【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん
2023年7月2日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは『実はすごかった! 控えめ将軍の骨太リーダーシップ』。徳川幕府の将軍、といえば初代家康や3代家光、8代吉宗など有名な人物は何人もいますが、すぐれた将軍は彼らばかりではありません。印象が薄く地味な存在ながらも、人望を集めよい政治を行った将軍がいました。「能あるタカは爪を隠す」。政治をま~るく治めるため、あえて一歩ひくスタンスを貫いた控えめ将軍のすごさとは?
4代将軍徳川家綱(とくがわいえつな)をご紹介しましょう。
徳川家綱が将軍に就いたのは1651年でした。当時は戦国時代が終わって世は落ち着いてはきたものの、ちまたには職を失った浪人があふれて治安も悪く、まだまだ油断できない状況でした。
そんな中、三代将軍家光が亡くなったことで息子の徳川家綱が将軍に就くのですが、このとき家綱はなんと11歳! 今ならまだ小学生くらいだったわけですが、家綱は自分の個性を生かして世の中をま~るく治めていきます。
少年将軍家綱、そのリーダーシップのとり方とは?
徳川家綱は、とてもやさしく思いやりにあふれる人物でした。
家綱がまだ6歳くらいのときのこと。
ある罪人が遠い島に流されたと聞いた家綱は、家来にこう聞きます。
「罪人は島で何を食べて命をつないでいるのか? 死罪にせずせっかく命を助けたのだ。しっかり食べ物を与えよ」
こんな家綱のやさしさは、成長して将軍になっても変わりません。
あるとき、家綱の食事に髪の毛が入っていたことがありました。世話係の小姓は青ざめ、器を取り替えようと席を立ちます。すると家綱、その小姓に命じました。
「途中で器の中身を捨てていけ」
髪の毛が入っていたことが他の者にわかると罰せられるので、食事のおかわりをしたことにして小姓をかばったのです。
ただ、そんな家綱には弱みもありました。まだ年若かったこと、そして体が弱く病気がちだったこと。
ただ家綱、そんな弱点も持ち前の個性で強みに変えていくのです。
当時の幕府老中はそうそうたる面々、すぐれた人材がそろっていましたが、互いの仲がよいわけではありませんでした。
たとえば、老中の阿部忠秋(あべただあき)と松平信綱(まつだいらのぶつな)。2人も仲が悪かったのですが、家綱が将軍になるや、話し合います。
「上様がまだお若いのに老中の仲が悪いのは、国のためによくない」
こうして老中たちは幼い家綱を支えようと力を結集、心を一つにして難局を乗り越えていきました。
家綱が決して強くはない将軍だったからこそ、まとまることが出来たのかもしれませんね。