【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年6月25日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「あの言葉は、歴史上の人物から生まれた」。
私たちが何気なく使っている言葉の中には、歴史上の人物の名前から生まれたものもあります。多くの人が口にする言葉になるほど強い印象を残した人物は一体、どんな人だったのか? そして、当時の人々にどのようなインパクトを与えたのでしょうか?

ご紹介するのは「頑固一徹」という言葉。
この言葉の語源になったと言われる人物は、戦国時代の武将、稲葉一鉄(いなばいってつ)。元々斎藤道三の家来で、後に織田信長に仕えた人物です。
そんな稲葉一鉄から、どのようにして「頑固一徹」という言葉が生まれたのでしょうか?


この稲葉一鉄、自分が思ったことは何があっても曲げることがない一本気の武将でした。
たとえば、こんな話があります。

西暦1570年、織田・徳川軍が浅井・朝倉と戦った「姉川の戦い」でのこと。
このとき稲葉一鉄は織田信長の配下でしたが、兵の少ない徳川家康の支援に回され家康と共に戦うことになりました。
この「姉川の戦い」、敵の攻撃はすさまじく、織田・徳川勢は苦戦を強いられます。特に織田軍は、信長の本陣近くまで攻め込まれたと言われています。
この苦しい戦況を覆したのは、徳川家康の策でした。
家康は徳川軍の一部を敵の側面に回らせ、脇から攻め立てたのです。
また、稲葉一鉄の部隊も織田軍を攻める敵を側面攻撃。
これで形勢は逆転しました。

こうして苦戦の末に勝利を収めた織田信長が、戦の後に一番手柄として挙げたのが、織田軍の窮地を救った稲葉一鉄でした。
ところが一鉄は言います。
「一番の武功を上げたのは、徳川家康殿。それがしではござらん」
なんと、最初に敵の側面攻撃を行った家康に手柄をゆずり、褒美を断ってしまいました。そして一歩もひきません。
その態度はまさに、「頑固一徹」。
こんな稲葉一鉄の個性から、この言葉が生まれたと言われています。

DJ日本史「あの言葉は、歴史上の人物から生まれた」①

DJ日本史「あの言葉は、歴史上の人物から生まれた」②