信玄公のみ霊に誓って、志を一つにしようではないか!」

すると、住民たちは続々と呼びかけに反応。武田家が滅んで300年近くたってもなお、山梨では信玄を慕う気風が強く残っていたのです。中には、自分は武田家家臣の末えいであると、先祖代々の由緒書を差し出して新政府軍に志願する人もいました。

こうして、新政府軍は勝利。
ご先祖の威光は、板垣退助の戦いに大いに役立つことになったのでした。。

DJ日本史「先祖のプレッシャーは、きつかった」①

DJ日本史「先祖のプレッシャーは、きつかった」②