【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん
2023年7月30日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「厳しいこともズバッと直言 その心得は?」。人の目を気にして口をつぐむ、周りの空気を読んで思ったことを言えない、なんてこと、ありますよね。しかし歴史上には、言いづらい状況でもズバッと発言、どんなに立場が上の人にもためわらず直言した人物がいます。彼らはなぜ、恐れずにものを言うことができたのか? 平素から心がけていたこととは?
耳の痛いことを言ったりすると、時には左遷されたりひどい目に遭うこともあります。それでもはっきり直言することには、どんな意味があるのでしょうか?
幕末の江戸幕府に、思ったことをズバズバ言って周囲から煙たがられ、毎年のように左遷させられていた人物がいました。その人物の名は、大久保一翁(おおくぼ・いちおう)。あの勝海舟とともに江戸城無血開城を取りしきった幕臣です。
後の時代、勝海舟はいろいろ発言をしたのでその存在はよく知られていきますが、大久保一翁は明治以降はほとんど語らず、日記や記録もすべて燃やしたため広く知られていません。
ただ、無政府状態の江戸で徳川家を代表して江戸城を無事明け渡すという難事をやり遂げたのは、この人物。
そして、もともと無名だった勝海舟を幕府の重要なポジションに引き上げたのも、彼でした。
そんな大久保一翁は、思ったことをズバズバ言った人でした。厳しい意見もはっきり言い、その度に何度も左遷されます。
なんと、短いときは役職についてから5日で免職されて自宅謹慎、ということもありました。
ただ、ものをはっきり言うのをやめなかった態度が、やがて大久保一翁の運命、そして歴史を動かしていくことになります。
いくら煙たがられてもはっきりものを言い続けることの意味とは?
左遷の憂き目に遭いながらも、ことあるごとに厳しい意見を申し立てた大久保一翁。
たとえば1862年、大久保一翁は御側御用取次(おそばごようとりつぎ)という役職、つまり将軍直属の秘書官につきますが、このとき驚く意見を主張します。
その内容は、幕府単独による支配をやめ、朝廷を中心に設けた議会で諸侯が話し合いで政治を行うこと。
なんと、幕府の消滅などまだ誰も想像していない段階で幕臣ながら大政奉還を先んじて主張したのです。
そんな大久保、すぐに左遷されてしまいました。
また1865年には、準備が進んでいた第二次長州征討の実行をとりやめることを提言。もはや幕府のメンツにこだわっている場合ではない、と主張します。
そんな大久保、幕臣たちからひそかに感謝されました。実は多くの幕臣は、内心では長州攻撃に行き詰まりを感じながら言い出せない状態だったのです。
ただこの時も、大久保の意見は聞き届けられませんでした。
ところが、声をあげ続けたことは意外な結果をもたらします。
次第に、大久保一翁の存在が全国に知れ渡っていったのです。
「幕府の中で話ができるのは、大久保一翁だ」
こうして高まった名声は、大久保を歴史の表舞台に返り咲かせます。1868年、徳川慶喜から重要な役職、会計総裁に任命されたのです。
そして、徹底抗戦が叫ばれる江戸城で大久保は和平を主導。
暗殺されるかもしれない危険の中、江戸城の明け渡しを見事、やり遂げたのでした。