【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん
2023年7月30日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「厳しいこともズバッと直言 その心得は?」。人の目を気にして口をつぐむ、周りの空気を読んで思ったことを言えない、なんてこと、ありますよね。しかし歴史上には、言いづらい状況でもズバッと発言、どんなに立場が上の人にもためわらず直言した人物がいます。彼らはなぜ、恐れずにものを言うことができたのか? 平素から心がけていたこととは?
あの西郷隆盛にズバッと反論した幕臣がいます。その名は山岡鉄舟(やまおか・てっしゅう)。幕末の時代、江戸城総攻撃をぎりぎりのところで食い止めるため奔走した御家人です。
江戸城無血開城は西郷隆盛と勝海舟の直接会談で決まったという印象が強いですが、その前に、徳川慶喜の使者として敵地に乗り込んで西郷と談判したのが、山岡鉄舟でした。
西郷隆盛の方では恭順を受ける条件として「徳川慶喜の身柄を備前藩に預ける」、つまり実質的に徳川慶喜の身柄を引き渡すよう要求しますが、山岡鉄舟は「もし逆の立場なら、あなたは主君を敵に差し出すのか」と迫って、西郷隆盛を説き伏せます。
実はこのときの山岡鉄舟は、貧しい御家人の一人。本来なら大役を任される身分ではなかったのですが、混乱の中、徳川慶喜の命がかかった使者の役を担うことになり、ついにはあの新政府軍の大物、西郷を説き伏せるということをやってのけました。
一介の貧乏御家人だった山岡鉄舟は、なぜ恐れることなく堂々と西郷に反論出来るほど肝がすわっていたのか? 実は山岡鉄舟、人並みはずれて熱~く打ち込んでいたことがあったのです。
山岡鉄舟が打ち込んでいたこととは、禅の修行でした。
もともと鉄舟は子どもの頃から座禅を行う習慣があったのですが、あの西郷との歴史的な会談が行われた頃は、特に熱心に取り組んでいました。
きっかけは、剣の試合でどうしても勝てない相手に出会ったこと。
その剣の遣い手、名を浅利又七郎と言いました。
山岡鉄舟はその浅利に毎日稽古をつけてもらいますが、全く歯が立ちません。
気迫に負けてじりじり追いつめられるばかり。
そんな中、山岡鉄舟は座禅に熱心に取り組みます。
目を閉じていると浮かんでくるのは、あの浅利又七郎が大きな山のように立ちはだかる姿。
知らず知らず、冷や汗がたら~り。
そのうち、鉄舟は気づいていきます。
「相手を強くしているのは、実は私自身の気持ちではないのか? 私の方が恐れるから、相手が強く見えるのではないか?」
鉄舟が西郷との歴史的会談を成し遂げたのは、そんな時期のことでした。
あの英雄・西郷隆盛を前に一介の貧乏御家人・山岡鉄舟が堂々と行った交渉。それは、禅の修行のたまものだったかもしれませんね。